第9話 懺悔と後悔

「…………はぁ」

 廊下で歩きながら自然とため息がこぼれた。溜息をついたら幸せが逃げるってよく言うけれど、今の私、もう一年分の幸せが逃げちゃったんじゃないかしら。と思うほどのため息をついてる気がする。

 その原因は今日の昼休みに起きたこと。まさか、まさかあそこに三島君がいるなんて予想外だった。

 どうやらあそこは水やりの水を組みに使う道らしくて、そのことに気づかなかったのは完全に私のミスだ。

「……これからどうしよう」

 そう呟くけれど、良い考えなんて浮かんでこない。だからため息一つがまた落ちる。

 体育が終わって着替え終えた私が教室に入ると、まず見えたのは席に座っている三島君だった。いつものようにただ座ってじっと本を読んでいる。

 謝らなくちゃ。そう思って声をかけようとするけれど、どうしても口から言葉が出てこなかった。開いては閉じ、また開こうとしては閉じてを繰り返す私の口。あー、もうなんで声をかけることができないのよ。

 そうやって悩み続ける私の視線に気付いたのか、三島君が本から顔を上げて私の方へと振り向いた。

「あ……」

 私と三島君の視線がぶつかり、目と目が合う。今日の傷もあって更に増えた絆創膏ばんそうこうが痛々しく見えた。

「えっと……その」

 何か言おうと口が開くけれど、やっぱり言葉は何も出てこなくて、思わず私は顔を逸らしてしまった。

 私が逸らしたのを見て、三島君はショックを感じる様子もなく、顔を下に向けて再び読書へと戻る。そして私も何も言う事は出来なくて遠回りに自分の席へと戻るのだった。

 う、気まずい……。

 席に座った時にずしりと罪悪感がのしかかる。昼休みから感じていた重みは未だに軽くなることはなくて、自然と私の体は机に突っ伏した。

 もう何をするのも億劫おっくうになってしまい、その後の授業内容は何一つ私の頭に入っては来なかった。


*****


 暖かかった秋が、ゆっくりと冬の寒さへと変わり始める。

 先週まで暑いかな? と思った空気も次第に寒さを帯びてきて、中庭へ出る生徒も目に見えて減っていた。

 中庭の目印だった金木犀きんもくせいの花はとうに散ってなくなり、甘い香りももうしなくなって、代わりに秋と冬が混ぜ合わさった空気の匂いが私の鼻をくすぐった。

「……よし。いないわね」

 肌寒さのする朝の中庭で、私は花が散った金木犀の木陰からそっと花壇を覗く。そこにはいつもいる猫背の彼はいなかった。一応辺りを二回くらい見て、誰も来ないことを確かめる。

 左右から人が来る気配がないことを確信して、私はゆっくりと金木犀から花壇へと小走りに向かった。

 手入れの行き届いている花壇は色とりどりの花が時折拭く風によって小さく揺れている。見た感じ、しおれている花や、枯れている花は見当たらない。それだけこの花壇の主の世話がしっかり出来ていることがよく分かる。

「……なんで来ちゃうのかしらねー私ったら」

 自嘲気味に笑って花壇の前にしゃがみこんだ。

 三島君と顔をあわせなくなって一週間が過ぎた。

 クラスでも気まずくて三島君の顔を見れず、昼休みや放課後も三島君がいるから花壇へ行く事はできなかった。でも、どうしても花壇の花が気になってしまい、私はこうして三島君がまだ来ない朝の時間だけを狙って花を見に来ている。

「やっぱり私も三島君と同じみたいだな……」

 ピンク色のチューリップのつぼみを指でなぞりながら呟く。

 誰もいない中庭。聞こえる音は風の音と遠くから聞こえる朝練してる部活の掛け声。

「どうしてあんなこと言っちゃったんだろう」

 最近ずっと考えていることがぽろりとこぼれる。

 あの時、本当は言うつもりなんてなかった。でも、羽鳥君の言葉を否定したくて、思わずそう言い返してしまったのだ。

「私が三島君のことを好き……か」

 呟いて目を閉じる。三島君を思い出す時、まず初めに浮かんでくるのは、花に対して楽しそうに話をする顔と、活き活きと花の世話をする時の顔。

 その表情を見ると、ちょっといいな。と心惹かれる時はある。でもそれが恋愛感情なのかと言われれば別にそうでもない。どっちかというと一緒にいても苦にならない友達と同じ。

 つまり私にとって三島君は、そういう関係なのだ。友達以上、恋人未満。うん、それが一番しっくり来る。

「でも、もうそれも終わりかな」

 つん。とつぼみを軽く突っついた。

 もうこれから三島君と顔をあわせる事はできないから、私はこうやって人知れず花を見ることしか出来ないだろう。そう考えると自然とため息がこぼれたのだった。


*****


「よし、今日もいない」

 また別の日。私は金木犀の陰から辺りを見渡して、忍び足の要領で花壇へと向かう。

 やっぱり三島君とは話すどころか顔をあわせることが難しくて、私達の仲は一向に修復していない。それがまた私の心を暗鬱あんうつとさせる要因になっていた。

「ねぇ……どうやって謝ったらいいのかな」

 もう憂鬱ゆううつすぎて、私はピンクのチューリップに向けて話しかける。

「やっぱり素直にごめんねって言えばいいのかな」

 当然チューリップが答えを返すはずもなく、ただ風に揺れてその体をゆっくりと左右に振るだけだった。

「それとも――って、なに言ってんだろ、私」

 言いながら冷静になり思わず手で顔を隠す。

 これ端から見たら完全にやばい人じゃない。いくら誰にも相談できないからって花に相談するってなに考えてんだろ、私。

 熱くなる顔が冷めるまで手で隠していると、足音が聞こえて思わず顔を上げる。もしかして三島君?

 もう彼が来る時間になっていた事に気付かなかった私は、急いで花壇から離れて金木犀の木陰へ隠れた。

 足音は徐々に大きくなって、その音を放つ人物が姿を現す。

「え?」

 やってきた人に思わず目を瞬かせる。花壇へやって来たのは、三島君ではなく長身で金髪の羽鳥君だった。

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