第10話 壊された日常
「どうして羽鳥君が?」
今までここへ来る事のなかった彼がどうして中庭にいるのか分からない。一体何をしに来たのだろうかと疑問を覚えながら、私は木陰から羽鳥君の背中を観察する。
羽鳥君は花壇の前に立つと、何食わぬ顔で靴のままレンガの壁を越えて花壇の中へと踏み入った。
「え、ちょっと……羽鳥君」
思わず木陰から身を乗り出そうとした私だったが、次に羽鳥君が行った動きに目を疑った。
土足で花壇の中に入った羽鳥君は、そのまま花壇の地面を蹴り上げたのだ。
「……え?」
羽鳥君の長い足が上を向くと同時に、花壇の土と花びらが一緒に宙を舞って地面に散らばった。
一瞬彼が何をしているのか理解に遅れて、ようやく頭が『花壇を荒らしている』という事に気付いた時、もう彼の足は
「は、羽鳥君!」
急いで私は木陰から羽鳥君の元へと向かう。私の声に羽鳥君がビクッとしてすぐに振り向いたけれど、私を見るなりどこかホッとした表情に変わった。
「なんだ、春奈かよ。どうしてここにいるんだよ」
「な、何してるの羽鳥君!」
「何って、見て分かるだろ。花壇荒らしてんの」
そう言って羽鳥君が体を少しずらして花壇の現状を私に見せる。その光景に思わず手で口を覆った。
平坦だった土は沢山の
「ど、どうしてそんなことするの!」
「は? んーなの、決まってんじゃん」
「……また三島君なの?」
私の言葉に羽鳥君はズボンについた土を落としながら話し始める。
「なーんかさ。あいつまだ調子に乗ってるって言うか、この前いつものようにあいつと遊んでたらさ、こう聞いてくるんだよ。
和泉さんが元気ないのは君が原因か。ってさ」
「え?」
その言葉に思わず目を丸くする。
「それ、どういうこと?」
「最近お前が元気ないことがどうもあいつの中では気になってるらしくてさ。その原因がオレだって言うんだよ。それが滅茶苦茶ムカついてよ。あんだけ立場ってもんを教えたってのにまだあいつ懲りてなくてさ、ほんっとムカつくんだよなっ!」
その時のことを思い出したのか、羽鳥君は思い切り近くの花を踏み潰す。
「や、やめて!」
何度もその花を踏みつける羽鳥君に声を荒げる私。ピタリと羽鳥君が踏む足を止めて私の方を見る。
「なんだよ春奈。そんな声あげて、そんなにこの花壇が気に入ってんのか? 別にお前と三島は関係ないんだろ?」
「それは――」
その言葉に何も言い返せなかった。
「だったら別にお前が止めることないだろ。大丈夫だって、今の時間ここに来る奴なんていないんだからさ。オレとお前が黙ってればバレやしないって」
そう言いながら羽鳥君は花壇を荒らし続ける。日ごろの
「それでも、やっぱりダメだよ! 羽鳥君!」
私の言葉に、羽鳥君が動きを止め不満そうな視線を私に向けてきた。その鋭い目つきに体が緊張したように硬くなる。
「何でだよ。お前には関係ないんだろ。ここは」
だったらいいじゃん。と再び土を蹴り上げようとする羽鳥君。
「か、関係なくないわよ!」
自然と強い口調になった私の言葉に上げていた羽鳥君の足がゆっくりと下がっていく。
「三島君とは関係ないけど、でもその花壇を私は気に入ってるの。だからやめてよ、これ以上荒らすのは」
私の言葉に羽鳥君はへえ。と意外な表情をした。
「そんなに大事なんだ、この花壇。てか春奈がこんな土汚い花壇を好きになるってことに驚きなんだけど」
「べ、別にいいじゃない。こういった花も結構綺麗なのよ」
そう答える私に羽鳥君は、なるほどね。と何か一人納得したように何度も頷き始めた。
「なにが、なるほどなのよ」
「いや、三島がオレに春奈の事を聞いてきた理由だよ。あいつは答えなかったけど春奈の言葉で納得したんだ。あいつ、どうやらお前の事が好きなんだな」
「え? ええええええっ?」
羽鳥君の言葉に思わず大きな声が出た。
「そ、そんなワケないじゃない。だってあの三島君よ? 花以外に全く興味がないあの」
私がいくら策を
「確かに本当かどうかは分からないさ。でも、百パーありえないとも思えないだろ? だって現にあいつはオレにお前の事を聞いてきたんだ。興味ない奴がそんなことを聞いてくるか? 普通」
羽鳥君の言葉はただの憶測だ。でも何故か妙な説得力があって、私も絶対違うと否定することができないでいた。
「だからさ、オレすっげームカつくんだよね」
言うや羽鳥君は力強く花壇の花を踏みつけた。
「あんなクラスの底辺みたいな奴が、春奈みたいな奴に好意を持つのがスゲームカつく。身の程を
言いながら羽鳥君は何度も同じ花を踏みつける。
「大体、春奈も春奈だよ。さっさとあいつを適当に
だからさ。と羽鳥君は踏んだ花をグリグリとつま先で潰しながら私の方を向いて、
「オレと付き合えよ」
「え?」
「お前に告白した時からオレの気持ちは変わってないんだよ。だからさっさと三島みたいな奴と関わるの止めてさ、オレと付き合おうぜ?」
な? と笑う羽鳥君。けれど私は笑い返すことができなかった。まさかこんな所で、こんな状況で告白をされるなんて思っても見なかったのだから。しかも前に告白した人から。
今まで私への告白はすべて一回で終わっており、何度も告白をしてくる人は誰一人としていなかった。でも、羽鳥君は初めて、私に二度も告白をしてくれたのだ。その気持ちの強さに、私はどうしたらいいのか分からなくて頭が混乱する。花壇を壊していることを優先して注意するべきなのか、それとも羽鳥君の気持ちを先に答えるべきなのか。しばらく考えて、私は覚悟を決めて口をゆっくりと開く。
「…………ごめんね。私、今の羽鳥君を好きにはなれない」
私は申し訳ない気持ちを抱きながら、ゆっくりと頭を下げる。今まで告白を断る時はこんな気持ちは全く抱かなかった。胸の中がごめんなさいって気持ちがはちきれんばかりに大きくなるなんて、私は知らなかったし、これが告白を振る痛みだと、今初めて私は知った。
「羽鳥君の事は、友達としては好きだし、面白いよ。でも、こういう事をするのは、やっぱり羽鳥君らしくないよ。だからさ――」
やめよう? そう提案しようと顔を上げたら、
「…………っち。そうかよ」
舌打ちをこぼして、羽鳥君は私に向けて花壇の土を蹴り上げた。
「きゃっ!」
飛んできた土に驚いて、思わず顔を守る。
「オレ、ホントにお前の事好きだったのに、今の言葉でマジ
どすん。と強く花壇の花を踏みつけた。
「男どもからモテてるからって上から目線にいってんじゃねえよ」
何度も何度も親の仇のように花を踏み続ける羽鳥君。その
踏み続けられてひしゃげた花を最後に蹴り上げて、羽鳥君は次の得物を探すように花壇を見渡し、一本の花を探しだした。
「あ、だ、ダメ!」
その花を見て私は思わず駆け寄った。それは三島君が一番大事に育てていた赤いチューリップ。私がこの花壇に来た時にはもう植えられていて、三島君いわく初めてこの花壇に植えた花。それが今まさに
「あ? なんだよ!」
先へ行かせないように、しっかりと羽鳥君の腰にしがみつく。そんな私に、羽鳥君はうざったそうな顔を向ける。
「行っちゃダメ。その花だけはダメなの! お願い、お願い羽鳥君!」
しがみつきながら何度も頼み込む。けれど、羽鳥君はそんな私の言葉など聞く耳を持ってはくれず、
「あーもう、うぜえんだよ!」
腰に回していた手を掴まれ、羽鳥君は私を花壇の外へと突き飛ばした。押し出された私は花壇から少し離れた所で転ぶように倒れてしまう。石畳のせいで転んだ時の痛みに思わず涙が出そうになった。
「だ、ダメ……」
それでも私は羽鳥君を止めようと、ゆっくりと起き上がろうとした。が、それよりも先に、羽鳥君が私の元へとやって来る。
「羽鳥、君――っ?」
彼は無言で私の手首を強く掴んだと思ったら、そのままぐっ。とその手に力を入れ始めた。
「いたっ!」
まるで万力のような強い力が私の手首を絞める。その力はドンドン強くなっていき、私の骨が折れるんじゃないかってくらい強くなっていった。
「やめて……羽鳥君」
「どっちをだよ。手首か? それとも花壇か?」
依然手首を掴む力を緩めない羽鳥君が、私にそう質問する。
「ほらどっちだよ。手首絞めるのをやめてほしいのか? それとも花壇を荒らすのをやめてほしいのか?」
早く言えよ。と力を強める。締め付けられる手首の痛みが私の頭の中を滅茶苦茶にしていき、私の考えが痛みによって綺麗に塗りつぶされてしまう。
「手! 手を離して! お願いします! 手首を絞めるのをやめて!」
叫ぶように私は
「あ、待って」
私の手首を解放した羽鳥君が、再び花壇の方へと踵を返し始めるのを見て、私は彼を止めようと手を伸ばす。が、
「まだ、わかんねぇのか?」
足を止め私の方へと振り返る羽鳥君。その言葉と目に私の体がピタリと動きを止めた。まるで鋭利な刃物を思わせるその目は、もう一度さっきの痛みを味合わせてやるぞ。と訴えているようで、痛めつけられた手首の鈍痛が少し増した。もう二度とあんな痛みは味わいたくなくて、私は何も言わずゆっくりと伸ばした手を落とす。
そんな私を見て、羽鳥君は花壇へと向かい再び暴れだした。私はもう止めることも動くことも出来ず、ただ蹂躙され続ける花壇を見ることしかできなかったのだった。
「あー。気持ちよかったぁ」
しばらく暴れ続け、最後に思い切り土を蹴り上げて羽鳥君は伸びをしながら花壇から出てきた。その表情は不機嫌そうな顔ではなく、晴れ晴れとした表情になっている。
「じゃあ春奈。また教室でな」
ぽん。と肩を叩く羽鳥君にビクッ。と体が震え、ゆっくりと顔を上げる。
「分かってるとは思うけど、もしチクッたら……な?」
その顔に思わず恐怖が私の体を駆け巡る。いつもの笑顔をしているのに、目だけが全く笑ってなかった。その表情が怖くて、私は小さく頷くと、羽鳥君はサンキュー。と軽く肩をたたいて中庭からいなくなった。
残された私は、ゆっくりと顔を花壇の方へと向ける。
本当は見たくない。でも、勝手に顔がそっちへと向いてしまう。
「あ……ああ」
私の眼前に映し出された光景に、そんな言葉がこぼれる。
土は掘り起こされ、花びらが辺りを散らばり、破壊しつくされた花壇。
あれだけ三島君が大切に育ててきた花壇がたった数分の出来事によって壊されてしまったのだった。
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