五、子供向け犯罪教育番組

子供向け犯罪教育番組 - 01



 ドサリと何かが落ちる音が聞こえて、その場にいた全員が顔を上げた。


「おっ、女の子が……いる……!?」


 耳に入ってきたその声は、みよ子には聞き覚えのない声だった。

 窓を叩く雨の音だけが部屋に響き、常にじめっとしているこの研究室の湿度が更に高く感じられる雨の日。

 今日も今日とてみよ子は嵯峨に研究室へ呼び出され、しばらくしてから文野も合流し、雨にまつわる怪談を聞かされようとした時だった。

 手から落ちたコンビニの袋を拾い上げ、まじまじとみよ子の顔を見て来たのは、すらりとした美女。


「あ、あの……初めまして。お、お邪魔してます」

「え? 何でこんなかわいい子がこんなところに? はっ、まさか……こんなかわいい子を連れ込んで……男二人で!」

「そんなことあるわけないだろ」


 美女の声を遮ったのは文野で、やれやれとため息を吐いた。

 至近距離から美女に見つめられたみよ子はどぎまぎしたが、それ程彼女は綺麗な人だった。

 この雨の中傘を差さなかったのか、長い黒髪は濡れていて、細身の体には大きい男物のモッズコートを羽織っている。

 ぱっちりとした大きな目と、Tシャツとスキニーパンツといったボーイッシュな格好の似合う女性。かすかに煙草のにおいもする。


「あの、文野さんと同じゼミ生……なんですか?」

「え? ぼく? あーそうそう、そんなところ~」


 みよ子が尋ねると美女はにこにこと笑って答えた。

 「ぼく」という一人称を聞いて、その外見とは裏腹な幼さを感じる。


「文野さんの後輩っていえばいいのかな? ねー先パイ」

「いいんじゃないか? それで」


 小首を傾げた美女から声をかけられても、文野は投げやりな返事をするだけだった。

 対して嵯峨はというと、一人むくれていた。

 怪談を聞かせるところを彼女に邪魔されたからだろうか、むっと口を尖らせ美女とみよ子の方を細い目でじーっと見てくる。


「も~何でタイミング悪いかな、いっつもタイミング悪いよね、那澤なざわは。今からとっておきの怪談をみよ子ちゃんに聞いてもらおうと思ってたのに」

「あ。あたしは別に聞きたくないので、大丈夫です」

「そんな冷たいこと言わないでよ~! 雨が降った今日だからきみに聞かせてあげようと思ってたのに~」

「へぇ、じゃあきみも嵯峨の被害者って感じ?」

「えっ?」


 嵯峨からのいちゃもんをかわしていると、すぐ隣の美女・名澤と呼ばれた彼女がみよ子の顔を覗き込んできた。

 『きみも被害者』という突然の言葉に困っていると、那澤は人懐っこい笑みでふふと息を漏らす。


「やっぱりそうなのか~だからここにいるんだね。で、先パイは助けずに見てるだけって感じですか?」

「助けるったって、どうやって助けろっていうんだ? 嵯峨の見張りをずっとしてろって?」

「いやいや、流石にそれは面倒だと思うんでいいと思うんですけど」

「それは俺の相手が面倒ってことかな!?」

「えっとー、みよ子ちゃん、だっけ? この子が長時間付き合わされないようにそれとなーく話を妨害するとか」

「こんなお喋り野郎の話を遮れるもんならお前がやってみろよ、那澤」

「あ、ぼくはそういうの専門外なので」

「ちょっとちょっと! さっきから俺への扱いが酷いんだけど!? ねえ!?」


 きっと三人共同じゼミに所属しているからなのだろう。

 嵯峨に対して容赦のない言葉を浴びせていく文野と那澤を、みよ子はポカンと眺めていた。

 この男をここまで無下に扱えるなんて……と。

 羨ましいとさえ思ってしまった。

 きっと自分も、彼にゆすられるようなことがなければ……とは思うものの、そんなことは今更考えてもどうしようもない。

 ただ今は、二人が頼もしい先輩に見えてしかたなかった。


「那澤さんも文野さんと同じで、嵯峨さんとは付き合いが長いんですか?」

「ぼく? ううん、全然! この研究室をただ便利に使ってるだけだよー。今日もご飯を食べようと思ってねー」


 と、持っていたコンビニの袋から温かいうどんを取り出し、いただきまーすとマイペースに食べ始める。


「それでいつも通りご飯食べに来たら女の子がいるんだからびっくり! ここのゼミに女の子が来るはずもないし」

「えっと、そういえばここの研究室って何のゼミなんですか?」


 那澤の言葉でみよ子はこの研究室にだけ表札がないことを思い出した。

 いつも何のゼミ室なんだろうとは思っていたが、大して気になることでもなかったのですっかり忘れていた。


「ここ? ここはね、『現代民俗学』ゼミだよ」


 ちゅるんとうどんをすすり、那澤が答える。

 民俗学というのは何となくわかるが、どうして現代がつくんだ?

 とみよ子が首を捻ると、補足するように文野が口を開く。


「まぁ、人間の文化について研究してる……と言えば聞こえはいいが、うちはもっぱら胡散臭いことばかりやってるだけのゼミだ」

「うさんくさい……」

「そそ。妖怪ーとか、伝承とか、……フォークロアとか」


 最後に聞き慣れない言葉が聞こえたが、みよ子は何となく嫌な予感がした。

 意味がわからないのに、この嫌な感じは何だろう……と顔を上げると、嵯峨と目が合う。

 まるでこちらの心の内がわかっているかのように彼は笑い、答えを述べた。


「ま、いうなら〝都市伝説〟ってとこだよ。フォークロアっていうのは」


 正確には古くから伝わる風習や伝承、それを〝フォークロア〟と呼ぶのだが、現代では人伝に語り継がれ、出来上がっていった都市伝説のことも差す。

 そこまで聞けば、確かに『現代民俗学』ゼミが扱ってもおかしくないことだと納得出来た……、が。


「でもね、そんな胡散臭い研究してるゼミに。キャンパスライフをエンジョイしてる陽キャが来ると思う? 本当に来ると思う?」

「……思いません、ね」

「でしょ~? だからこーんなオタクの巣窟に女の子が来るなんてってぼくは驚いたわけ」


 とからから那澤は笑うが、オタクと呼ばれた嵯峨と文野が不服そうな眼差しを向けて来ていることに気付いているのやら。

 しかし彼女の言う通り。

 今時そんな都市伝説を研究しようだなんて思う学生がいる方が不思議な話だ。

 この研究室だけ表札が取られ、一院生(嵯峨)が住み着き、彼が私物化しても誰も文句を言っていない理由が何となくわかった。


(本当に……こんな人に付き合ってたらますます普通の友達とか出来ないじゃん)

「心外だなぁ、俺だって一応きみの先輩にあたるんだけどなあ?」

「人の心を勝手に読む先輩なんて聞いたことありませんけど」


 やれやれと肩を竦めることすら、嵯峨の前では難しい。

 文野や那澤といった普通の人達の前でボロを出す前に、今日はさっさと引き上げさせてもらおう……とみよ子が腰を浮かせた時だった。


「あ、そういえばアレ見れましたよ! あの番組!」


 唐突に何かを思い出したらしい那澤が声を上げた。

 アレって何だろう? とキョトンとしているみよ子とは反対に、男二人は那澤の言葉に顔色を変える。

 その光景が珍しかったが、きっとゼミ内での話だから尚更自分はお邪魔だろうな、とみよ子は鞄を手に取った。

 だが、その腕を那澤の手ががしりと掴んだ。


「ね、みよ子ちゃんも聞いてかない? そんなに怖い話じゃないから! 面白いんだよ~」

「えぇっ!? あ、あたしもですか……?」


 みよ子の尻すぼみな声は聞こえなかったことにされたのか、立ち上がったみよ子を那澤は再度座らせ、アレについての話を始める。


「ま、都市伝説の一つなんだけどね。誰も傍受出来ないテレビ番組があるんだけど……」




 ×   ×




 子供向け犯罪教育番組。

 その謎の番組はそう名付けられ、噂されていた。

 この番組は発信元不明のもので、昔は誰でも見ることが出来たらしいのだが今は誰も傍受することが出来ない。

 番組名は「ピエロのボブル」という、海外の子供向け番組だ。

 この番組ではボブルという名前のピエロが出て来て、テレビを見ている子供達にボブルが様々なことを教えてくれる。いわゆる教育番組だとか。

 だが、犯罪教育番組と名付けられている時点で何となく内容はお察し、といったところで……。

 ボブルが子供達に教えるのは食人、拷問、殺人といった、世間一般的な〝教育〟とはかけ離れたものだった。

 それも番組は全て実際にボブル一人が行うもので、人を誘拐して来て人肉料理を調理する工程を見せたり、建物に放火してから誰にも見つからず逃げる方法を実演したり……。

 ボブルが教えてくれるのは、全て犯罪行為だ。

 更にこの番組の奇妙なところは、対象年齢十歳未満だということ。

 本来なら対象年齢成人以上どころか、ゲームでいうところのZ指定とやらに分類するべきものだが、十歳以上の人間が見ることが出来ない番組なのだ。

 大人であろうが子供であろうが、十歳以上の人間がこの番組を見ると、直後に激しい頭痛に襲われ気絶してしまう……と言われている。

 映像に何かギミックが仕組まれているのではないかと、オカルトマニアの間では盛り上がった。

 だが、実際のところ〝この番組を本当に見た人間がいるかどうか〟すら怪しい話だった為、この「ピエロのボブル」は創作された都市伝説だろうと数年前に終止符が打たれていた。

 子供向け犯罪教育番組。

 そんな物騒で不謹慎なものがあったら、とどこかの誰かが作ったのだろう。




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