第7話 宇宙人と地球人の間

 それからしばらく龍平の姿を見なかった。もしかしたら、このまま会う事もないかもしれない、と思ったりもした。 

 私は、学食のうどんをいつものように食べた。相変わらずの安っぽい味が、私の口を喜ばせた。最後の一滴まで汁を飲み干し、食器を返却口まで運んだ。残飯を洗い流すザルの上には、ごはんやおかずが無残に捨てられシャワーが洗い流していた。白い制服に身を包んだ厨房の人たちは、いつもの手際良さで汚れた食器を水洗いし、大きな機械に投げ入れていた。カラカラと、プラスティックの食器は軽快な音を立てている。当たり前のように、食堂に響く音が平穏を感じさせた。

 講義が五限まで続く金曜日ほど憂鬱な日はない。昼過ぎの大学は気が抜けていて嫌いだ。時間が退屈そうに流れていて、まるで活気がない。もうすぐ試験期間に入るからか、学内で勉強をしている学生も多く居る。私はまだここに留まらなければならない。次の教室は、パソコンルームだ。


 私の授業料は父親の遺産から支払われていて、何年か留年してもまだ余裕はあるから安心しろ、と叔父さんは冗談のように話してくれたが、それは私に対する思いやりなのか皮肉なのか、さっぱり分からなかった。真に受けて、勉強を疎かにするつもりはない。この建物に、四年以上通いたいとも思わない。

 子供のいない叔父夫婦は、不器用なりに私と向き合い世話をしてくれた。しかもあの衝撃的な出来事から、突然、実子でもない子供との生活で静かな時間もなかっただろう。私は、足を宙に浮かせたまま、ふわふわとしていた。明らかに邪魔者と分かっていても、大人に言われるように生きるしかなかった。

 与えられた部屋が、あの豪邸の部屋よりも、リラックスできたことだけが救いだった。居心地の良さに、金は関係ないのだ。


 冷房が効いたパソコンルームのいつもの席に座った。龍平の姿は見当たらず、私はパソコンを立ち上げてから机に顔を伏せた。

「あの、隣いいですか?」

 自分に向けられた声かも分からず、一応、顔を上げてみると、横に女子学生が立っていた。目が合って「どうぞ。」と答えた。

「良かった。この前は、ありがとうございます。」

 アンダーバーの女子学生だった。あまり人の顔を覚えるのが得意ではないが、彼女の身なりには特徴があったためすぐに分かった。髪の毛は金髪だ。それだけで、私は彼女をアンダーバーの女子学生と結びつけたが、もしかしたら、全く別人の、たまたま同じ金髪をしている女性だったのかもしれない。だが、彼女の次の言葉で、私の記憶は間違っていないと分かった。

「あれ以来、アンダーバーだけはすぐに分かるんですよ。でもあんまり普段はパソコンやらないから、いろいろとすぐ忘れちゃうんですけどね。」

 彼女は私の隣にさっと座った。全身を真っ黒の服で揃え、指にはいくつも指輪をはめていた。マッチ棒のような細い脚に、十センチはありそうな高さの靴。化粧はほとんどしておらず、顔だけ見ていれば高校生のようでもあった。

「音楽やってるんですか?」

 私は彼女にそんな質問をしてみた。特に興味があったわけではないが、彼女がずっと私に笑顔を見せていたので、何か話さなければバツが悪かったのだ。

「やってます。大学で音楽サークルに入ろうと思ったんですけど、私のやりたい音楽とは違ってて。だから、自分でメンバー募集して、今は、時々ライブハウスで演奏したりしてるんです。」

「へえ、すごいですね。」

「全然、下手くそなんですけどね。やってるだけで楽しいんです。」

「そうですか。」

 特に必要のない会話はリズムが悪かった。

「音楽好きですか?」

「いえ、そんなに好きでもないですけど。」

「あんまり聞かないですか? 残念だな。」

 彼女は、そう言って笑ったきり、私の方を二度と見ることはなかった。講義の間、彼女は、難しそうにキーボードを叩いていたが、私に質問はしなかった。少し期待していた自分が馬鹿みたいだった。

 課題が一つ出て、講義は終わった。学生らは、不満を抱えながら教室から出て行った。私も立ち上がり、教室から出た。外のベンチには龍平が座っていた。相変わらず、コンセントの先にはスマホがくっついていた。

「久しぶり。元気だった?」

 そんな言葉しか口から出てこなかった。

「元気じゃないけど、生きてるよ。」

「良かった。大学は、休んでるの?」

「ああ、ちょっとね。たぶん来年は休学する。お金ないし。」

「しまった、今日、昼ご飯持ってきてたの忘れて、学食で食べちゃった。」

「は?」

「これ。」

 私は鞄の中からパンを取り出して龍平に見せた。猛暑日が数日続いていた。持ってきたメロンパンの甘皮がリュックの中で溶けかけ、柔らかくなっていた。

「なんか、無残だな。」

 龍平が言った。メロンパンは外側の皮が一番おいしいのだ。指でちぎって食べるにも難儀しそうなほどだった。

「どうすんの?」

 龍平がニヤニヤして、私を見た。

「家で食べる。」

「メロンパンが夜ご飯か。いいね。」

 久しぶりに見る龍平の意地悪そうな笑顔だった。

「大学休んで何してるの? バイトでもしてるの?」

「ああ、バイトしてるけど、週二か三くらい。」

「弟とお母さんは?」

「行方不明のままさ。」

「本当に?」

「嘘ついてどうするんだよ。本当だよ。」

「お金は?」

「なんだよ、お前。心配してくれるの?」

「心配だよ。」

「本当かよ。お前さ、いつも嘘っぽいんだよ、言う事が。」

 そう言って龍平は、スマホの画面を覗いた。

「まだ八十%だよ。ったく。」

 龍平は相変わらず宇宙人のようだったが、機械に翻弄される所はしっかりと地球人でもあった。

「真剣な話。お金、大丈夫なの?」

「それがさ、実は昨日、現金書留が届いてさ。」

「え? 誰から?」

「母さん。」

「じゃあ、無事ってこと?」

「そうだね。」

「良かったじゃない。」

「良くないでしょ、普通じゃないでしょ。」

「でも、とりあえずは、お金もあるんでしょ?」

「まあね、大した金額じゃないけど。これって、どういう事か分かるか?」

「さあ。」

 私は返事に困った。

「ひどいだろ。」

「お母さんは弟と一緒にいるの? 住所は? 書いてなかったの?」

「書いてあったよ。」

「どこ?」

「H県。」

「すごく遠いね。」

「本当かどうかも分からないよ。あの弟連れてさ、どこで何してるっていうんだ? お荷物になるだけだろ? そもそも、一緒にいるかどうかも分からない。何考えてるんだか、さっぱり。」

「でも、生きてるって分かっただけいいじゃない。」

「そうか? 死んでくれてた方が、良かったよ。」

 龍平は、中途半端が嫌いで、黒か白かはっきりさせたいのだ。

「あのさ、今度、出かけない? レンタカー借りるから、ちょっと遠くまで。」

「遠く?」

「だから、例えば、山とか、海とかさ。」

「そういうの、苦手だから。」

「良いって、二人だけだから。」

「つまらないよ、私が行っても。お酒飲めないし。」 

「そんな事、分かってるって。」

 何か企んでいるような龍平の笑顔が不気味だった。


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