第5話 オアシス。

二日目。

 太陽が頭上高くから荒野を進む旅の一団を照らしている。ここは、且つて大きな川が流れていた場所だったが、今は砂と所々に草が生えているだけの寂し気な風景が広がっている。


「休憩だ。休憩! 一時間後に出発する!」


 団長の大きな声が響き、馬車が停まった。

 どうやら、予定通りオアシスにたどり着いたようだ。団長の合図で、乗客達は次々と馬車から降り始める。

 最後に馬車から降り立ったリリアは、体を大きく伸ばした。ずっと同じ姿勢で座っていたために、体が固まってしまっていて動かすたびにギシギシと軋(きし)む。ため息混じりに顔を上げれば、今まで見てきた殺風景な場所に比べ、わずかだが木々が茂り、所々に可憐な花が咲いている。

 ふと辺りを見渡せば、いつのまにか他の乗客達は各々食事をしたり昼寝をしたり、わずかな休憩の時間を有意義に楽しんでいた。


(私も早く食べなくちゃ……)


 人目を気にせず休息が取れそうな場所をうろうろしながら探していると、リリアの耳に誰かが言い争っているような声が聞こえてきた。

 声を頼りに木の影からそっと覗く。


(あっ!)


 リリアは思わず声を上げそうになって、慌てて自分の口を両手で塞ぐ。

 そこでは、クロウが痩せた三十代ぐらいの男の腕を捻り上げていたのだ。


「次にすれば、ただではおかない」

「わ、分かった。もうやらない! 許してくれ!」


 男の背を突くようにクロウが手を離すと、地面に投げ出された男の懐から握りこぶしほどの袋が零れ落ちた。男は袋を横目でちらりと見たが、拾いもせず慌てて走り去る。クロウはその袋を徐(おもむろ)に拾いあげると、歩き出した。彼が向かった先は、リリアと同じ馬車に乗り合わせているマルク親子のところだった。彼はむずかる子供をあやしていた母親の目の前に、いきなり拾った袋を突き出した。


「落とし物だ」


 あまりに突然すぎて初めは唖然としていた母親だったが、慌てた様子で懐をまさぐり始めた。

 そして、蒼褪めた顔でクロウを見つめる。


「あんたの物で間違いないな?」


 マルクの母親は、壊れた人形のようにこくこくと首を振る。その手に、クロウは強引に袋を持たせた。


「気をつけろ」


 無表情のままそれだけ言うと、クロウはさっさと立ち去ってしまった。マルクの母親は去って行く長身の背に向かって何度も何度も頭を下げ、お礼を言っていた。

 どうやら、走り去って行った男がマルクの母親からお金の入った袋を盗んだようだ。それに気付いたクロウが、あの男から袋を取り返したに違いなかった。


(……サンタンさんが言っていたように、本当に頼りになる優しい人なんだわ)


 リリアはクロウの事をもっと知りたいと思った。とても優しいのに、わざと人を寄せ付けないようにしている。


『人を見かけだけで判断してはいけないよ』


 おじいさんがよく言っていたことだった。本当にそのとおりだと、リリアは思う。

 その後もクロウの様子はまったく変わらなかった。相変わらず無言無表情を貫き、馬車の辺りに鋭い視線を向けながら警護を続けていた。

 旅は天候にも恵まれ順調に過ぎていく。


 三日目。


 きゃあぁぁぁっ!


 最後のオアシスに到着して半時ほどが経った頃、突如として若い女性の悲鳴が上がった。何が起きたのか分からず、馬車の乗客達はひどく動揺しはじめた。穏やかだったオアシスが一気に騒然となる。

 マルクの幼い妹を馬車から降ろすのを手伝っていたリリアも、慌てて人々が集まっているところへ向う。


「何があったのですか?」


 リリアは集まっている人達に尋ねながら、人の合間から顔を覗かせた。その視線の先、リリアが目にしたものは、愛馬の側で蹲り苦しむクロウの姿だった。


「何があった? ………クロウッ!」


 集まっている人々を掻き分けながら現れた団長のガルロイは、苦しむクロウの傍らに駆け寄ると、膝を付いた。


「しっかりしろ! クロウ!」


 ガルロイは彼の名を呼びながら、すぐさま砂の上で蹲っているクロウの体を抱き起こす。彼は横目でクロウが吐いたものを確認すると、急いで自分の水筒をクロウの口に当てた。


「苦しいとは思うが、もっと水を飲め。とりあえず吐けるだけ吐くんだ」


 二人の様子を遠巻きに見つめている乗客達は、みな不安そうな表情を浮かべていた。リリアの側では3人の子供達が母親にしがみ付いて、怯えた顔でクロウの様子を見つめている。

 あまりに尋常で無いクロウの姿に、リリアは思わず駆け出していた。


「団長さん! これを飲ませてあげて下さい」


 団長の側に駈け寄ったリリアは、すぐさま首に下げていたペンダントを外し、蓋を開ける。


「あんたは……」


 突然現れたリリアに、団長は目を大きく見開いた。


「何を口にされたのかは分りません。でも、毒性があるものを口にされたのではないかと思います。この薬なら中和出来るはずです。私を育ててくれたおじいさんが村で医師をしていました。だから、私もいろんな症状を見てきています。私を信じてもらえませんか?」


 リリアは必死だった。ずっと持ち歩いている薬をガルロイの目の前に差し出す。

 この時、少年の振りをし忘れていることに気付いていなかった。フードが外れ、日の下に顔をさらけ出したままガルロイに縋り付き、ただ懸命に訴えていた。

 一方のガルロイは、リリアの顔に視線を釘付けにしたまま、息を飲む。

 だが、まるで振り切るようにリリアの手のひらに載っているペンダントの中の黒い丸薬に視線を移した。

 そして、意を決したように頷く。露わになった翠緑色の瞳をまっすぐに見つめながら。


「……すまない。有難くいただくよ」


 薬を受け取ったガルロイはすぐにクロウに飲ませた。

 皆が見守る中、ガルロイは長身のクロウを軽々と担ぐと、木陰へ運んで行く。リリアもその後を追った。

 と、その時。


「おいっ! あいつは悪い病気じゃないのか? 王都は目の前だってぇのに、こんなところに足止めされちゃあ、困るんだよ!」


 突然喚きだしたのは、先日盗みを働いた男だ。

 クロウが苦しげに片目だけをうっすらと開け、男を見る。


「………ガ、ガルロイ」


 苦痛に顔を歪めながらもクロウはガルロイの名を呼び、何か耳打ちした。ガルロイの目がクワッと見開かれ、クロウを見下ろしたまま壮絶な笑みを浮かべる。


「分かった。後は任せておけ。おまえは自分のことだけ心配していろ」


 クロウの体をそっと地面に横たえさせると、ガルロイは立ち上がった。

 そして、不安そうにしている客達の顔に視線をゆっくりと巡らせる。


「こいつは、病気ではない。それは安心していい」

「では、すぐに出発できるんだろうな?」


 またあの男が喚いた。


「……」

 

 眉間に深い皺を寄せたガルロイは、横たわるクロウの姿に視線を戻した。王都は目前だった。

 だが、今夜は荒野で過ごさなければならない。クロウが口にした物はかなり毒性が強く、今のクロウを動かすことは得策でない事ぐらい、医療に詳しくないガルロイでも分かることだった。


(団長さんは、決断しかねているんだわ)


「あの……わ、僕がここに残って看病します!」


 クロウの額の汗を拭いながら、リリアは声を上げていた。振り向いた団長はひどく驚いた顔をしている。


「……これから熱が出てくると思うんです。今、動かすのはよくないです。でも、毒を中和する薬を飲んでいるので、二、三日ほど安静にしていればすぐに元気になれると思います」


 今自分が出来ることを必死で考えて出した答えだった。クロウが苦しむ姿を見て、何とかしてあげたいと強く思った。クロウにとって一番いい事は、しっかりと体を休ませること。それ以外に選択肢は、無い。


「……一人で、大丈夫なのか?」


 明らかに困惑した表情を浮かべ、ガルロイが尋ねてくる。


「は、はい。看病は慣れています。僕一人でも、大丈夫です。それに、ここはオアシスだから、湧き水もあるので綺麗な水にも困らないです。それに、わ………ぼ、僕は先を急いでいませんので!」


(嘘をついちゃった!)


 リリアはシャイルが戻る前に家に戻っていなくてはならなかった。ずっと王都行きを反対していたシャイルが留守にしている間にと、内緒で出てきているからだ。


(二日か三日ぐらい遅れても何とか間に合うわよね……)


 気がかりではある。

 でも、そんなことよりも、今はクロウの体の方が心配だった。 


「………すまない。クロウを、頼む」

「え?! そ、そんな、頭を上げてください!」


 リリアは急いでガルロイに取りすがる。彼がリリアに向かって深く頭を下げてきたのだ。団長は見た目が怖いが、とても仲間思いの優しい人なのだと感じていた。


「クロウ。おまえは早く元気になって、この子を無事王都へ連れて来い」

「……」 


 クロウは何か言いたそうにしたが、もう声さえ出せないようだった。薬を飲んでいるとはいえ、効き目は徐々にしか現れない。気を失っていないだけでもすごい精神力だ。そんなクロウの姿から視線を上げ、団長は不安な表情を向けている人々の方へ歩き出した。


「お騒がせして申し訳ない! 予定どおり、今から半時で発つ。各自出発の準備をしておいてくれ」


 出発に向けみんなが慌ただしく動き出す中、リリアのところへマルクが一人でやって来た。


「僕、……あのおじさんにお菓子をもらったんだ」 


 彼が指さした先には、マルクの母親からお金を盗んだ男が立っていた。


「その時に、この黒髪のお兄さんにも渡してほしいって言われて、それを渡したんだ。そしたら………」

「マルクは、大丈夫だった?」

「うん。でも………」 


 青ざめ、苦しそうに目を固く閉じているクロウの顔を、マルクはじっと見つめていた。その顔がゆっくりと歪み、今にも泣き出しそうになっていく。リリアはマルクを抱きしめた。

 そして、まだ幼さが残る少年の顔を覗き込む。


「マルクのせいじゃないよ。このお兄さんは少し疲れていただけなの。ゆっくり休めばすぐに良くなるからね」

「本当?」

「本当よ。だから、マルクは何も心配しなくていいの。さあ、みんな出発してしまう。早くお母さんの所に行かなくちゃいけないわ」

「うん。わかった」 


 マルクは駆け出し、一度と振り返るとリリアに大きく手を振る。リリアも手を振って応えた。


「……酷いわ。マルクを使って、毒の入った物をクロウさんに食べさせるなんて」

「そうだな」 


 いつの間にか、リリアの背後にガルロイが立っていた。


「これは、あなたの旅費だが返させてほしい。それから、これはクロウの看病をしてもらう礼だと思って受け取ってほしい」

「え?! こんなに!」


 ガルロイは六枚の銀貨を、驚いているリリアの小さな手に乗せ、大きな手で優しく包み込んだ。彼は出発前の忙しい中、クロウを看病するリリアに改めてお礼を言うために来てくれたのだ。

 あの怖いと思っていたガルロイの眼差しは、今はとても優しいものになっていた。


「それと、今ルイが建てているテントを置いていく。小さいが雨風はしのげるはずだ」

「ありがとうございます」

「おチビさん。クロウを頼んだよ」


 いつの間にか傍らに立っていたルイがリリアの顔を覗きこんできた。


「ひゃっ!」 


 驚くリリアの顔を見て、ルイは目を丸くする。


「あれ?」

「ルイ。そこまでだ。さあ、俺達も行くぞ!」


 何かを言おうとしたルイを、ガルロイは有無を言わさず引きずって行く。

 きょとんとしているリリアに向かって、ルイは引きずられながら両手を口に当てると、口付けを投げる仕草をする。その後は、両腕を広げて、輝くような笑顔で手を振り続けていた。


「凄い人。………ルイさんって、なんて明るい人なのかしら」


 予定どおり出発した一団を一人で見送ったリリアは、不安を振り払うように胸の前で両手を強く握りしめた。

 そして、クロウが眠るテントに向かって歩き出す。


「必ず、元の元気なクロウさんに戻ってもらえるように頑張るわ!」


 リリアは自分にできる最善を尽くす事を心に誓うのだった。

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