第11話 異変。

 リリアの必死の説得により、クロウはもう一晩オアシスで過ごす事を渋々承諾してくれた。 

 クロウはリリアが作った秘伝のスープを口にしてから、目に見えて顔色が良くなっていた。良かったと喜んでいると、俺は昼間十分に眠ったからと、リリアはクロウによって夕刻早々にテントの中に押し込められてしまった。彼の優しさに甘え、少し仮眠を取るつもりで目を閉じたリリアだったが、看病と旅の疲れのせいで深く眠り込んでしまっていた。


「……リ、…………リア、リリア!」


 誰かがリリアの名前を呼ぶ。眠り込んでいたリリアは驚いて目を覚ました。


「……え?!」

「しっ!」


 思わず声を上げたリリアの口を、突然大きな掌が覆う。


「ふぐ! むぐっ!! ふぐぐっ!!!」


 現状が分からず恐慌状態に陥ったリリアの体は力強い腕に拘束された。リリアは必死で手足をばたつかせその腕から逃れようとした。

 だが、暴れれば暴れるほど、体に巻き付く腕の力がさらに増していく。


「俺だ。クロウだ。リリア、落ち着いてくれ」


 耳元で囁かれ慌てて首を回せば、真横にクロウの顔があった。


「……手を離す。頼む、声は出さないでくれ」


 テントの中に僅かに差し込んでくる月の光の中、クロウの真剣な表情を見つめリリアは何度も頷く。すると、彼はゆっくりと手を離した。リリアから身を離すと、さっと背を向けテントの外を覗う。

 彼の様子が尋常ではない。何か恐ろしい事が起こっているのかもしれなかった。


「リリア。出来るだけ身を低くして、俺の後に……」


 振り向いたクロウが言葉を途切れさせる。震えているリリアに気付いたのかもしれない。恐怖でさらに体を強張らせたリリアの背にそっと手を回し、クロウはそのまま逞しい腕の中に優しく包み込んでくれた。


「大丈夫だ。何も心配しなくてもいい。さあ、荷物を持って、俺の後に付いて来てくれ」


 リリアは頷くと、近くに置いていた自分の荷物を胸に抱き抱えた。

 すると、クロウの大きな手がリリアの方へ伸びてきて、震えていた手をぎゅっとにぎりしめた。その力強い手に引かれ、リリアはテントの外へと導かれる。

 まず、リリアの目に飛び込んで来たのは、月明かりに照らされた紺色の濃淡だけで彩られた幻想的な景色だった。それは太陽の下で見るものとはまったく別の世界で、こんな時だというのに思わず目を奪われる。

 だが、クロウに連れられ岩場の影で待っていた彼の愛馬を目にした途端、自分たちがどれほど緊迫した状態でいるのかを思い知らされた。その口には布が巻き付けられ、声がもれないようにされていたのだ。 それでも、彼の愛馬は大人しくリリア達を見つめている。


「リリア、今からこの岩場を登る。出来るか?」


 クロウの黒い瞳に気遣いが感じられる。

 リリアはしっかりと頷いて応えると、自ら急な斜面をただひたすら頂上を目指して登り始めた。振り向くと、後からクロウも愛馬の手綱を引いて登って来る。

 辺りはとても静かでリリアには自分達が踏みしめる石の擦れ合う音と呼吸の音以外何の音も聞こえてこない。

 だが、すでにクロウは何かを感じ取っているようだった。頂上まであと僅かという所で、リリアにも馬の蹄の音と嘶きが聞こえてきた。慌てて振り返れば、クロウが固い表情で王都の方角を見つめている。


「あともう少しだ。急げ!」


 クロウの緊迫した声が飛ぶ。動揺したリリアは足が震えてしまって上手く登れなくなってしまった。思い通りに動かなくなった体に気持ちばかりが焦る。恐怖で涙が溢れてきて、視界がゆがむ。

 ちょうどその時、今まで煌々と照らしていた月の光を厚い雲が覆い隠し、あたりが闇に包まれた。


「クロウ………!」

「リリア。大丈夫だ」


 悲鳴のような声でクロウの名を呼べば、追いついたクロウがリリアの手を掴み、ぐいぐいと上に向かって引き上げて行く。崖の下が騒がしくなった時には、リリア達は下からでは見えない場所にまで無事登り詰めていた。

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