第5話 火事

 私が住んでいた家は、町では一番大きく立派な日本家屋だった。敷地面積は、小学校よりも広いと言われていて、事実そうだった。門構えも厳かで、近寄りがたい空気が辺りに充満していた。使用人は数人いて、一人は常に出入り口付近を竹ぼうきで掃除をしているような御屋敷だったのだ。

 庭園のようになっている庭には大きな池があり、そこには石橋が架かっていて、鯉が何匹も泳いでいた。子供の頃、その橋の上から鯉に餌をやるのが日課だった。大口を開けて、私の投げ入れる餌を飲み込む鯉たちを見ていたら、人間で良かった、と思えた。

 そんな豪邸での生活に、自由を感じた事はなかった。学校から帰り、玄関で靴を脱いで自分の部屋へ行くまでに、家政婦数人とすれ違い、その度に今日の学校はどうだったか、寒かったろう、お腹すいたろう、と声を掛けられるのだ。私はその人達の事が大嫌いだった。


 小学六年生の頃、その家が焼失した。全焼だった。両親が亡くなり、私は突然一人になった。

 通夜と葬儀では、あなたはここに居なさい、と言われた場所に座っていただけだった。仮通夜、通夜、本葬と、丸三日間を葬儀に費やした。私はその間、どこにも行けず、手元のゲームで遊ぶことも、漫画を読むこともできなかった。牢屋に入れられ、まるで罪を償っているかのような生活を強いられた。何も悪い事をしていないのに、非常に重たい何かを背負わされたような気分だった。

 私が生まれる前から働いていた家政婦の琴実さんだけが、私を気遣ってくれた。葬儀の間中、私に寄り添い、細かに世話をしてくれた。他に働いていた人達は、私に一言も告げることなく、どこかへ姿を消した。働く場所がなくなったのだから当たり前の事だが、大人に対して大きな不信感を抱いた。

 琴実さんは四十歳くらいの小柄で小太りの女性だった。顎の先端に、大きなほくろがあった。私は、そのほくろを見るたびに、琴実さんを可愛そうに思った。自分の顎に、それが付いていたら嫌だったからだ。しかし琴実さんは、そんな事気にもしていない様子だった。少し膨らんでいるそのほくろを、右手人差し指で撫でて、にこっと笑うのが癖だった。私を自分の子供のように可愛がり、両親の代わりに授業参観や、懇談会にも来てくれていた。琴実さんが私の母親だと思っている級友もいたくらいだった。その事実は嫌だったが、その場で否定すれば家政婦の存在を自慢するような気がして、何も言えずにいた。

 

 火事の前日、琴実さんは私の大好きなカレーを作ってくれた。その日だけ、コロッケが二つ乗っていたので、嬉しくて、よく覚えている。

「今日はコロッケが付いているんだ!」

私が喜ぶと、

「今日だけ特別よ。明日は、お休みさせてもらいますから。」

琴美さんはそう言い、浮かない笑顔を見せた。いつも見る、明るく朗らかな琴実さんの表情ではなかった。

「だからコロッケ? どこか行くの?」

と聞くと、

「いいえ、どこにも行きませんけどね。」

と答えただけだった。そして、琴実さんが休んだ日に火事は起きたのだった。


 葬儀後は、近所に住むおじさんの家に逃げ込んだ。年に数回会う程度の親戚のおじさんではあるが、良く知らない大人たちの家で生活するのは、窒息しそうな程苦しかった。ガラガラ声でいつも迫るように話してくるおじさんは、市議会議員をやっていて、父の家よりも狭かったが、世間一般で言えば、随分と大きな家に住んでいた。私はおじさんの家の離れを使わせてもらい、高校を卒業するまでそこで過ごした。

 私の家の火事騒ぎは、放火殺人事件として大きなニュースになった。事件性が高いとスキャンダラスな報道に追いかけられたが、それも数日したら嘘のように静かになった。事件の真相は、今でも藪の中だ。犯人は、未だに見つかっていない。そもそも、失火なのか放火なのかすらはっきりしていない。琴実さんとも、葬儀以来会う事はなかった。

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