第3話 宇宙人の妄想

「いい加減、小銭も尽きたよ。」

 午後一番、龍平の声が頭上に降り注いだ。寒いくらいに冷えたパソコンルームだ。私は仕方なく頭を持ち上げると、真っ赤な頬の龍平が立っていた。少し息も切れている。走ったのだろうか。

「弟さ、きっと死んでる。母さんも多分一緒。そう思わないか?」

 私の隣にはすでに着席している学生がおり、汗臭い龍平は立ったままで、少し前かがみ、私の耳元で囁いた。何だろうか、あの臭いは。体臭か。街の中でも時々臭う、上手く例えられないが、鉄のような、金属質の何か。訳の分からない化学反応。不快な体臭。龍平はたまに、その臭いを発する。

 私は、龍平に気が付かれないように、密かな一瞥を向け、龍平の言ったその言葉を鵜呑みにするべきか、否定して、他の筋道を与えるべきか考えたが、何故か急かされているように思われ、慌てるようにして答えた。

「どうかな、分からない。でももう一週間?」

「ああ。腹減った。昨日も何も食べてないんだ。」

「大丈夫?」

「通帳とかカードとか、何もないんだ。家中探したんだけど。」

「やっぱり警察に……」

「やめろよ、警察なんて駄目に決まってるだろ。」

 龍平が小さい声で、さらに興奮気味に囁いた。

「どうして?」

「嫌なんだよ。母さんが弟を殺して、自分も死んだんだよ。どうしろって言うんだ。もし見つかったら、死体見るの? 葬式とか? 気持ち悪いし。」

 まさかそんなはずはない。真実がそうであるとは限らない。いや、普通に考えて、その可能性は少ないだろうと、私は思ったが龍平には伝えなかった。

 龍平は大きなため息を私に聞こえるように吐き出して、教室一番後ろの隅っこの席に移動した。

 パソコンの為に冷やされた教室では、淡々と講義が進められた。私は得意なパソコン操作を今更教えてもらう必要はなかった。しかし周りには、両手の人差し指二本でもってキーボードを触る、慣れない手つきの学生ばかり。

「あの、すみません、これって、どうやって打つんですか?」

  隣に座っていた女子学生がアンダーバーの打ち方を聞いてきたので教えると、

「わ、すごい! どれだけ探しても分からなかったんです。詳しいんですね、パソコン。」

 満面の笑みで有り難がられたのには、どういう表情をしたらいいのか困ったが、とりあえず簡単な笑みを返しておいた。

 

 講義が終わり教室から出ると、外のベンチで、龍平が待っていた。私は、龍平の隣に腰かけた。

「途中で抜けたの?」

「ああ。あんな寒いとこ、居られるかよ。今日は、これで終わりだろ?」

 大学の廊下には、全面グレーのカーペットが敷かれている。人とすれ違うのには十分な幅があり、広々としていて気持ちが良い。清掃会社の人間が、常にどこかを掃除していて清潔に保たれている。所々にある柱の間に、木で造りつけられたベンチが並んでいる。建物の北と南には丸テーブルと椅子のセットが並べられたフロアが広がっていて居心地も悪くない。

 ベンチの脇に据え付けてあるコンセントに、龍平のスマホが繋がっていた。

「充電?」

「ああ、電気代節約。」

「お金、少しならあるよ。」

「いいよ、お前のお金、もらう訳にはいかないから。」

「そんなこと、気にしないでいいよ。少ししかないけど。」

 私は、三千円を財布から取り出し、龍平へ手渡した。

「悪い。」

「いいよ。」

「そういえばさ、お前の生活費ってどうなってるの? 僕もさ、なんかお前みたいな状況になってるじゃん、今。父親がどこにいるか分からないから、どうにもならないけどね。」

 龍平はそう言って、ベンチの上に置いてあった鞄の中から財布を取り出し、私の三千円を素早くしまった。

「どうなってるのって……」

「嫌ならいいよ、無理して話さなくても。悪いな。」

 傲慢な性格の中にも、ちょっとだけ弱く優しい面があるらしい。

「いや、いいよ。あの事件はもう。子供の頃だったし。成人するまでは、叔父さんが全部預かってくれてて、学費も生活費も全部、父親の遺産から出してくれてるんだ。」

「へえ、それってさ、信用できるの?」

「どういう意味?」

「その、叔父さん? 使い込んでるかもよ。だって、すごい額なんだろ、遺産。」

「それは、時々不安にはなるけど、今はどうしようもないから。弁護士が間に入ってるし、生活出来てるだけでいいかって。二十歳になるまでは大人しくしてる。」

「マジかよ。なんか、納得いかねえな。お前の父さん、すっごい金持ちだったんだろう? 噂でしか知らないけどさ。代議士っていうの? 政治家? 代々続いてたんだろ? 何だか良く分からないけど。まあ、お前は良いよ、困ってることもなさそうだし。」

 そう言って、いつもの不満そうな顔をした。龍平は、私が不幸である方が楽しいらしい。

 

 不意に私のスマホが音を出した。慌てて鞄から取り出した。電話だ。アルバイト先からだった。いい加減、辞めようと思っているファーストフードのバイトは、時給は低い上に、働く人間の質が悪すぎだ。敬意と教養のない人ら。自分も同じような人間になってしまいそうな気がして、たまらなかった。シフト変更を頼まれたが、断った。やっぱりもう辞めよう、今度バイトへ行ったら、辞めると言おう、と決めた。

「誰?」

「バイト先。今度の土日出れるかって。」

「で、断ったんだ。」

「うん。」

「用事あるの?」

「別にないけど。行きたくなくて、あの仕事。」

「お前、バイトなんてしなくてもいいんだろ?」

「でも、小遣いくらいは自分でって、思って。」

「真面目だねえ。あ、それよりさ、お前、スマホの着信音、デフォルトやめろよ。」

「え?」

「そのデフォルト音、やめろって言ってんの。」

「なんで?」

「分からないなら、いいよ。あーあ、一体、僕はどうすればいいんだ。」

「やっぱり警察に……」

「だから、それはあり得ないって。」

「でも、龍平は何も悪い事してないんだから、いいじゃない。」

「何度言ったら分かるんだよ。そういう問題じゃないって言ってるだろ。」

 龍平はイラついた様子で、スマホの画面をのぞき込んだ。

「なんだよ、まだ90%かよ。どいつもこいつも。」

 

 龍平の宇宙人らしさは、少し影を潜めていた。機械の前では、宇宙人も無力らしい。無精ひげまで生やした龍平に、少し疲労感が読み取れた。

 そんな姿に同情したわけではなかったが、私は龍平を部屋へ誘った。夕食でもご馳走しようかと思った。龍平は、偉そうな態度で何度か断ったが、何度目かの誘いを面倒臭そうに受け取った。宇宙人に、優しさは必要ないのかもしれない。誘ってからわずかに後悔した。

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