第8話 運命の輪。

「クロウ! どこだ? クロウッ!」

「お~い、クローウ。迎えに来てやったぞ~」


 夜が明けたばかりの誰もいないオアシスに、ガルロイとルイの声だけが響き渡る。 

 彼らは月明かりだけを頼りに、夜通しここまで一気に駆けて来たのだ。


「返事をしろ! クロウッ!」


 ガルロイのクロウを呼ぶ声に、不安が滲む。


「見事に誰も居ないよね」


 必死なガルロイの横で、ルイは呑気な様子であたりを見渡している。

 クロウの身を案じ一緒に付いて来ていたルイだったが、本気で探す気があるのか無いのか、いつも以上に気楽な様子にガルロイは苛立ち始めていた。

 だが、それは単なる八つ当たりだと自分でも分かっている。

 ガルロイは馬を走らせながら、クロウ達をあのオアシスにたった二人で残してきた事をずっと後悔していた。自分にすがり付いてきたあの少女の美しい緑色の瞳を見たその時から、冷静な判断が出来なくなっていたようだ。クロウの剣の腕はガルロイが知る中で最強だ。普段ならあの男の傍が一番安全だと言い切れる。

 だが、今、彼は体調を崩している。


「団長。もうここにはクロウ達はいないみたいだね。あのおチビさんを連れて、別の道を行くことにしたんじゃない? あぁ~、羨ましい。あいつ、役得だよ。あんなに可愛い女の子と二人きりで旅ができるなんてさ」

「おまえという奴は……」


 本気で悔しがっているルイに、ガルロイは思わず呆れた眼差しを向ける。だがそれは一瞬で、すぐに表情を硬くする。


「……やはり気が付いていたのか。あの小柄な少年が本当は少女なのだと」

「当然。で、あの子と何の話をしていたの? あんなに丁重な対応をする団長を見るのは初めてだったんだけど。あの子がどうかしたの?」


 少し癖のある明るい金色の前髪をかき上げながら、ルイはにこやかにガルロイに尋ねてくる。見た目に反し、その声には有無を言わせない響きがあった。嘘やごまかしでは納得しそうにない。ルイには以前から誰を探しているのかと、聞かれている。この若者はいつも軽い調子で陽気に振る舞ってはいるが、実はよく人を観察しているところがあった。ガルロイは苦笑を漏らす。

 そして、ふと見覚えのある場所に目を向けた途端、眉間の皺が深まった。


 「! ……見ろ」


 いつにない固いガルロイの声に、ルイは言われるがまま彼が凝視している場所に視線を向けた。晴れ渡った空のような明るい青い瞳が最大限に見開らかれる。

 クロウ達のためにルイが建てたテントが無残に壊され、砂の中に半ば埋もれていたのだ。


「え? ……まさか、そんな──」

「大丈夫だ。戦闘跡が見当たらない。うまく逃れたようだ……」


 ガルロイはテントの残骸を砂の中から引きずり出し、注意深くクロウ達の痕跡を探す。


「盗賊かな? 最近は遭遇する事さえなかったのに……」

「奴らも無暗に襲っている訳ではない。誰だって怪我なんぞしたくないからな。おそらくだが、これまでは盗賊の方が俺達を避けていたのだろう」

「じゃあ、俺達がクロウ達を置いていったのを見ていたとか?」


 珍しく狼狽えているルイに視線を向けながら、ガルロイは苦渋の表情を浮かべる。

 そして、黙ったまま強い眼差しを丘へ続く岩場に移す。


「分からん。だが、何かあった事だけは確かだ。俺はこのままクロウ達の後を追う。ルイ、おまえはどうする?」

「いまさらそんな事を聞く? それより、本当に教えてよ、団長。そんなに必死になっているのは、クロウのためだけじゃないよね?」


 大股で愛馬の元へ向かおうとしていたガルロイは足を止めた。振り返り、ルイを見る。恐らく彼にはガルロイが動揺していることを気付かれている。

 だが、ルイは辛抱強くガルロイの言葉を待っているようだった。わずかな逡巡の後、ガルロイは少し擦れた声で一人の女性の名前を紡ぐ。


「リリティシア・フォン・アーレンベルグ」

「? ……それって、王女様の名前だったよね? もうこの世にはいない──」

「さすが、女性の名前は一度聞くと忘れない男だな」

「何? どうしたのさ、突然。……まさか、あのおチビさんがその王女様だとか言わないよね?」


 引き攣った笑みを浮かべるルイに対し、ガルロイは事実を告げることにした。こうなってはルイに本当のことを話し、彼と共に一刻でも早くあの少女を探した方がいいと判断したのだ。


「そうだ。おそらく、あの方はリリティシア王女殿下だ」


 完全に動きを止めてしまったルイに背を向け、ガルロイは愛馬の元へ向う。もうその足取りには何の迷いもなかった。


「ルイ! すぐに、ここを立つぞ」

「ちょ、ちょっと待ってよ、団長! どうして、十年以上も前に亡くなった王女が生きているって知っているのさ?!」

「話は後だ。早く馬に乗れ!」


 ガルロイは動揺を隠せないルイを急き立てながら、すぐさま自分の愛馬に飛び乗った。可哀そうに馬達にはかなり無理をさせている。

 だが、もう少し頑張ってもらうしかなかった。労わるように馬の首を優しく撫でながら、クロウが向かった先に見当を付ける。


(今のクロウなら荒野より人々の往来がある道を選ぶだろう。ならば、先ず峠を越え街道を通って王都へ向かうはずだ)


 ルイが慌てて馬に乗るのを目の端で捉えると、比較的なだらかな斜面を選び、岩場を勢いよく駆け上って行く。


(クロウ、頼む! 俺達が行くまで何としてもあの方を守っていてくれ!)


 あの宝玉の輝きに似た美しい翠緑の瞳が思い浮かぶ。短い髪に少年の服を着ていたが、間違いなくあの少女はリリティシア王女だと断言出来る。

 ずっと探し続けていた王女が、突然成長した姿で目の前に現れたのだ。冷静でいられるはずがない。あまりに長い時間が経っていた。

 これまで、王女が生きているという証もなく、どこにいるのかさえ分からない状態だった。王女だと名乗り出て来る者があっても、その娘が本物かどうか見分ける自信などすでになくなっていた。

 だが、あの少女の澄んだ瞳を一目見ただけで、すぐにリリティシア王女だと分かったのだ。あの瞬間、心臓が止まったかと思ったほどだ。

 ところだがどうだ。己の判断の甘さで、再び彼女は幻のように姿を消してしまった。ガルロイは無意識に奥歯を噛みしめる。自分の不甲斐なさがなんとも腹立たしかった。やるせない思いを胸に押し込め馬を北へ向かって走らせる。流れる去る景色を横目に、彼の記憶は十四年前へと引き戻されていった。

 運命の輪はあらゆるものを巻き込みながら、すでに大きく動き始めていたのだ。 

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