七、3回見たら死ぬ絵
3回見たら死ぬ絵 - 01
美術館のエントランスホールにある喫茶店は館内より賑やかだった。
すぐ近くにショップがあるからかもしれない。
みよ子は一人、美術館のパンフレットを眺めながら喫茶店の席に着いていた。
「……難しい」
そしてパンフレットと睨めっこをしている。
今日は授業の一環で美術館を訪れ、展覧会のレポート提出が課せられていた。
いわゆる鑑賞会にも近い授業だが、それでも答えがない課題ということもあり、みよ子は一人でうんうんうなっていた。
(どれもすごかった絵だけど……『すごかった』って、どうやって表現すればいいんだろう……。いや、この場合は絵画の年代とか様式的なことに観点をおいてレポートを書くべきなのか……)
「なーにそんなに難しく考えてるの~? 女の子がそーんな眉間にシワを寄せちゃって~。そんなことより美術にまつわる怪談聞きたくない!?」
「どーせあたしが何言おうと喋るくせに……どーでもいいですよ」
「うわ……ついにビックリされなくなっちゃった」
みよ子はパンフレットから視線を上げることなく、一切の感情がこもっていない声をあげた。
みよ子の相席を埋めたのはどこからともなく現れた嵯峨だった。
何の断りもなしに腰を下ろし、何の前触れもなく話しかけた嵯峨は、みよ子の無頓着な反応を見て少ししょんぼりとする。
だがみよ子にとって、しょんぼりされる筋合いはない。
唐突に現れるのも、自分のプライベートに首を突っ込んで来るのも、いつものことになってしまっている。デリカシーという言葉をこの男に期待してはいけない。
そう割り切ると一々驚くのも無駄かも、という答えをみよ子は導き出してしまったのだ。
「よくこーんなところまで来ますよねぇ……先輩。院生ってやっぱり暇なんですか?」
「やっぱりとは何だいやっぱりとは! 俺がそんな暇人に見えるってのかい!?」
「はい」
「……あぁ、そう」
ばっさりと斬り捨てられた嵯峨はしくしくと机に項垂れる。
嵯峨にお冷が通されないのはきっと彼の奇行のせいだろう。
ウェイトレスも先程から怪訝な目で嵯峨を見ているので、みよ子はあまり知り合いと思われないように涼しく振る舞うことにした。
「あたし今忙しいんですよ。忘れてるかもしれませんけど、あたし大学一年生なんです。単位をたくさん取らなきゃいけないんですよ」
「単位なんて適当にやってれば取れるって~。みよ子ちゃんは真面目だねぇ」
「真面目にしますよ。あたしは勉強しに来たんですから」
勉強しに来たのに、どうしてこの男、……そういうものに振り回されなければならないんだ?
と、自分の発した言葉に疑問が跳ね返って来た。
ただ普通の人になりたくて進学して来たのに、真っ先にこの悪趣味な男に目を付けられて、好きでもない怪談話を聞かされて。そんなオカルト・都市伝説といったものを研究しているらしいゼミ生に囲まれて……。
嫌いで嫌いで仕方がない、自分と同じような存在と対峙することになって。
(……嵯峨先輩は、文野さんのこと……知ってるのかな)
同じ〝複製〟された人間だと判明した文野という……いや、文野という名前かどうかも怪しいあの男。
彼は嵯峨と付き合いが長いと言っていたが、あれは確かなのか。
「? 何か俺に聞きたいことでもあるような顔だけど、珍しくみよ子ちゃんから質問? さあ、何が聞きたい? まだまだ聞いてもらってない話はたくさんあるし、俺について語らうことは大してないけど……みよ子ちゃんが聞きたいって言うなら」
「……いえ、別に」
しかしこの口を開けば三倍、十倍話す男が、だ。
文野と自分の共通点について、知っているなら話題にあげないわけがない。
初対面で人の傷口をほじくり返すような性格をしているのだから尚更だ。
「……あの」
「うん?」
「先輩は、ドッペルゲンガーって……何か話知ってますか?」
「ん~……そうだねぇ……ざっと五つくらい?」
「じゃあいいです」
「じゃあって何さ!? ちょっと!? みよ子ちゃん最近どんどん俺に冷たくなってってるよね!?」
知らないわけでないのなら、まだ彼の口から聞いていないだけだ。
ドッペルゲンガーはやはり存在するし、それも様々な説や姿形があるのだろう。
それがわかっただけでいいや、とみよ子はホッと胸をなでおろす。
それに、今はあまりそれについて話したくはない気分だった。
「も~みよ子ちゃんすっかり忘れてるよね。一応俺、きみのこと脅してる立場なんだけど?」
「なんか慣れてきちゃって、あんまり怖くなくなってきちゃったんですよね……。そりゃ過去をばらされるのは勘弁ですけど」
「……怖くない?」
「全然」
「……そっかぁ。それは……、そうだね。複雑だね。悔しいような、愛嬌があると褒められてるような気もするし」
「ぎりぎり、キモかわレベルの愛嬌ですけどね」
嵯峨は魚のように口をパクパクとさせたが、みよ子は取り合わずに頼んでいたアイスココアに口を付けた。
そしてパンフレットに目をやって、嵯峨に付き合っている場合ではないと自分に言い聞かせる。
「もういいですか? あたしレポート書かなきゃいけないので」
「そんなそんな、せっかく美術館にいるんだから絵にまつわる怪談くらいさせてよ」
「やですよ。それに周りの人に聞こえたら気分悪くすると思いますよ」
「ホントにぃ?」
「そりゃもちろん」
「そっか。えっとねー、『三回見たら死ぬ絵』っていう油絵があってさー」
今のやり取りは一体何だったんだ? とみよ子は固まった。
だが嵯峨はまるで見えない聞こえないというように、勝手に怪談を語り始める。
「まぁタイトル通り、『三回見たら死ぬ絵』って呼ばれてる絵画があるんだ。作者は不明。そんなに大きい絵じゃないけど、それを三回見たら確実に死ぬ……というか、寝たきりになってしまうらしいんだよ」
初めてその絵を見た時は、その素晴らしさに立っていられない程の感動を受ける。
二度目にその絵を見た時は、二度目の感動に心拍数が上がる。
そして最後、三度目に見た時は感動のあまり気を失い……。
二度と目覚めることがない。
「どうだい? 素晴らしいよね、そんな絵画があるって聞いたら美術に食指がある人は『一度くらいは見てみたい』なんて思うんじゃない?」
「……え、それあたしに聞いてます?」
「そりゃ、美術史専攻の後輩なんだから」
みよ子は嵯峨の話を聞き流しながらレポートに関するメモを手帳へ取っていたが、突然話を振られて顔を上げた。
「ま、まぁ……確かに見てみたい気はしますよ。三回見なければいいわけなんですから」
「そうなんだよね。寝たきりになった後の話もあるらしいけど、そっちは諸説あるからなぁ」
「なーんだ、大して怖くな……」
ハッと気づいて手で口を閉ざしたが、すでに遅かった。
向かいに座る嵯峨はニヤニヤと笑い、人差し指をピンと立てる。
「じゃあ『骨抜きになる絵』はどうかな? そういえば、絵にまつわる話は結局視認から始まるね。そりゃ見て楽しむものだから当たり前か。俺はそういうのには疎いから不思議だなぁとは思うけど……さて、『骨抜きになる絵』について。これもタイトル通りの絵だよ」
この絵は、クラゲがモチーフに描かれている油絵だ。
この絵を見た者、誰もが見とれてリラックスするような効果があるらしい。
つまり骨抜きになる、とはこのことだそうだ。
ただこの絵を見るには少しばかりリスクが大きすぎる。
「作者は山羽孝樹っていう、無名の画家らしいんだけど。同じような何枚かのクラゲの絵を描き残して自殺したんだって。首を吊ったのさ。でもそれとこの絵は関係ない。何故その画家が自殺したかなんてどうでもいい。だってこの絵を見たところで自殺しようとは思わないんだから」
「……じゃあリスクって何なんですか?」
「見た人間の全身の骨がね、ガラスになっちゃうんだよ」
そう言われてもピンとこなかったみよ子は少し首を傾げ、骨がガラスに?
と自分の手を見つめてみた。
全身の、ということは指の骨も……なのだろう。
「じゃあわかりやすく説明しよう。俺達の身体を支えているカルシウムがぜーんぶガラスに置き換わっちゃうんだ。ガラスに少しでも衝撃を与えたらパリン、でしょ? じゃあ全身の骨がガラスだとして、一歩でも歩いたら……足の骨は?」
ポキン、どころではないだろう。
たった一歩で複雑骨折だ。
嵯峨の説明を聞いたみよ子は青ざめて、彼女の様子を見て嵯峨は満足そうに笑った。
「ま、そこにもかかって『骨抜きになる絵』なんだよね。いやぁ、不思議な絵画ってのはやっぱり昔からあるもんだよねぇ」
確かに絵画と怪談は切り離せないものがあるが、それをこの美術館内で話すか……とみよ子は呆れて頭を抱えた。
しかも今展覧中の絵画はどれも油絵ばかりだ。
よくもまぁ嵯峨も話しを用意して来るものだなぁと思うしかない。
「はいはい、満足しましたか? あたし、もう一周してきたいんですけど」
「え~二回も見るの? 俺の話が面白すぎて見たもの忘れちゃった?」
「先輩のいやな話を忘れる為にもう一度素晴らしい作品を見ようと思いまして」
ブーイングを上げる嵯峨を無視して、みよ子はさっさと会計を済ませて喫茶店をあとにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます