四、ひとりきりの映画館

ひとりきりの映画館 - 01


「え、みよ子ちゃん彼氏が出来たんじゃなかったの?」


 素っ頓狂な声があがり、みよ子は飲んでいた紅茶を気管へ流し込んだ。

 ゲホゲホと大きくむせ、サークル仲間によしよしと介抱される。


「なっ……! 何がどうしてそんな話に!?」

「だって最近俺等と付き合い悪いし……」

「何かあっちゃーゼミ棟に行ってるし?」

「かと思えばそそくさ帰っちゃうし」


 彼氏がいないんならどうしたの?

 と、四方八方から質問され、みよ子は深いため息を吐きながら頭を抱えた。

 お昼時の食堂は相変わらず賑やかで、今日は久し振りにサークル仲間と食事が出来ると思っていた矢先にコレだ。

 どうしてあの男は、本人不在の場でもこうして迷惑をかけてくるのだろうか……と頭を痛めずにはいられない。


「あのですね、彼氏が出来たとかそういう話は一切ないですし、残念ながらあたしはそういう話とは非っ……常に縁が遠いので!!」

『えー、またまたぁ~』

「だーかーらー!!」


 ニヤニヤと笑われるみよ子だったが、先輩らはただからかっているだけだ。

 せっかく本人が希望してサークルに入って来てくれたのに、あまり顔を出しに来ない後輩をいじっているだけ。

 なのでぷりぷり怒りだしてしまうみよ子を冗談だよと慰め、皆でこれをお食べおやつをあげようと餌付けしてご機嫌をとる。

 するとしばらくへそを曲げていたみよ子もすっかり満更でもない顔に戻った。

 実に単純で、わかりやすい可愛い後輩だ。


「それでさ、みよ子ちゃん。本当のところはどうしたの?」

「えっ?」

「授業には出てるらしいけど、めっきり話す機会がなくなったって他の一年生が心配してたよ」

「えっとー……それは、その」


 恐らく今この場にいない同期の子が心配してくれているのだろう。

 入学してから仲良くしていたのに、突然みよ子が距離を取ったのだから不審に思っても仕方がない。

 だが、事情を説明するにはなかなか難しいこともある。


(嵯峨先輩とあたしの関係……を正直に話すわけにはいかないし。かといって他の誤魔化し方も……)


 先輩への返答に詰まり、どうにかうまくやり過ごさないと……と言葉を選んでいると、先輩は「みよ子ちゃん」と先手を打って来た。


「困ってることがあるなら聞くよ。入学してまだ一ヶ月半しか経ってないし、そりゃ私達との付き合いもその程度だけど。でも、あなたより長くここにいる。大学は色んな人間が来るところだから」

「そうそう、変な奴もたまーに紛れてるよな」

「そういう奴程やめてくけど、出ていくまではここにいて、関わることもあるわけだし」

「……」


 みよ子を見つめる先輩達の視線は真剣なものだった。

 先程までの茶化している感じはなく、本当に一後輩を心配して言ってくれているのは十分伝わる。


「……そう、ですよね。……黙ってちゃ、ダメですよね」


 自分自身に聞かせるようにみよ子は口にして、ふぅと一息つく。

 自分の過去を知られるわけにはいかないが、嵯峨に迷惑しているのは事実だ。

 それを話すくらいは大丈夫だろう、嵯峨に口止めされていないのだし。

 と、みよ子は『ホラーやオカルト話が好きで、お喋りで、いつも真っ黒な服を着ている迷惑な院生に絡まれている』とだけかいつまんで説明した。

 するとみよ子の話を聞いていく内に、先輩らは顔を見合わせ表情を曇らせる。


「それって、〝お喋りガラス〟のこと?」

「おしゃべりガラス?」

「アイツまた出たのかよ。つか何年ここにいるんだ?」

「さあ? そういや先輩から学内に住んでるとか聞いたことあるし……」


 先輩らは確認し合うようにそう口にしていくが、いつの間にかその話し声はひそひそとした内緒話になっていた。

 まるで周りに聞かれたくないような、そんなトーンだ。


「〝お喋りガラス〟っていうのは、まぁアダ名みたいなもんなんだけど。変な院生がいるって噂なのよ」

「変……と、いうと?」


 変だという言葉はピッタリ嵯峨に当てはまる。

 だが先輩らの様子は普通の〝変〟では済まされないような雰囲気だ。


「誰がつけたアダ名かはわからないんだけど、饒舌でいつも黒い服を着ている男がいるっていうんで〝お喋りガラス〟っていう風にいつからか呼ばれてるのよ」

「いつからか……って、え?」

「そう、いつからかわからないんだよ。俺等の三つ上の先輩達も知ってたし」

「いくら院生つってもいすぎなんだよな……噂通りなら最低でも十年前からいるらしい」

「十年!?」


 十年もこの大学に院生としてい続けているなんて、余程卒業出来ない人間なのかと思うが、どうにもそう単純な話ではないらしい。


「目撃されるのはこの学校敷地内だけ。駅とか最寄りのコンビニでも見かけたためしがないんだっけ?」

「というかそもそも〝お喋りガラス〟を見たことのある人間が少なすぎるんだよ」

「えっと、院生てそんなに忙しいんですか? 研究室にこもり切りー……みたいな」

「人によるよ。それこそ理工学の連中は論文やら実験やらでこもりきりだけど、〝お喋りガラス〟の目撃は文学棟側でしかないし」


 ゼミ棟とは先日みよ子が嵯峨に呼び出された別棟であり、その別棟は理系と文系とに分断されている。

 玄関ホールから右手が文系、左手が理系となっており、互いの干渉はあまりしないらしい。というか、関心が薄いともいうべきか。


「自慢出来ることじゃないけど、うちの文系って不真面目な人間が多いというか、頭のいい奴が少ないし」

「やめてくのも文系が多いよな。理系はしっかりしてる奴が多いし、まじめに勉強して院生に進む奴が多いくらいだ。だから、文系のゼミ室に住み込みで何かをする奴なんてまずいない」


 みよ子や先輩らは全員文系の学部だ。

 サークル内には理系の人間もいるし仲もよいが、基本的に学外活動で一緒になるだけで、学内ではほとんど接触がない。あとはサークルが確保している部室でたまに会議をする程度だ。


「じゃあ、十年前からいるらしい院生で、住み込みなんてあり得ない文学棟で見かけて……実際に見た人もそんなにいない……と?」


 指を折って確認すると、先輩らは皆揃って頷いた。


「それこそ、〝お喋りガラス〟っていう男自体が怪談話みたいな扱いだからね」


 本当にいるかどうかも信じ難い、そんな奴に付きまとわれているの?

 とみよ子は問われ、即答することは出来なかった。




 そしてその後、授業の入っていなかったみよ子は自らの足で嵯峨のいる研究室へと訪れた。

 授業中のゼミ棟は相変わらず静かで、通行人は一人も見られない。

 閑散としたゼミ棟の奥へと進み、一番奥のドアを開いて中へと入る。

 段ボールや書籍の山は積み重なったまま、誰かが使った形跡や掃除した形跡、どころか人が出入りしたような痕も見られない。


「……」


 みよ子はキュッと唇を噛みしめて、研究室内にある部屋へと向かう。

 以前来た時には嵯峨と文野が中にいて、まさしく嵯峨が自室のように使っているような部屋だと感じたものだ。

 ドアを開くと、誰もいなかった。

 二つのソファとテーブル、冷蔵庫や流し台が備えてあり、棚を見てみると毛布がしまってある。

 この部屋なら住むことも可能だろうと思い、流しを見てみるとシンクが濡れていた。いくつかの食器も水滴が付着しており、昼休みに誰かが使ったのだということがわかる。

 文野か、もしくは他のゼミ生か……はたまた嵯峨なのか。


(先輩達の口振り……まるで幽霊の話でもしてるような感じだったけど……)


 しかし嵯峨はこの目で見て、会話をして、胸倉だって掴めた。

 実在する人間であることに違いはない。だが、素性は謎だらけだ。

 初対面でみよ子の秘密を知っていたし、みよ子の事情を全てのみ込み、それに似ている不可思議なものの話までわざわざ聞かせてくる。

 そして、結局のところ彼の目的ははっきりしていない。


(本当に、ただお喋りの相手が欲しいだけなの……かな)


 ふと顔を上げると、チョークの粉を被った古い黒板が目に留まった。

 黒板消しは見当たらないが、小さなチョークはいくつか置いてある。

 その黒板に何かの紙が磁石で留めてあり、その脇には汚い文字が書いてあった。




 ――先生から何枚かもらいました。ご自由にどうぞ




「……映画のチケット?」


 磁石で留められていた用紙は何枚かのチケットで、どこの劇場でも使えるというチケットだった。

 一枚引き抜き内容を確認すると、ちょうどみよ子が見ようかどうか迷っていた映画のタイトルで少し驚く。

 こんな偶然あるのかな? と。


「……って、偶然なわけないか」


 チケットを裏返して何だと納得し、そしてうんざりした。

 裏面には「ミヨコちゃんこの作品気になってたんでしょ? 見てきなよ!」と書かれていた。妙に字が上手いのも何だか腹が立つ。

 この研究室内にあって、自分個人宛に置かれたものなど、送り主の想像は簡単すぎた。

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