第6話 女だったのか。

 チチチチチッ


 鳥の鳴き声で目覚めたリリアは、自分もいつの間にか眠ってしまっていた事に気づき、蒼褪める。


「ク、クロウさん!」


 リリアは慌てながら眠っているクロウの顔を、まるで被さるように覗きこむ。 

 昨夜は思った以上に熱が高くなり、彼の苦しむ姿は看病し慣れたリリアでもひどく心配なものだった。

 そして、明け方近くなってやっとクロウの容態が落ち着き、その事でほっとしたとたん自分も眠ってしまったようだった。

 リリアは改めてクロウの呼吸が落ち着いているのを確かめ、ほっと息を吐いた。


「よかった。………………汗と一緒に悪いものも全部出たみたいね」


 ぐっしょりと濡れたクロウの服を、リリアは彼を起こさないようにそっと脱がせる。

 そして、柔らかな布を泉で汲んできた水でしぼり、慣れた手つきで彼の体を拭いていく。リリアを育ててくれたおじいさんが村で唯一の医師であったこともあり、看病することには慣れていた。


「すごい………」


 クロウの体は、村の誰とも違っていた。

 服を着ている時はほっそりと見えていた体は、驚くほど筋肉質だった。とても鍛えていることが一目で分かる。

 さらに、ところどころに古い傷が目に付いた。その中には、命にかかわるような大きな傷跡もあった。


「……とても痛かったでしょうね」


 つぶやきとともにため息が零れる。

 彼はどのような人生を送ってきたのだろうか。きっと平坦なものではなかったはずだ。このたくさんの傷が物語っている。


「さあ、私が落ち込んでいても仕方がないわ。濡れた服を洗ってきましょう!」


 くっと頭を上げると、汗で濡れたクロウの服を持ち、泉へと向かう。

 湧き水のお陰で泉はとても澄んでいた。その冷たい水で彼の服を洗い終えたリリアは、他に誰もいない事を確認すると。自分も服を脱ぎ、それを洗って近くの木に引っかける。

 そして、裸のまま泉の中へゆっくりと入って行った。

 家を出てから4日もお風呂に入っていなかったのだ。水浴びとはいえ、とても気持ちがいい。


「──おまえは、女だったのか……」


 泉から立ちあがったリリアは、突然声を掛けられ、悲鳴を上げて再び泉の中にしゃがみ込んだ。


「す、すまん!」


 慌てた謝罪の声に振り返ると、クロウがリリアに背を向けて立っていた。


「クロウさん! ど、どうして歩き回っているんですか?! 昨夜はあんなに熱が高かったのに!」


 裸の姿を見られてしまったと涙目になりながら、リリアはクロウの体が心配で彼の背中にむかって声をかける。

 だが、突然彼の体が傾いたと思うと、どさりと音を立ててその場に座り込んでしまった。


「きゃああああっ! クロウさん?! 大丈夫ですか?」

「……少し、ふらついただけだ。大丈夫だ」


 やはり、ずっと立っていられるほど体調がすぐに回復するはずはなかった。そんな体で、姿が見えないリリアを心配してここまで探しに来てくれたのだ。


「あわわわわっ、ど、どうすれば……」


 裸のまま泉の中でおろおろすることしかできないリリアの声を背に、クロウはじっと地面を睨みつけていた。


「……すまなかった。俺の為に、こんな場所で足止めさせてしまって」


 クロウの思いつめたような固い声に、リリアはますます慌てた。


「え? いえ、本当に気にしないで下さい。王都へは行ってすぐに帰るだけだったので、一日や二日伸びても問題ないんです。それに、団長さんには馬車代を全額返していただきました! それにちゃんとクロウさんの看病代もいただいているんです!」


 リリアは説明しながら、クロウが後ろを向いてくれている間にと、持って来ていた着替えに急いで袖を通す。悠長に身体を拭いている暇はなかったので、濡れた体に服が纏わり付くが、背に腹は代えられなかった。


「──必ず、俺がおまえを無事に王都へ連れて行く」


 真摯なクロウの声に、リリアの胸の中が温かくなる。

 逆恨みから毒を盛られ、辛い思いをしているのは彼の方なのに、リリアのことを心配してくれるクロウは本当に心の優しい人なのだと思う。


「ありがとうございます。よろしくお願いします。……でも、あの、本当に体の具合は大丈夫ですか?」


 座り込んだままじっと視線を地面に向けているクロウの前にリリアは回り込んだ。

 そして、しゃがんだまま、まだ顔色の悪いクロウの顔を覗き込む。

 驚いたクロウが、美しい切れ長の目を大きく見開いている。その顔を両手で挟むと、リリアは自分の額を彼のそれにくっつけた。


「!」


 さらに驚いた様子のクロウは、声も出せずに固まってしまった。その様子がどこか子供っぽくて、冷たく感じていた整った顔も今はとてもかわいいと思ってしまう。

 リリアは優しい笑みをひらめかせ、うれしそうに声を弾ませた。


「すごいです! クロウさん、たった一晩でしっかりと熱が下がっています。もう大丈夫ですよ!」

「……クロウでいい。『さん』付けはよしてくれ」


 まるでリリアの手から逃げるように顔を背け、クロウが呟く。


「分かりました。クロウ、私はリリアです。これからどうぞよろしくお願いしますね」


 リリアはただ嬉しくて満面の笑みを浮かべながら答えた。その顔をじっと見つめていたクロウは、不思議な子だ、と言って、まぶしそうに黒く澄んだ目を細めたのだった。

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