第6話 悔しいけど、しかたない

「で、ここがあんたの言う、私も楽しめる場所なわけ?」

 マストを出てしばらく歩き、たどり着いた場所を見た私の言葉に、三島君は自信満々に頷いた。

 眼前に広がるのは長方形のレンガで覆われた花壇。そこに植えられているのは、見覚えのあるいろんな種類の花。陽の光を浴びながら、時折吹く心地よい風に花達は気持ちよさそうに揺れていた。

「どこかと思ったら、いつもの花壇じゃない!」

 そう。私達がいるのは学校の中庭にあるいつもの花壇だったのだ。三島君の事だから私が期待していた場所ではないことは分かっていたけど、まさかここに連れて来られるなんて。予想外すぎるわ……。

「ここのどこが私も楽しめる場所なのよ」

「だっていつもここに来てるでしょ」

 他に理由なんてある? みたいな顔で言われてしまった。

「まぁそうだけど――」

 それはただ単にあんたに用があって来てるからだ。なんて言えるわけがない。

「それに、花が好きだって言ってたし」

「う……」

 それもあんたとの話を合わせるために言っただけであって、ホントは好きでも嫌いでもないわよ。というか、一回しか言ってない私のその言葉は覚えてるのね。人の顔は覚えないくせに。

「じゃあどうして私をここに連れてきたのよ」

 まさか、ここでずっと花を眺めようなんて言わないわよね。もしそうだったら私、すぐに帰るわよ。

 しかし、三島君は首をゆっくりと横に振って、私に持っていたレジ袋を見せる。それはマストのレジ袋だった。

「今日はこれの為にマストへ行ったんだ」

 三島君はマストの袋から次々と買ってきたものを取り出し始める。

「何よこれ、全部花の苗じゃない」

 袋から出されたのは、チューリップやパンジー等の苗が植えられた小さな鉢。色もたくさんあってこれだけでもかなり華やかな印象があった。

「どうするのよ、これ」

「植えるんだよ。まだこの花壇にはたくさんの花があった方がいいから」

 そう言って、三島君はすぐに素手のまま土を掘り始めた。爪なんかにばい菌が入ったらなんていう考えなど頭にないようで、ただ一心に土を掘る。その横顔はやっぱりとても楽しそうに笑ってて、砂遊びに夢中になる子どもを彷彿とさせた。

「そういえば、この花壇ってあんたがずっと世話してるの?」

「元は園芸部が作った花壇だったんだ。でも園芸部はずっと前に廃部になって、使われてなかったのを僕が見つけて、先生に許可を貰ったんだ。どうせ使う人のいない花壇だから構わないって」

「ふぅん。物好きねあんたも」

 こちらを見ることなく、でもちゃんと答えてくれる三島君が、何かに気付いたように掘っていた手をピタリと止めて、

「……する?」

 じっと見ている私に、三島君はピンク色のチューリップの苗を私に差し出してくる。

「するわけないでしょ。爪だって汚れるし」

 最近手入れしたばかりの爪を覆って私は首を振る。あんな得体の知れない菌が蠢いていそうな土に触るなんて絶対にお断りだ。

「軍手もあるよ?」

「そういう問題じゃないのよ」

 ポケットから軍手を取り出して私に見せる。というか、まさか軍手を常備してるの?

「でも一回だけやってみよ。ね?」

 しかし今日の三島君はどうも押しが強く、食い下がって私に軍手を渡そうとしてくる。いつもは消極的というか大人しいのにどうして今日は押してくるのよ。

「分かった、分かったわよ」

 彼の押しの強さに仕方なく軍手を受け取る。でも一つじゃ不安なので二重にして軍手をつけた。手がとてもごわごわして、動かしづらいけど、贅沢は言ってられない。爪が汚れることに比べたら充分我慢できる。

「で、何をしたらいいのよ」

「まず、花を植えるための穴を開けて」

 こんな感じで。と私の隣で穴を掘る三島君。私は三島君に続いて、おそるおそる土に触れてから、そのままずぶずぶと手を中に沈ませる。

「わ、暖かい……」

 まず感じたのは土の温度だった。熱を持つほどの熱さではなくて、でも冷える様な冷たさでもない、本当にちょうどいい暖かさ。何だかいい温度の温泉に浸かってるような気持ちでしばらく私は土に手を突っ込んでいた。

「土に手を入れたら、内側から開けるように穴を作って」

 三島君がお手本を実演するのを見て、私も同じように手を動かしてみる。

「うわ、軟らかい」

 土の軟らかさに思わず声が出る。土ってもっと硬いイメージをしていたけど、この土は粘土に近い軟らかさだった。

 穴を開けるのを一旦止めて、私は土を手ですくい上げる。ぎゅっと力強く握ると、土はしっかりと硬くなって形を作るけれど、崩したらぽろぽろとそぼろみたいに小さくなって地面に落ちる。

「なにこれ、おもしろーい」

 笑いながら私は何度も土で遊ぶ。山を作ったり崩したり、手で丸めてボールを作ったりとまるで砂遊びをする子どものように遊ぶ。

「楽しそうだね」

 三島君の言葉によって一瞬で我に返った私は、軽く咳払いして手に持っていた土を地面に戻し、穴を掘る作業を再会する。

 程なくして野球ボールサイズの穴が出来たのを見て、三島君は私に黒カップに植えられたピンク色のチューリップを渡してくれた。

「片手でポットを逆さに持って、反対の手で苗を優しく支えながら抜いてみて」

 三島君に教わりながら私はおそるおそるポットと呼ばれていたカップの鉢から苗を取り出す。ゆっくりとポットから花の根っこが姿を見せ始める。思った以上に根っこがうじゃうじゃと絡まっていて何だか気持ち悪い見た目をしていた。

「取り出せたら手で根っこをかき取る様にほぐして」

「え? 根っこを取っても大丈夫なの?」

 疑問を覚えた私に、三島君は、うん。と頷く。

「根っこが一杯になってると根詰まりって言って水や栄養を上手く吸収できなくなるから。本当はしなくてもいいんだけどね」

「じゃあしなくていいんじゃない」

「そうなんだけど、この根っこは結構伸びて絡まってるでしょ。だからダメなんだよ」 

 へぇ。と私は頷いて言われた通りに根っこをほぐしていく。

「うん、これくらいで大丈夫。そしたらさっき開けた穴に植えてみて」

 頷いて私はチューリップの苗を穴の中に入れて、ゆっくりとその穴を埋めるように土をかけていく。

「これが最後。植えた花に水をあげて」

 そう言って三島君はいつの間にか用意していた如雨露じょうろを渡してきた。ちゃんと水も入っており、私はそれを受け取って今植えたばかりのチューリップに如雨露を傾ける。

「…………あ」

 如雨露から出る水が陽光を浴びてキラキラと光りながらチューリップに注がれる。まるで恵みの雨のように降り注ぐ水を受けてチューリップが小さく揺れた。水を浴びれたことに喜んでいるようでちょっと面白かった。

 如雨露の水がなくなり、花に、葉っぱにかかった水がきらきらと光っている。とても満足した印象を思わせるチューリップを見たら、自然と笑みがこぼれ――。

「って、ちょっと」

 思わず呟いて口元を手で覆う。なんで私楽しそうに笑ってんのよ。これじゃ、三島君みたいじゃない。

「どうだった? 植えてみて」

 口元を押さえる私を余所に三島君がやって来て尋ねてくる。

「楽しかったでしょ?」

「え? えっと……」

 そう聞かれて、なんと答えたらいいのか私は答えに窮した。楽しいと言えば楽しかった。土が思った以上に軟らかくて暖かかったのは面白かったし。でも、もう一度しようと言われると、私はしないと答えるだろう。だってこんなことをしてたら絶対に爪に悪い。

「こうやって植えた花に水をやったりするとさ」

 どう答えたらいいのかと悩む私に、三島君がぽつりと話を続ける。

「まるでこの花達が生きてて、水をやる度に喜んでるみたいに見えてくるんだよ。そう見えたら何だか世話するのがとても楽しくて仕方がないんだ」

 その言葉に私は思わず三島君の方を見る。彼は優しく子どもをあやすような顔で植えていた花を触っていた。

 まさか三島君も同じ事を考えていたなんて……。そう思ったらなんか可笑しくて笑いそうになる。

 そっか、彼は別に植物人間だとかロボットとかかじゃなくて、ただ花が好きな男の子だったのか。そんな彼の中に入れる隙間なんて初めから私にはなかったんだ。

「それを同じお花好き仲間として知って欲しかったんだけど、どうだったかな……和泉さん」

「え……」

 こちらに顔を向けた三島君の言葉に思わず耳を疑った。名前を呼んでくれたことの驚きと、嬉しさ、それとちょっぴりの恥ずかしさがごちゃごちゃと私の中でないまぜになっていき、何だか三島君の顔を真正面から見れなくて、思わず顔を逸らして答える。

「……楽しかった、かも。悔しいけど」

 それは私の本心だった。初めは絶対楽しくないと思ってたけど、やっぱり楽しかったのは楽しかったのだから。

どうやら私は、完膚なきまでに三島博人のペースに飲み込まれて、虜にするどころか返り討ちにあったようだ。ホント、悔しい。悔しいけど、あの時マストで感じた時の憤りは全くなかった。

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