第16話 崖の上の薬草。

 街へ向かう道中、リリアは何度も馬上で眠ってしまった。

 だが、クロウは絶対に落っことしたりしなかった。そのうえ何度も休憩を取ってくれている。馬の疲労もさることながら、慣れない乗馬でリリア自身も限界に近くなっていた。

 特に腕とお尻が────。

 その事に、クロウは気づいていてくれているのかもしれない。

 そして何度目かの休憩の時に、リリアはちょうど欲しかった薬草が生えている事に気付いた。


「……崖を登るって、思っていた以上に難しいのね。これ以上登れないし、降り方も分からなくなっちゃったわ。どうすればいいのかしら……」


 リリアは切り立った崖をよじ登っていたのだが、ちょうど自分の身長の倍ほど登ったところで、岩に張り付いた状態のまま動けなくなっていた。


「リリアッ!」


 クロウの呼ぶ声が聞こえる。

 彼にしては珍しく慌てた声だ。リリアの姿が見えなくなったので、探しに来てくれたのかもしれない。


「クロウ! あっ……」


 声を出した途端、リリアの指が岩から離れてしまった。ゆっくりと体が後ろへ傾いていく。


(ああっ!)


 浮遊感に全身の血が一気に下がったような気がした。地面にぶつかる衝撃が頭を過り、無意識に身体を強張らせる。


 ドサッ


 体中に衝撃を感じた。

 だが、思っていたような痛みはまったくない。固く閉じていた目をゆっくりと開けば、リリアの体はクロウの腕の中にすっぽりと収まっていた。


「この、馬鹿! あの体勢のまま落ちていたら、首の骨を折っていたぞ!」


 頭のすぐ上から怒鳴られ、思わず首を竦める。

 クロウの剣幕からして、かなり危なかったに違いない。慌てて「ごめんなさい」と謝ると、さらに強く抱き締められた。


「あの、クロウ……く、苦しい───!」

「!」


 苦しさのあまり呻くようなリリアの声に、クロウはすぐに腕の力を弱めてくれた。

 だが、リリアを抱き上げたまま降ろそうとしない。不思議に思ったリリアがクロウを見上げれば、じっと見つめてくる黒い瞳に驚く。


「クロウ?」

「あ、いや……」


 どうかしたのかと不安そうに尋ねるリリアに、はっとしたクロウはすぐに視線を逸らせてしまった。

 一度大きく息を吐いたクロウは、再びリリアの方へ顔を向ける。


「……説明してくれ。何をどうしたら崖から落ちる事になるんだ?」

「本当にごめんなさい。でも、どうしても欲しい薬草を見つけたんです。あの崖の一番上に生えている濃い色の草です」


 リリアは崖の上を指さした。クロウの視線がそれを追う。


「……あそこまで登るつもりだったのか? おまえには、どう考えても無理だろう」


 崖を見上げ、信じられないとで言いたそうな声で断言する。


「でも、おじいさんはあの高さなら軽々と登っていたのよ。それに、一度自分でも崖を登ってみたかったの……あっ!」


 つい本音が漏れてしまい、慌てて口を押える。クロウは呆れたような表情を浮かべて見つめてくる。


「……見かけによらず、お転婆だったんだな。それに、いくら年を取っていたとしても、きっとおまえのじいさんは崖を登ることに慣れていたんじゃないのか? 鍛え方と経験の違いだな」


 そう言いながらクロウはやっとリリアを地面に降ろした。そのまま岩に手を掛けると、薬草に向かって軽々と登り始める。


「クロウ……」


 先ほど崖から落ちてしまったばかりのリリアはとても落ち着かない気持ちになっていた。かなり上まで登っているクロウの姿を『どうか落ちないで!』と祈りながら見守る。


「リリア。あの草は何に効くんだ?」


 崖の上からリリアを見下ろし、クロウが尋ねてきた。よそ見をするクロウの姿にリリアの方がひやりとする。先ほどクロウの剣幕がやっと理解出来たリリアだった。今は一秒でも早く降りて来てほしかった。


「痛み止めです! 特に、胃痛に良く効くんですよ!」

「! ……分った。必ず取ってこよう」


 リリアが力強く答えると、一瞬クロウが息を飲む気配がした。やはりリリアが危惧していたとおり、クロウは胃の痛みを我慢していたのだ。薬草を手にしたクロウは無事にリリアのところへ戻って来た。


「すごい……、凄いです! クロウ、ありがとう!」


 リリアはお礼を言いながらクロウのそばへ駆け寄る。クロウは複雑そうな表情を浮かべて薬草を手渡してくれたのだった。

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