第14話 消えた王女。

『アルフレッド王が……亡くなった?』


 意識を取り戻したばかりのガルロイに医師が告げた内容は、到底受け入れがたいものだった。

 フクス将軍の謀反により、王都は西の隣国リコス軍に包囲され、彼の手引きで城内へ入り込んだリコスの兵達によって、王だけでなく王妃も王女も殺されたというのだ。

 皮肉な事に、彼らを守っていた近衛兵で生き残ったのは、その時死にかけていたガルロイただ一人だと。


『……俺は、まだ悪い夢を見ているのか?』

『夢ではない。夢であればよかったのだがな……。だが、ベルンシュタイン国が終わったわけではない。東の砦から風神のごとく駆けつけて下さった王弟殿下が、包囲していたリコス軍をすべて蹴散らされ、この国は守られたのだ。安心してその傷を治せば良い』


 医師が出て行った後、一人取り残されたガルロイは何も考えられなくなっていた。ただ茫然と春の日差しが入り込む窓辺を見つめる。

 その後、王城を出たガルロイは、王都に留まりこそすれ、荒んだ生活を送っていた。


『ガルロイ・ラフィット。勝手に入るぞ』


 季節は秋になろうとしていた。

 ベルンシュタイン国はアルフレッド王の亡き後、異母弟であったシュティル・フォン・アーレンベルグはなぜかすぐには王位に就こうとしなかった。シュティルは喪に服し、王位を継ぐまでの一年間は王位が空いたままの状態だった。

 そんな中、いつものように王都の片隅にあった自分の部屋で酒に酔いつぶれていたガルロイは、珍しい男の訪問を受けた。


『……宰相どのぅ。ろうして、ここへぇ?』


 酒に酔ったガルロイの虚ろなまなざしに映ったのは、宰相のラファル・ディセントの姿だった。彼の上着の袖から腕に巻かれた包帯が覗いていた。彼もまた、王城へ乗り込んできたリコス兵によって負傷した身だった。

 五年前に彼は宰相だった父の後を継ぎ、三十歳という若さで宰相となっていた。それからは二歳年下のアルフレッド国王を支えとても良く補佐していた。

 どこか面影がエレーネ王妃に似ているように感じたのは、彼女の母方の伯父だったからかもしれない。


『ガルロイ。昼間から酒に酔っているのか……』

『ほっておいて頂きたいぃ。……俺はもう……近衛隊の隊員ではないのれすから』

『馬鹿者! このような様、亡きアルフレッド国王陛下やエレーネ王妃殿下に対し、恥ずかしいとは思わないのか?!』

『……陛下も、殿下も、姫様まれもぉ、わたしはだれひとり……、誰一人、お守りできなかった……、出来なかった!』


 頭を抱え込んだまま机に突っ伏し嘆き悲しむ。この頃のガルロイにはそれ以外何も出来なかった。ひたすら命が尽きるのをただ待つだけのような日々。


『王女は生きておられる。その事でおまえにやってもらいたい事があって来たのだ』

『……生きておられるぅ?』


 胡乱なまなざしで見上げるガルロイの目を宰相は冷ややかに見降ろし、『また、明日来る。その時はもっとましな姿でいろ』と言い置き、さっさと部屋から出て行ってしまった。

 次の日ガルロイは久しぶりに髭をそり、身なりを整えて宰相の来訪を待った。

 日が沈み切った暗闇の中を、再び宰相はたった一人で現れた。


『昨日は大変な失礼をいたしました。宰相閣下殿』

『今日は、まともに話が出来るようだな』


 ガルロイが椅子を勧めると、ディセントは小さく頷き腰を下ろした。


『何か飲まれますか?』

『いや、構うな。それより、すぐにおまえにやってもらいたい事がある』

『姫様が生きておられるとおっしゃっておられましたが、それは本当なのですか?』


 宰相の話に被るようにガルロイは尋ねる。無作法だとは思った。

 だが、叱責を受けたとしても、どうしても一番に確認しておきたかったのだ。ガルロイは縋るような目でじっと宰相を見た。


『……リコス兵の襲撃を受けた日、私が陛下の所へ駆け付けた時には、すべてが終わっていた。敵味方両方の血で染まった部屋の中で、陛下お一人だけが立っておられた。その手には血で濡れた剣がしっかりと握られていた。おそらく立っている事も剣を持っている感覚も、もうすでに無くなっておいでのようだった。陛下は王女だけはウォルターに任せて城から逃がしたと告げられ、そのまま息を引き取られた』


 ガルロイは息を飲む。

 ウォルターとは、国王陛下の主治医だった男の名だ。


(ウォルター殿が王女殿下を逃がしていた!)


 ガルロイは拳を強く握る。


(陛下は壮絶な最期を遂げておられたのだ。侵入した敵兵は全て死んだと聞いていたが、まさか陛下がそんな状態になるまで一人で戦っておられたとは……、それに比べて今の自分はどうだ? 嘆き悲しむだけで何もしていないではないか!)


 おもむろに拳を開くと、掌から血が滲んでいた。いつのまにか爪が掌にくい込む程、酷く握りしめていたようだ。


『……王女殿下が亡くなられたと、なぜ公表されたのですか?』


 ガルロイはもっとも疑問に思った事をさらに尋ねた。


『これは王弟殿下と話し合って決めた事なのだ。王城から逃れたウォルターの居場所が未だに分からぬ。幼い王女殿下が行方不明だと分かれば、良からぬ事を考える者達に狙わる事になるだろう。王女殿下の身にさらなる危険が及ばぬためにも、真実を伏せて内密に探している』

『では、私もその捜索隊に加わればよいのですね!』


 ガルロイの目に生きる光が再び灯った瞬間だった。

 だが、宰相はゆっくりと首を横に振った。


『おまえにはその部隊とは別に王女の捜索を命じる。必ず彼らより早く王女を見つけ、私のところへお連れするのだ』

『別に?』


 怪訝な表情を浮かべるガルロイの目を宰相は見据える。


『そうだ。私は王弟殿下に疑念を抱いている。この度、東の砦から殿下のご帰還があまりにも早かった。そのお陰でこの国は助かったと言える。だが、私にはフクス将軍の謀反を事前に知っておられたとしか思えぬのだ』


 ガルロイの脳裏に、シュティルの端正な顔が浮かぶ。アルフレッド国王とは九歳も年の離れた異母弟である彼の母親は、ベルンシュタイン国の北側に位置するノルドラント国の第三王女だった。彼はノルドラント王家の特徴である青みを帯びた銀色の髪に、兄のアルフレッドと同じ真っ青な瞳を持つ美しい若者だった。

 アルフレッドが太陽なら、シュティルはまさに月だ。

 父王であったグランツが亡くなられてからはアルフレッドと共に戦場に出る事もあった。兄弟は仲が良く。王妃であるエレーネの事も姉のように慕っていた。


(その彼がなぜ?)


「……団長、……団長!」


 ルイの呼ぶ声で、ガルロイは現実に引き戻された。いつのまにか峠を越え、小さな町にたどり着いていた。


「団長。一度休もう。これ以上は馬も俺達も限界だよ」

「……そうだな」


 ルイが言うように、このまま走らせていれば馬達を潰しかねなかった。

 信頼出来そうな宿の馬番に疲れた様子の馬達を預けると、人が多く集まっていそうな食堂を探す。クロウ達の情報を得るためだ。


「見なかったね~。黒髪で長身の男と小柄で金髪の坊やなんて珍しい取り合わせなら記憶に残るからね。……それより、あんた達いい男だねぇ。今日はこの町に泊まっていくんだろう? 宿は決めているのかい?」


 食事を運んで来た女は気前よく質問に答えてくれたが、ルイに流し目を送りだしたので早々に食事を切り上げることにした。


「団長。緑の瞳の少年って、聞いた方が早いんじゃない?」

「いや、駄目だ。………それに、フードを被っているかもしれないからな」

「ああ、なるほどね。旅の間中、ずっとフードを被っていたもんね」


 ルイは素直に納得している。

 だが、ガルロイには別に理由があった。あえてその理由はルイには打ち明けていなかった。彼らは数件ある宿屋にも足を運んでみたが、二人の消息を得ることは出来なかった。


「近衛隊? 団長って、貴族だったの⁈」

「貴族と言っても、俺自身は次男で爵位なんぞ持っとらんがな」


 宿に戻ると、ルイには王女が生きている事と宰相に探すよう命を受けている事だけを説明することにした。

 ガルロイが王城で近衛隊にいたと聞いただけでずいぶん驚いていたルイだったが、宰相の密命を受けて王女を探していると知ると、珍しく難しい顔をして黙りこんでしまった。


「……あの子が、王女様だったんだね。見つかっても、お城へ連れて行くのはなんだか可哀そうだ」

「可哀そう? 十四年を経てやっと王城へお戻りになられるのだぞ」

「だってさ、あの子を城に連れて行ったら、否応なくそのややこしそうな世界に巻き込まれてしまうんだろ?」


 即座に、ガルロイは『違う』とは言えなかった。


(ルイが言うように、王女殿下を宰相の元へ届ける事は本当に正しい事なのだろうか? やっと落ち着いてきたこの国に暗雲を呼ぶことになってしまうのだろうか?)


 突然湧き上がった疑問が、ガルロイを戸惑わせた。

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