第2話 宇宙人との再会

 龍平に家族の失踪を知らされた翌日は、朝から蝉の合唱がひどかった。耳を突き刺し、同じ夏を感じさせるにも、トマトとは大違いの図々しさにうんざりとした。

 鉄の扉をガチャリと開けて、バタンと閉める。鍵穴にも夏が潜んでいる。手に熱が伝わった。これにもまた、うんざり。ジワリと首筋に滲む汗を垂らしっぱなしにして、影のない歩道を歩く。そのうち車道に出て、路側帯しかない道を歩く。朝から、狭い道路を馬鹿みたいにスピードを上げて走り去って行く車ばかりだ。

 私は車が途切れるタイミングを見計らい横断歩道を渡る。いつか轢かれるような気がして、その時ばかりは心臓が早く打つ。その先にある急な坂道を下ると用水路に突き当たる。左に折れ、用水に沿ってしばらく歩くと、私の通う大学の四角い建物が見えてくる。大学前の横断歩道で立ち止まり、再び車の往来を待って反対側へ渡る。その先には一直線に伸びる登り坂。てっぺんに待ち構えている真っ白な建物は、中身だけが入れ替わっていく無情で優しい建造物だ。敷地内に一歩踏み入れると、私の気持ちはあらゆる方面で引き締まる。


 龍平とは、幼稚園から小学校まで一緒だった。特に仲が良かったわけではないが、悪かったわけでもない。いつも集団で遊んでいたので、特に龍平と一緒に遊んだ、という記憶はないのだが、そばに居た、という感覚だけは残っている。

 少子化のせいで、小学校では一学年に一クラスしかなかった。クラスの人間は六年間ずっと同じで、担任だけが入れ変わり、たまに転校して行ったり、転校して来たり、小さな変化はあるが大きな部分は何も変わらなかった。幼稚園も同じとなれば、軽く八年、九年は共に過ごした事になる。

 龍平は、小学校を卒業するタイミングで引っ越した。引っ越した先は隣町だと聞いていたが、中学、高校と、龍平がどのように生きてきたのか私は知らない。しかし、自然に小さな噂は耳に入ってきて、それは無意識に、私の脳内に焼き付けられていた。人づてに聞いた情報というのは、己の収集した情報よりも、鮮明に記憶に残るらしい。好奇心がそうするのだろうか。それが嘘か本当か確かめる事などはしないのだが。

 運命の再会。まさにその言葉しか当てはまらない。私と龍平は、同じ大学の同じ学部に入学した。空白の六年間。私と龍平は、実際には何もなかった時間をさえ、共有していた。


「やっぱり、帰って来ないんだ。昨日もね。」

 龍平はそう言いながら、テーブルとセットになっている長椅子にドカッと座り、私と横並びになった。手元には、珍しく数冊の本があり、その中でも一番分厚い本を、ペラペラとしながら、

「昨日の夜ご飯食べたら、冷蔵庫の中に何もなくなっちゃってさ。」

 嬉しそうにも見える薄ら笑いを浮かべて龍平は言った。

「困ったね。」

「一体、何なんだよ。俺が何したっていうんだよ。馬鹿らしい。なんでだよ。」

 龍平がそう言いながら、分厚い本をテーブルに何度もたたきつけるものだから、

「やめなよ、物にあたるのは。」

 私がそう言うと、

「お前は、いいな。金持ちだもんな、親。」

「金持ち? まさか。」

「とぼけるなよ。その腕時計、高いんだろ、知ってるぞ。ブランド品付けやがって。」

「これは祖父がくれたものだし。」

「お前さ、気取ってんじゃないよ。あの時のバーベキューだって、自分には、こんな庶民的な事似合わない、とか思ってたんだろ?」

 龍平の勝手な解釈で傷つけられるのには慣れていた。龍平と付き合っていくには、自分を殺し、龍平の性格に大人しく馴染む事が重要である。

 全く龍平は、小学校の頃から何も変わっていなかった。そのお陰とも言えるが、六年の空白を経た後でも、十二歳のままの感覚で接する事が出来たのだ。

「そんな事思っていないよ。慣れてないから、そういうの。だから、戸惑ってて、それだけだよ。そんな風に見えたなら、これからは気を付けるよ。」

「いいよ、気を付けなくても。二度と、お前は誘わないさ。酒も飲めないくせに。つまらない奴。」

 龍平はそう言うと、立ち上がり、私の横から随分と遠くの長椅子へと移動した。私の隣には誰も居なくなり、静かな時間が訪れた。

 じっと座っているとすぐに眠気に襲われた。狭いアパートの一室では、毎晩冷蔵庫の音が耳障りで、就寝を妨げていた。定期的に唸りを上げる冷蔵庫の音は、日に日に大きくなり、どこか調子が悪いのだろうか、まだ買ってから半年も経たないというのに。その気がかりもあり、起床二時間後には眠気を感じ、冷蔵庫を呪う毎日が続いていた。

 体の周りの雑音に目を覚ました。九十分間眠っていた事に気が付いた。皆が扉に向かって歩いていた。私も急いで立ち上がった。龍平の姿はなかった。

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