第4話 背中
俺が生まれたのは桜降る季節だった。
早生まれになるか遅生まれになるかの微妙なラインで生まれた俺は、結局同じ年生まれの奴らより一学年遅く入学する事になった。
近所にすんでた兄ちゃんは俺より4つ年上で中学、高校と決して追いつけないその距離が嫌で嫌でたまらなかった。
母も父も遊び人で家にはほとんど帰ってこなかったし、俺の事も好きではないみたいで家にいても俺を見るとすぐに出かけていく。
両親の仲は悪くないけれど、もう性的には見れないだとか、友達感覚だとか訳の分からない理由で愛の結晶とも呼ばれる子供という存在が目障りなのだと言っていた。
小学生の頃あたりからそんな不思議な家庭になってしまったがゆえに、兄のような彼だけが頼りで親愛のような友愛の様な感情を抱いていた。
大抵の「はじめて」は兄ちゃんと迎えてきたし、沢山の冒険を共にしてきた。
女子のスカート捲ってみるとか、ゲームの攻略だとか。
冒険といってもくだらないことばかりだったが、それでも兄ちゃんとの時間は愛に飢えた俺に愛情を教えてくれたのだ。
しかし俺が高校卒業してからは疎遠になってしまっていて、全然会えていなかった。
一人暮らしを始めた兄ちゃんの住所を聞く事は思春期に入っていた俺には少し照れくさくてできなかったのだ。
いつまでも兄ちゃんにベッタリで甘えてばかりではいられない、そう思ったあの頃のひとり立ちするためにした精一杯の兄離れだった。
その後は俺も一人暮らしをはじめてしまったため、LINEも交換してなかった俺達は偶然でも起こらない限り会うことは出来なくなってしまった。
夜が深く濃く感じてしまう日は何故だか無性に寂しくて、いつも兄ちゃんとの思い出を辿りながら眠りに落ちる。
ぽつりぽつりとこぼれ落ちる思い出の数々を忘れていないか確認しては安堵する。
この思い出を無くしてしまったら自分は本当に一人きりになってしまう気がして怖い。
愛を知らない人間に戻ってしまいそうで、慌てて昔の欠片を拾うのだ。
そして昔、意地を張って連絡先を交換出来なかった自分を責めた。
兄ちゃんが隣にいてくれたらいいのに、なんて夢を見ては叶わない現実を味のしないガムを噛み続けるように噛み締めた。
今日もそんなセンチメンタルな夜だったのだ。早く寝てやり過ごしたいのに、なかなか寝付けなくて外に出た。
黒いパーカーをきてフードを深く被り伝う涙を隠しながらただただ宛もなく歩き続ける。
この夜に終わりなんて来るのだろうか。
もしかしたら俺は永遠にこの苦しい感情をどうにもできずに夜をさまようのだろうか。
そしてきっとそんな夜を過ごすうちに愛なんてものを全て忘れてしまうのだ。
あぁ、こんな恐ろしい事他にない。
いつから自分はこんなに薄暗い人間になってしまったんだろう。
昔はもっと楽観的でいられたのに、悲しくても寂しくても、死にたいなんて思うことはなかった。
悲しいなりに生きてきたし兄ちゃんもいた。
今は全て一人で何とかしなくてはいけない、それがきっと俺には重すぎる。
重すぎてよそ様の人生なんて預かれないし、今まさに自分の人生に押しつぶされそうになっている。
どれだけ考えてもプラスにならない思考にはぁ、とため息をついて近くの公園に入った。
自販機で飲み物を買って飲みながら寂しげに揺らめくブランコを眺めた。
昔は勝手に動くブランコに恐怖したものだが、大人になってしまえばもう何とも思わなくなってしまう。
もっと怖いものなんて世の中にごまんとあるのだから。
もうすぐ俺の生まれた日がやってくる。
ようやく寒かった冬もなりを潜めて暖かな風が吹き始めたもののやはり夜風はまだ寒い。
くしゅんとくしゃみをして鼻をすする。
このままだときっと自分は風邪をひくだろう。
そんな事は分かりきっているのに足はブランコの柵にもたれたまま動くことが出来ない。
足は動かないのに瞼はゆっくりと落ちていく。
ようやく眠れる、そう思ったのに後ろから声をかけられた。
警察とかだったらめんどくさいなぁなんて思いながら顔を上げて、固まった。
足どころか表情までもがぽかんとしたまま固まってしまった。
だって、そこに立っていたのはつい今さっきまで会いたくてたまらなかった兄ちゃんだったのだから。
「あれ、もしかしてかなで…?」
気づいてくれた、あとは久しぶりって笑うだけなのにその一言がどうしても出てこない。
代わりに涙が馬鹿みたいに溢れ出た。
なんでいつも俺がいて欲しい時に現れてくれるんだろう。
ヒーローみたいに、そこにいるだけで勇気をくれる、元気をくれる。
だからこれは悲し涙ではないのだ。
嬉しくて、頭の中がぐちゃぐちゃになって、バグが発生してるだけ、きっともっと幼かったら抱きついてしまっていたと思う。
「兄ちゃん…なんでここにいるの…」
久しぶりにみた兄ちゃんは背がうんと高くなっていて、頼り甲斐のありそうなしっかりとした体つきになっていた。
「相変わらず汚い泣き顔だなぁ、なんかあったの?」
自分の服が汚れることも厭わず袖で俺の涙を拭いそっと隣に腰掛けた。
頭に大きな暖かい手を乗せてぐいっと兄ちゃんの胸に引き寄せられる。
もう悲しくなんてないはずなのに、満たされた胸がきゅうきゅうと歓喜の悲鳴をあげているせいで涙が止まらない。
「会いたかった…兄ちゃんがいなくて寂しかった」
俺はまるで幼い子供に戻ってしまったかのように泣きじゃくりひくひくと喉を鳴らして兄ちゃんに甘えた。
「お前さぁ……いや、なんでもないや、とりあえず家帰ろ。風邪ひく。」
よしよしと撫でられていた背中から手が離れていくのが少し名残惜しくて、立ち上がった後そっと兄ちゃんの服の裾を摘んだ。
「兄ちゃんの家…?」
俯いたままそう呟けば深いため息の後、裾を摘んでいた手を離され恋人繋ぎのような形で手を取って歩き始めた。
二人無言で歩く夜道は不思議と落ち着く。
さっきまでの鬱蒼とした感情の嵐はどこへ行ってしまったのかと思うほど、静けさを取り戻していて自然と口角があがった。
兄ちゃんの家はこの近くなのだろうか、なんであんな時間に公園に来たのか、一切振り返る様子のない兄ちゃんには尋ねることが出来なくて一人で勝手に想像しては首を捻る。
答えは兄ちゃんしか知らないのだが、首を傾げて悩む俺の手をきゅっと一瞬強く握られてしまうと、俺の心臓も一緒に握られてしまったのかと思うほど胸がきゅっとなってしまい、答えなんて知らなくてもまぁいいか、なんて思ってしまう。
それより今はこの手の温もりを守ることの方が大切なのだ。「ここ、今の俺ん家。久しぶりだしちょっと喋ろ」
鍵を開けて靴を脱ぐ、それだけなのに初めての場所に戸惑っているのかいつものようにするっと行うことが出来ない。
もたもたとしている俺とは裏腹に慣れた仕草で部屋へと入っていく。
この場所を帰る場所として沢山の思い出を作ってきたんだろう、そんな自分の知らない兄ちゃんの時間を感じさせて少しだけ胸が傷んだ。
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