第15話 二人きりの旅。
ずっと馬を駆けさせてきたクロウだったが、峠を越えたあたりで馬を止めた。かなり背後を気にしていたようだが、もう追手が来ないと判断したのかもしれない。いつの間にか夜も明け、辺りはすでに明るくなっていた。
ここに来るまでの道中、追われる恐ろしさにリリアはただ身を震わす事しか出来なかった。
「疲れただろう。少し休憩だ」
先に馬から降りたクロウがリリアへ手を伸ばしてきた。リリアはその手を借りて地に足を着ける。その途端、その場にへなへなと座り込んでしまった。
「大丈夫か?」
気遣う声と共に、クロウの手がリリアの背に優しく触れる。リリアは声のする方へ顔を向けた。そこには、片膝を付き、心配そうな表情で見つめているクロウの姿があった。
「だ、大丈夫……です」
安心させたくて、リリアは笑みを浮かべる。
だが、クロウの曇った表情が晴れることはなかった。
「きゃっ!」
突然、リリアは抱き上げられた。驚きのあまり体が硬直する。
「落とさないから安心しろ」
「え?! あ、あの……」
動揺を隠せず目を白黒させている間に、クロウは軽々と運んでいく。クロウも疲れているはずなのに、その足取りはしっかりとしている。
「飲むといい」
リリアを木陰に下ろすと、クロウは革で出来た水筒を彼女の目の前に差し出した。
「あ、ありがとうございます」
リリアはお礼を言うと、クロウの気づかいに感謝しながら受け取った水筒に口をつけた。水が渇いた喉を潤していく。それと同時に、強張っていた心も少し軽くなったように感じる。ほっとした表情をリリアが浮かべるとやっと安心したのか、クロウは木陰にリリアを残し、彼の愛馬の元へと戻って行った。
(みんな、無事なのかしら……)
クロウが愛馬の背から荷物を降ろす姿を見つめながら、リリアはここにはいない人達の身を案じる。ここに来るまでの道中の間も、先に王都へ向かった団長達のことがとても気掛かりだった。
ぼんやりと見つめるリリアの視線の先では、背から荷を降ろしてもらい身が軽くなった馬が嬉しそうに足元の草をのんびりと食べている。自分が乗ったせいでクロウの愛馬が倒れてしまうのではないかと心配していたが、どうやら大丈夫な様だ。主に似て、とても優しくて強い。その愛らしい姿をしばらくの間見守っていたリリアだったが、自分達も長い時間何も口にしていないことに気付いた。慌てて自分の荷物の中をかき回す。
そして、目当ての物を見つけ出すと、急いでクロウの元へ走った。
「あの……これも私が作ったんです。味見してみませんか?」
来た道の方へ視線を向けていたクロウが振り返る。彼の目の前にリリアは両手を差し出した。掌の上には、広げられた包の中に、親指ほどのこんがりと焼けた棒状のものが載っている。クロウはそれをじっと見つめたまま押し黙っている。警戒しているのかと思ったリリアは、慌てて説明を始めた。
「あのっ、変な物ではないんです! 見かけは悪いかもしれないんですが、これは焼き菓子です。少し硬いですが、木の実も入っていて美味しいですよ」
「あ、いや、別に変な物とは思っていないが……」
クロウは手を伸ばし焼き菓子を一つ摘み上げると、口の中へ放り込んだ。
「美味しいですか?」
「……ああ」
ぼりぼりと焼き菓子を噛み砕く音を立てながら、クロウは視線をリリアに向けてきた。
「? 何でしょうか?」
「いや、……何でもない」
そう言いながら、クロウはもう一つ食べてくれた。美味しいと思ってくれたのかもしれないとリリアは嬉しくなる。クロウは立ち上がると、先ほどまでリリアが座っていた木陰へと歩き出した。そしてそのまま腰を下ろす。リリアもすぐにクロウの後を追った。
「少し寝る。何かあったらすぐに起こせ」
リリアが飲んだ同じ水筒で喉を潤すと、クロウはそう告げた。彼は近くの木の幹に背を預け、そのまま目を閉じる。なんでもないように振舞っているが、きっと体調は優れないのかもしれない。熱は下がっていたが、顔色はあまりいいとは言えなかった。やはりクロウが口にしたものはかなり毒性の強いものだったのだ。そんな体で、無理を押してリリアのために王都へ向かってくれている。リリアは申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。眠りの邪魔にならないように、 クロウの隣にそっと腰を下ろした。
「ありがとうございます、クロウ。私のために無理はしないでくださいね」
目を閉じているクロウに、小さな声で囁く。クロウは眠ってしまったのか、ぴくりとも動かない。リリアは抱えた膝に頭をちょこんと置いて、眠っているクロウの顔をしばしの間眺める。近くで見れば見るほどクロウの顔はとても整っていた。
形の良い顎に、高い鼻梁、引き結ばれた口元からは意思の強さが感じられる。長い睫が頬に影を差し、黒水晶のように美しい黒い瞳は、今は固く閉じられていた。
彼と出会ってからまだ一週間も経っていないなんて信じられなかった。ちゃんと言葉を交わしたのは昨日が初めてだというのに、なんだかもうずっと一緒に居るような気がしている。
昨夜はあれほど恐ろしい思いをしたばかりだというのに、彼の傍にいるだけでとても安心していられた。それは家族に感じる安心感とは少し違う、心の中がふわふわとしたなんとも不思議な感じだ。
ふと空を見上げれば、ずいぶんと日は高くなっている。
(何事もなくあのまま馬車に乗っていれば、おじいさんのお友達にお会いして、今頃は村に向かう馬車に揺られていたのかな……)
村から出る前のリリアはそうなると思い込んでいた。
だが、村の外は想像以上に危険だった。己の無力さを強く感じている。その事で。どれほどリリアが大切に守られて育てられてきたのかを再び痛感することとなった。
クロウに守ってもらっていなければ、オアシスではどうなっていたのだろうかと想像するのも恐ろしかった。たとえうまく逃げられたとしても、そこから自分一人の力だけでは村へ戻ることさえ出来なかっただろう。何でも自分で出来ると思っていたことが、今はとても恥ずかしかった。
(私は、本当に何も知らなかったんだわ)
隣で眠っているクロウの息が穏やかなものに変わったので、彼を起こさないように静かにその場を離れる。リリアの足は、彼の愛馬の元へと向った。
「私が乗ったせいで、とても重かったでしょう? ごめんなさいね」
リリアはクロウの愛馬にそっと話しかけた。すると、人懐っこく顔を寄せて来る。
彼の馬はとても大きかった。黒い毛並みは手入れがいきとどいていて、つやつやとしている。驚かさないようにその美しい体にそっと触れれば、とても温かかった。見つめてくる大きな黒い瞳は主と同じでとても綺麗だ。その目を見つめ返しながら優しく鼻を撫でる。すると、背後から突然大きな手が伸びて来た。
「……リリアの重さなら問題ない。こいつの名前はシェーン。5歳の雌だ」
クロウだった。
静かにしていたつもりだったが、やはり起こしてしまったようだ。彼は相変わらず表情に感情を表したりはしなかったが、ずっと身にまとっていた緊迫した雰囲気はなくなっていた。今はどこか落ち着いた様子で彼の愛馬の体を優しく撫でている。
無口だった彼がリリアを気遣ってか、二人きりになってからは時折彼の方から話しかけてきてくれる。初めて会った時は、人を寄せ付けない雰囲気に、声さえかけることが出来ないと思っていたが、クロウは人の気持ちの分かるとても優しい人だった。
「シェーン。名前のとおりとても美しい子ね。これからもどうかよろしくお願いしますね」
すると言葉が分かるのか、シェーンは大きな頭をさらにリリアの体にすり寄せてくる。
「おまえを気に入ったみたいだな」
シェーンの背に再び荷を載せながら、クロウは微かだが口元に笑みを浮かべて呟いた。鋭かった瞳もずいぶんと柔らかくなっている。元々整った顔立ちだっただけに、さらに輝きを増す。彼の微笑む顔を間近で見てしまったリリアの胸は煩いほど高鳴り、つい見惚れてしまう。
「さあ、リリア、手を」
彼女がぼうっと突っ立っている間に、いつの間にか馬上の人となっていたクロウが手を差し伸べる。慌てて両手を伸ばすリリアの腰に、彼の逞しい腕が回ると、あっという間にリリアはクロウの前に向かい合うように座らされていた。あまりに軽々と持ち上げられ、自分の身体が羽のように軽くなってしまったかのように感じる。彼のそばはとても居心地が良くて、リリアはずっと一緒にいたいと思うようになっていた。
「クロウは、また力が強くなったみたいだわ」
「そうか? それなら、さっきおまえがくれた歯が欠けそうなほど固い焼き菓子のお陰だな」
「えっ?! あれが固かったのは、失敗じゃないですよ! 日持ちがするように何度も焼いているからなので……」
あたふたと説明をすれば、くすりと笑う声が微かに聞こえた気がした。
「ああ、分かっている。あれはほんのり甘くて本当に美味かった」
「本当ですか?! 嬉しいです!」
リリアが喜んでいると、突然クロウが手綱を取った。まるでリリアの体を彼の腕の中に閉じ込めるようだった。
「今日の夜は、温かい食事と柔らかい寝台が待っているぞ」
「まあ!」
「分かったなら、落ちないようしっかりと俺の身体に掴まってくれ」
「え? ……こ、こんな感じでいいでしょうか?」
「もっとだ。しっかり掴まっていないと落っこちるぞ」
おずおずとクロウの服を掴んでいたリリアの両手を強引に引きはがし、クロウはそのまま自分の方へとぐいっと引っ張る。もちろん引っ張られたリリアは思いっきり彼の体に抱き付いてしまう。
「ひやっうっ!」
変な叫び声を上げて頬を真っ赤に染めたリリアの顔を、クロウは黒く澄んだ瞳を細めて見つめている。
「ううっ、……クロウは少し意地悪だわ」
恥ずかしさを隠すため、リリアは拗ねたように呟きながら、彼の見かけによらずしっかいとした体にしがみ付く。
「そうか。ならば、期待に応えて全力でシェーンを走らせるとしよう」
「え?! う、嘘よね……?」
慌てるリリアの腰をクロウの左腕がしっかりと抱き寄せる。リリアは顔を上げ、その美しく大きな翠緑色の目をさらに見開いた。
クロウが笑っていた。
だが、その笑顔を堪能する間もなくクロウがシェーンを走らせはじめたので、リリアは目を閉じて必死でクロウにしがみ付くしかできなかった。
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