第2話 皆既月食

世間様は今夜の皆既月食に浮き足立っていた。

なんだかよく分からないけれど3つの現象が重なる珍しい月食らしい。

何十年に1度だとか何百年に1度なんてもう何回も聞いた気がするし、その一個一個の違いなんてみんなよく分かっていないに決まっているのによく毎度毎度騒げるものだ。

昔はもう少しワクワクしたりもしてた気がするけれど、今はもうどれだけ騒いでも僕の目には映らない。事実この瞳からはなにも見えないのだから。

原因はなんだったのかすら覚えていないし、いつからだったのかも忘れてしまった。

年齢なんてものは案外どうでもいいもので、今いくつだと問われても僕は10秒止まってから答えてしまう。

自分というものに興味が無いのだ全くと言っていいほどに。

まぁとりあえず考えなしに薬を馬鹿飲みしたり、目を傷つけたりするもんじゃないってことだ。

それが僕の失明の原因では無いかもしれないけど、余計な事は極力するなってことなのだ。

人間見た目さえ普通にしてれば中身がどうであれ普通に生きていけるのだから。

朝のニュースを聞きながら、誰に語るわけでもなく呟いた。

どこから言葉が零れていたのか分からないし、もはや呟きと言えないほどに長ったらしい独り言だったけれど。

誰も聞いていないし聞いてくれる相手も聞かせたい相手もいないのだからまぁ、問題はないだろう。

迷惑してる物がいるとするならばつい先日拾ってきたこの子猫1匹だろう。

しかし猫は言葉を吐けない。

つまりは誰にも迷惑はかけていない。

よし、今日も僕は誰にも迷惑をかけていない。

またもや誰にいうわけでもない言い訳と宣言を決して小さくない声で吐き捨てた。

大体ここまでが日々のルーチンワークで、これを済ませてから財布と携帯のみを持って外へ出る。

素敵なステッキなんてものは使わない主義で、勿論盲導犬なんてのも遠慮させて頂いている。

全てが見えなくなっているわけじゃない、人の魂のような淡い光だけはまぶたの裏に映る。

それは、まるで星空を閉じ込めたように綺麗で儚く美しい。

それを見るためだけに危険な道を歩く。

もうひとつ理由を付け加えるとするなら恐怖という感情を理解しえないからでもある。

まず、痛みを感じにくく出来ているらしいこの体は怪我をする恐怖というものを伝えず、そんな僕を不気味がる人は文字通り視界には映らない。

それゆえに僕は周りの人間も怖くないし段差も別に怖くはない。

ついでに言えば自分にも興味が無いためいつ死んでもいいと思っている。

一応記憶を頼りに段差は避けているけれど最初のうちは転ぶ事も少なくはなかった。

それも一ヶ月もすれば無くなって僕を邪魔する障害物は何もなくなった。

僕は人の話を聞くことが出来ない病気を患っているので(自称であり、性格的な問題でもある)誰にも左右されない人生というのはわりと楽しいものだ。

見えている頃はすべてが醜く汚かったから。

僕を可愛い、愛おしいと自分勝手な愛を擦り付ける親や〜してあげるとか身勝手な恩を売るやつとか。

ニコニコしてればなんでもしてくれたからそうしていたけれどそれもすっぱりやめた今は本当に1人で自由で楽しい。

びっくりするほどに。

楽しかった、のだ。

あいつに会うまでは。

そいつと関わることになってしまったのは僕のせいだった。

むしろあっちは被害者といっても過言ではない。

いつものように街を歩いていたら、ひとつ異様に光っている星を見つけた。

それで、つい間がさして話しかけてしまったのだ。

「ねぇ、ちょっといい?」

ナンパにしても酷すぎる声のかけ方だったのは充分自覚していた。

仕方が無いんだ、人と話すのは久しぶりなんだから。

「えーっと?どうかしましたか?」

声からしても伝わるぽわぽわ感。

お人好しオーラというか、とにかくふわふわした空気が伝わってきた。

「急に声かけてごめんなさい。1人だけとても強い光を放ってるからどんな人かと思って。」

きっとこうやって話しかけた時の僕はそれはそれは不審な人物だったことだろう。

僕もつい、自分以外の人には星が見えていないことを忘れてしまっていたのだ。

いつもみたいに、いつもの独り言みたいに話してしまった。

それなのにあいつはなんでわかったの!?なんて大袈裟に驚いて僕をカフェへと連行した。

「君!光が見える人なんだね!」

もしかしたら僕はとんでもない電波女に話しかけてしまったのかもしれない。

自分の事はまるっきり棚に上げて、そう思った。

「目を閉じた時だけ見えるそれはね、運命の人を見つけるおまじないなの。」

彼女の纏まりのない話を代わりに纏めるとこういう事らしかった。

運命の人だけはとにかく明るい綺麗な光が見えるらしい。

そもそもその星空を見るには清くいなくてはいけなくてもう殆どの人間が見えなくなっているものだということ。

彼女もつい最近までは見えていた事を話してくれた。

「という事は僕の運命の人は貴方って言うことになるみたいだね」

じゃあとりあえず結婚でもしとく?と微笑みかけた僕を君は思いっきり叱りつけた。

「わかった!私はその君の可笑しい思考回路を治すために出会ったんだよ!」

勝手に叱りつけて、喚いた後失礼なところに話の腰を落ち着けて納得しやがった。

僕は生まれて初めて自分と同じくらいに人の話を聞かない人間に出会った。

「それにしても僕が清いなんて信じられないなぁ僕そこそこ普通に性格悪いと思うけど。」

「うんうん。わかるかも、読点をつけずに話す人ってあんまり正確良くない。」

「いやぁ句点はつけられるから50パーセントくらいは性格いいかも。」

あんまり深く考えずにほいほい返答を返していたら君の頭にはハテナが浮いた。

くてん…?と顔に書いてあるようだった。

「なんで読点は分かるのに句点はわかんないの?馬鹿なの?句読点っていうだろ?」

「あ!てんとまるのまるのほうか!」

申し訳ないけど、ため息が出たのは返事が平仮名だったからって言うのもあるけど初対面の人間を心の底から馬鹿にしてしまった僕への失望のため息だ。

だからそんなにぷんぷんと馬鹿みたいに怒らないでほしい。

「そんな性格の悪い君とは運命共同体みたいだから、この私が連絡先を交換してあげるよ。」

さっきまで怒ってたのはなんだったんだよと言いたくなるほどころっと態度を変えてスマホを差し出してきた。

「残念だけど僕は目が見えないからメールは見られないんだよ。おまけに耳も悪くて電話も聞き取れない。」

嘘をついたバチが当たったのか結局番号を交換することになった。

それなら仕方ない。じゃあ君のスマホを貸してくれる?といって聞かないから渋々嫌々連絡先を交換してあげたのだった。

久しぶりに人と話したのが楽しかったとか、君との会話が気に入ったとかそういう訳では無いんだけどね。

「君の名前教えて欲しいな。私の名前は内緒だけど。」

「僕の名前?ないよそんなの。だって僕の名前を呼ぶ人がいないからね。」

「じゃあ友達のいない可哀想な君に私が名前をつけてあげるよ!」

「いや、僕の名前は君でいいよ。そして君の名前も君だ。」

馬鹿みたいな会話を沢山して僕はそのカフェを1人で出て家に帰った。

君は頼んだコーヒーが飲み終わらなくて置いてくな!と再び喚いていた。

ぽわぽわしたオーラは僕の勘違いだったというわけだ。

その日から度々僕達はあのカフェで語り合った。

僕の職業だとか君の職業だとかは全く話題に出なかったね。

会うのは決まって平日の昼間だったのに。

「君は実は結構イケメンだけど彼女はいるの??」

「普通にイケメンだけど彼女はいないね。ナルシストだからかもしれない。」

半分くらいしかお互いの話を聞いていなかったし、受け答えはいつだって適当でそれで僕らは成り立っていた。

そこに現実は持ち込まれなかったし、僕達の中である意味一番神聖な場所だった。

「ナルシストといえば人間の殆どってナルシストらしいね。口に出して言うのが世間的にはナルシストだけど、心の思ってるのも同じだとは思わない?」

「珍しく頭の良さそうな事を言うね。さては相当ナルシストに恨みがあるんだね。振られたの?可哀想に」

「目の前にいるナルシストにいつも虐められてるからかもしれないよ?」

最後のはまたお得意の聞こえない病気に邪魔されたので何を言ったのかは全くわからなかった。

「それで、相談なんだけど私ね。ストーカーされてるみたいなの。やっぱり可愛いからかな?」

この時、僕はいつもの軽口だと思って聞き流してしまった。

僕のせいで、君はこの日死んでしまったのだ。

本当に君は悪質なストーカーに合っていて、そのストーカーは、僕の熱烈なファンだった。

小学校の頃から、つまりは僕の目が見えていた頃から僕の事が好きで、ずっと追いかけていたらしかった。

いつも1人だった僕に女が出来たことに逆上して裏路地に連れ込まれ辱められた後に殺されたのだと警察に聞かされた。

しかも、彼女が星を見れなくなったのは彼女が知らない男達に襲われて純情を散らしたからで、今回彼女を襲ったのも僕の熱烈なファンという男達だった。

要するに、彼女は僕のせいで命を落としただけではなく過去のトラウマと同じ経験を味わいながら息絶えたのだ。

人に興味はなかったはずなのに、初めて大声で泣いた。

痛いというのはこういう事なんだと初めて知った。

たくさんの初めてをくれたのに、僕は君に何も出来なかったどころか死に追いやったのだ。

一番惨い方法で。

最後に交わした会話は、あまりにもいつも通り過ぎて。

「見てみて、あ、見えないのか。」

「なにをみてほしいのさ。心の目で見てあげるから話してみなよ。」

「黄色のレインコート買ったの!目立って可愛いでしょ?」

「君はまだレインコートをきているの?そんなの自転車に乗っている人か小学生しか着ないものだと思ってたよ。」

「読点をつけられない君も小学生かもよ?」

「残念だけど僕は独り言の時はきちんと読点も使うよ。君が相手だから丁寧に話す必要もないしね。」

「これだから自分大好きナルシストは…」

「君本当はナルシスト結構好きでしょ??ナルシストの話題はいつも大体君からだ。」

なんて、くだらない会話をしたのが悔しい。

目立つ黄色のレインコートなんて、小学生が事件に合わないようにわかりやすい色でって意味な事くらい分かっていた。

彼女もまたストーカーに連れ込まれたりしないよう、派手な色で人通りの多い道を歩いていたんだろう。

それなのに、彼女が家に着いて安心してコートを脱いだ途端に攫われたのだ。

毎日毎日朝のニュースを聞いても君への後悔しか出てこない。

けれどやっぱり僕は自分が可愛いナルシストだから悲しい現実を忘れるために外へ出る。

小学生のような黄色いレインコートを着て。

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