ひとりきりの映画館 - 02


 都内の映画館だというのに、やけに人が少ない日だった。

 レイトショーは利用者が少ないのだろうか? そんなものなのか?

 と、都内の映画館を初めて利用するみよ子は少し緊張した。

 結局悩みに悩んだ末、嵯峨が自分へと置いていた映画のチケットを握り締め大学最寄りの映画館に来たのだが、大学から臨時の連絡があるということで時間を取られてしまった。

 映画館に到着した時刻はレイトショーに該当する時間となってしまった。


(この映画、宣伝もたくさんしてるから結構お客さんいると思ったのに)


 大学から持って来たチケットを窓口で入場券と交換し、飲み物を一つ買ってシアターへと入る。

 そこそこ大きなスクリーンの真ん中、端の席を選んだのだが、一向に他の客が入ってくる気配はない。


「一人で見るのかなぁ……それはそれでちょっと贅沢な気もするけど」


 こんなに大きな激情を独り占めできるなんて、と呑気なことを考えていたが、その反面少し寂しい気もした。

 せっかくならこういうものは誰かと見たかったな、というのが本音。

 それに泣ける人間ドラマを描いた超大作! と銘打っていることもあり、映画の感想を誰かと共有したいなという気持ちもなくはない。


(でも、こういうのに誰かを誘うって……どうやって誘えばいいんだろ?)


 友人という人間関係は意図的に作らないようにし、大学で仲良くしている同期生にもやはり一線を引いてしまうのは悪い癖だった。

 かといって、いざ遊びに人を誘おうと決意しても、その誘い方がわからない。


(ま、ひとつ言えるのは嵯峨先輩は絶対にないってことだけどね)


 こういう時に頭にポンと浮かぶのが、あの胡散臭い男の顔だということに納得がいかない。

 みよ子は一人百面相をしながらずるずるとジュースをすすった。

 携帯の電源を切るついでに時刻を確認すると、そろそろ新作映画の予告が始まる時間になる。照明が暗くなり、予告が終われば映画本編の始まりだ。


「……一人かー」


 と、そう少し大きめな声を発した時だった。


「あっ……あ! おわ!」


 入口側から誰かの声と、ドタンバタンという物音がしてみよ子は思わず腰を上げた。

 彼女の席から入り口までは近く、どうしたんだろう? と近寄って見ると、男性が盛大にこけて鞄の中身をぶちまけていた。


「だ、大丈夫ですか?」

「あっ、はい! 大丈夫です! あはは」

「あのー……、あ、はい。これどうぞ」

「あれ?」


 男性は笑顔で大丈夫大丈夫というが、明後日の方向を向いてへこへことしていた。

 床に転がる眼鏡を拾い、男性に渡すと「スミマセン」とまたへこへこと頭を下げる。


「あっ、まだ始まってませんか?」

「大丈夫ですよ、これから予告が始まる頃なのでそろそろ」


 照明が……とみよ子が言いかけると辺りが一段階暗くなった。

 おかげで男性がぶちまけた鞄の中身がよく見えない。


「あ、スミマセン! そんな拾ってもらっちゃって……」

「いえいえ、暗いと見えないですから。えーっと……これもかな?」

「あー……本当にありがとうございます」


 謝る時も感謝の時も男性はへこへことし続けている。

 癖なのかなぁ……なんてみよ子は考えながら筆記用具や書類を拾っていった。

 サラリーマン、というにはスーツを着ていないし。

 大学生かフリーランスの職の人間だろうか、と想像しながらファイルを手渡す。

 全てを拾い終わると男性はまた「ありがとうございます」と頭を下げ、劇場内の後方の席へと進んで行った。


(あたしひとりじゃなかったんだ。……ちょっと残念)


 ふふと笑みをこぼし、みよ子は自分の席へと戻る。

 劇場内が暗くなっても男性の赤いTシャツは目立ち、彼がどこに座るかもはっきりと見えていた。





 上映が終了すると、そそくさと急ぎ足で帰って行く男性の後姿を見送って、みよ子は目頭を押さえながら劇場を出た。


「はー……ギリギリ、ギリギリ泣かなかった……。でも一人だったら絶対号泣してた……」


 何度もため息を吐きながら涙を堪え、映画の余韻を噛みしめる。

 映画を見るなんて久し振りだなぁ……よかったなぁ……としみじみしながらエントランスへと出た。

 まだ閉館には早いが、相変わらず人はまばらだ。

 平日の夜だからこんなものなのだろう、とみよ子はもうあまり気にならなくなっていた。


「泣ける人間ドラマ? 一体全体そんなものの何が面白いんだろうね。お涙頂戴な物語なんていつもやることは一緒で、クライマックスのシーンは結局音楽頼りで長ったらしー台詞が続くんだろう? 最近売れっ子なイケメン俳優とか、売り始めのちょっと可愛い女優さんを起用してさ、結局はテンプレ祭じゃないか。いつどの時代になっても、この手のジャンルは変わり映えしないよね~」

「…………ホラーものだってどうせテンプレじゃないですか」

「あれっ、みよ子ちゃん! やあやあ偶然だねえ!」


 どの顔でそんなことを? 

 と振り返ると、そこにはいつも通りのあの笑顔があった。

 みよ子に直接話しかけることはなく、しかし彼女の背後からあんな大きな独り言を聞けば誰だって反応してしまう。

 嵯峨という男は、実に嫌な性格をしている。


「どうだった? 久々の映画は楽しかったかな?」

「久々なのを何で知ってるのか知りませんけど、十二分に楽しかったですよ! あたしは!」

「そかーそれはそれは……」


 どうせ彼の思惑にまんまと載ってしまった自分のことを笑うのだろう。と、そう思っていた。

 思っていたのだが、嵯峨の笑みにはいつもの含みが見られて、反射的にみよ子は身構える。


「な……何ですか? また何かあたしに聞かせる気ですか? わざわざこんな所に来てまで……」

「うーん、聞いて欲しい話があるのはあるんだけど、それより先に俺からみよ子ちゃんに質問かな」

「質問?」


 うん、と嵯峨は頷くとみよ子との距離をグッと縮めて声を潜める。


「一人で見なくてよかったね、映画」


 はあ? とみよ子は彼から一歩離れたが、そういえばエントランスで待っていれば終了した映画から出てくる人間が見られる。

 きっと自分より先に出て来たあの男性を目撃したのだろうと合点がいった。


「別にホラー映画とかじゃないから一人でも良かったと思うんですけど。何で一人じゃなくてよかったんですか?」

「ん? それはねー」


 ふっふっふと意味深に笑うと、嵯峨はいつものように語り出した。




 ×   ×




 ある男が仕事帰りに映画館に寄った。

 数日間拘束されていた激務をようやく終え、自分へのご褒美にと深夜の映画を選んだのだ。

 閉館間際、最後の上映ということもあり他の客はおらず、劇場内に入って映画の予告が始まっても一人。

 広い劇場、大画面を独り占め出来る喜びに男は喜び、せっかくだからこのまま疲れで寝てしまわないようにと前のめりに座って映画本編が始まるのを待った。

 映画は海外のアクションもの、長年人気のシリーズで誰でも知っているようなビッグタイトル。本編が始まり、男は夢中で映画にかぶりついた。

 しかし、上映が始まって数十分が経った頃だろうか。

 後方からガタン、という物音が聞こえて男の集中を遮った。

 一体何の音だ? 映画の邪魔をしやがって……、と振り返ると、劇場の隅の席に人影が見えた。

 いつの間に他の客が入って来たのだろう?

 恐らく今入って来て、席に着く時に物音が立ったのだろう、と男はすぐに映画へと集中を戻す。

 そして、そろそろ映画も折り返しだろうというところに差し掛かったところで。


 キャ―――――――――ッ!


 という悲鳴が上がり、男は飛び上がった。

 映画の内容は叫ぶような場面じゃない、比較的静かで真面目なシーンだというのに、その悲鳴は茶化しにしか思えなかった。

 男は先程見かけた客の方へ振り返り、思い切り睨んでやったが、その客は大人しく席に座り映画を見ている。

 全く、勘弁してくれよ……と辟易しながらスクリーンへ視線を戻し、再び集中。

 だが、男は二度も邪魔をくらってしまったせいで、中々本編に集中を戻すことが難しくなっていた。

 自分へのご褒美にと楽しみにしていた映画を邪魔された、怒りが主な原因だ。

 仕事疲れのせいもあって、口論する気力もなかったがどうしようとも腹は立つ。

 こんな不満を抱えたまま映画は楽しみたくない。

 そう思いながら座り直して、映画の進行を見守った。

 映画のクライマックスは音楽も効果音も大音量で、それに混じってまた後方から物音が聞こえた気がしたが男は気にしなかった。

 今が一番いいところなんだ。それにこの音量のおかげで気にならないし、と振り返らず前を向いたまま。

 そしてようやく映画も終盤に入り、このまま後日談に入って行くのだろうなというところで、「考えてみればすげぇ音してたけど、まさかあの客倒れたりなんて」と唐突に不安が頭をもたげた。

 今更過ぎる心配だが、何かあっては困る。

 この劇場内には今あの客と自分しかいないのだから。

 と、首を捻って振り返った。

 すぐ背後にはあの客が立っていた。

 気配はなかったが、いつから立っていたのだろうか。

 男は驚く間もなく、その客に頭を鷲掴みにされ無理矢理座席から引きずり降ろされた。

 そして、上映が終わり劇場内が明るくなる。

 静かな劇場内には、体があらぬ方向に折り曲げられた血塗れの男が床にいた。

 その男だけ、たった一人だけが劇場内にいた。

 劇場のスタッフや防犯カメラの映像を確認しても、この劇場に出入りしたのはその殺された男ただ一人だけだったという。




 ×   ×




「っていう話がね、あるんだよ」

「……一人で見ると、そのいるはずもない誰かに殺されるっていう話ですか」


 不気味な話だが、今のみよ子にはあまり関係のない話だった。

 もう映画は見終わっているし、結局一人で映画を見ることはなかった。


「あたしを怖がらせたいんだったら、映画を見る前に話すべきでしたね」


 ふふんと強気に言い返してみたが、嵯峨は彼女を言葉を聞きキョトンとした。

 そんな彼の様子を見てあれ? とみよ子も拍子抜けする。


「な、なんですか。あたしを怖がらせるためにいつもいつも怖い話聞かせるんでしょ? それが先輩の目的なんですよね?」

「え~? 俺そんなこと一度も言ってないけど、どしたのみよ子ちゃん。誰かに何か吹き込まれた? それとも勘ぐっちゃった?」

「なっ……そんなことあるわけないじゃないですか! っていうかそういう目的がないなら何であたしにわざわざ」

「だーかーらー、初めに言ったじゃん」


 俺はお喋りの相手が欲しいだけ、って。

 嵯峨は意地悪く笑うと、みよ子をいざなうようにふらりと踵を返し、映画館を出ていこうとする。

 ただからかわれ、振り回され、自分のわがままの為に意味もなくつきまとわれている。

 そう今一度突きつけられ、映画の余韻などどこかへ行ってしまった。


「……趣味悪いですよ、先輩」


 低い声でそう言っても、嵯峨はへらへらと笑うだけ。

 本当に厄介な人物に目をつけられてしまったな……と昼に会った先輩達の顔を思い出した。


「そういえばね、みよ子ちゃん。今の怪談のオチなんだけどさ」

「何ですか? 結局その男の人死んじゃったじゃないですか。まさか幽霊の仕業じゃなくて劇場スタッフ全員がグルだったとか?」

「ノンノン、そんなチープなオチじゃないよ。それじゃあ二流だ。そうじゃなくってさ、その怪談ね」



 ――二か月前、この劇場で起きた話なんだよね。



 両足がその場に杭で打ち付けられたように、みよ子は立ち尽くした。

 悠々と映画館を出ていく嵯峨の姿を眺めながら、ある言葉が頭に浮かぶ。

 カラスは死体に群がり、死肉を食らう……と。



-CREDIT-

SCP-199-JP「もう一人の観客」

©grejum

http://ja.scp-wiki.net/scp-199-jp


エージェント・育良の人事ファイル

http://ja.scp-wiki.net/author:ikr-4185

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