三、三十三センチの包丁

三十三センチの包丁 - 01


 大学という場所には様々な人間が集まってくる。

 性別、年齢、人種、そして趣味嗜好。

 決して同じ志の元に集うとは言い切れない。

 勉学に励みに来た者もいれば、自分の将来・未来のために来た者。

 そしてサークル活動で遊びつくす者や、ただの時間稼ぎに来た者も……。

 さて、みよ子は何故大学に進学したかというと、半分は勉学の為、もう半分は自分探しの為だった。

 彼女の複雑な過去は決して忘れられるものではない。

 自分を一度見失ってしまったみよ子は、アイデンティティというものを失っていたのだ。

 だから多種多様な人間の集まる大学に入り、誰かになるか、新しい自分を作り上げることを目標に、楽しみにしていた。

 しかしそんな明るい希望は打ち砕かれ、彼女は今暗い顔と重い足取りである場所へと向かっていた。


「はぁー……何で、あたしが……」


 深いため息の原因は言わずもがな、嵯峨というあの真っ黒な男だ。

 みよ子の秘密を知り、それをネタに彼女を脅し、お喋り相手(聞き係)として彼女を振り回す、迷惑以外の何者でもない男。

 忘れた頃にふらりと現れ、自分が話したいだけのオカルト話をみよ子に聞かせ、満足するとまたふらりとどこかへ消えてしまう。

 神出鬼没な男に散々困らされていたみよ子は、今日もまた彼のワガママに翻弄されていた。


「何で……何であたしがあんな悪趣味な人間に振り回されなきゃいけないの? 何? 研究室に来いって!? ただでさえ怖い話とか嫌いなのに、何であたしからわざわざ聞きに行かなきゃならないの!? も―――――――っ!!」


 小さな独り言は次第に大きくなり、通りがかる学生がギョッとみよ子のことを見るも、彼女はそれにすら気付かない。

 今まで嵯峨に対して抱えて来た不満がいつ爆発してもおかしくないが、何度爆発させても足りないのだからどうしようもない。

 髪をわしゃわしゃとかき乱し、少し落ち着くと再び歩みを進める。

 今日はわざわざ嵯峨の所属している研究室に来いとのリクエストだった。

 校舎と研究室の棟が離れているせいで歩かなければならない。

 こんなことしてる程、あたしだって暇じゃないのに!

 と、みよ子は眉間に深くシワを寄せ、ずんずんと研究室へ向かった。




 いくつかの研究室がまとめて入れられている別棟は静かで、初めてここを訪れたみよ子はドキドキしながら嵯峨のいる部屋を探した。

 やはり真面目な学生や教授がいるのだろうか……と、最初はビクビクして足音も立ててはいけないのでは……なんて思っていた。

 が、別棟が静かなのは単純に人気がないからだった。

 学期末になると騒がしくはなるが、それ以外はなんてことはない。

 まったりとした場所なのである。


「えっと……どの部屋って言ってたっけ。確かー……」


 入口付近から順に表札を見ていったが、途中で嵯峨に言われたことを思い出すとみよ子は表札を見るのをやめ、そうだそうだと真っ直ぐ奥へ進んでいく。


「『表札のない、どん詰まりの部屋』……だったっけ」


 そうして突き当りまで歩いて行くとお目当てのそれらしいドアを見つけた。

 表札はなく、窓ガラスにはヒビが入り、ドアノブを回すとバカになっていてノブはただの飾りでしかなかった。


「……」


 入りたくないなぁ……と心の中で呟いて、ゆっくりとドアを引く。


「あのー……嵯峨先輩、来ましたけどー」


 入ってみた研究室は日当たりが悪く、段ボールや書類、書籍で溢れじめっとした部屋だった。

 埃っぽさも感じるし、目を凝らすと蜘蛛の巣も見られる。

 物置部屋、と呼ぶのがまさにふさわしい部屋だ。

 誰かが使った形跡すら感じられないが、嵯峨がこの部屋だというのならそうなのだろう。

 正直、彼からの言葉を一々疑っている方が疲れる。

 だったら考えるのをやめて、言われるがままにした方が負担は少ない。


(こんな部屋を使うなんて……って普通なら思うけど、あの人のことだしなぁ)


 足の踏み場が少ない研究室へそろりそろりと入って行くと、どこからかくぐもった声が聞こえてきた。

 キョロキョロと辺りを見回し、どこから聞こえるのだろうと視線を巡らせると、本の山の奥にドアを見つける。

 ドアは少し開いていて、そちらへ歩み寄ると会話がはっきりと聞こえてきた。


「だからさぁ、定期的に連絡してくれって言ってるだろ? オレだって暇じゃないんだ。一々ここに様子見に来るってワケにもいかないし」

「まぁまぁ、そんなに怒らないで。いや、怒ってるわけじゃないか。目くじらを立てないでおくれよ。どこに現れようと俺の自由だし、普段からここに住んでるとはいえ、後輩のきみに全てを管理されるというのも可笑しな話だろう? きみが忙しいと言うなら俺を放っておけばいい」

「キミはそう言っても、はいそうですかと引き下がるワケには……」

「きみは俺の保護者かい? 違うだろう? もし仮にきみが俺の保護者だというのならもっと放任してくれて構わないんだ。食う寝るに困っていることはないし、別段退屈していることもないし、こうしてお願いすればきちんとやって来てくれる可愛いお喋り相手もいることだし」

(げっ……!)


 胡散臭い笑顔がこちらにちらりと向いて、みよ子は思わず身を引いた。

 盗み聞きする気はなかったが、会話の途中でこちらを巻き込むようなフリはやめて欲しい。


「こんにちはみよ子ちゃん! はるばるようこそ、こんな辺鄙な場所へ! って言っても俺が来てって言ったんだけど♪」

「……ホントですよ、というかそちらの方は」


 相変わらずな嵯峨に呆れつつも、彼が今まで話していた人物へと目を向ける。

 嵯峨のいる部屋は研究室と打って変わって生活感があり、ソファが二つに冷蔵庫や流し台まで備わっていた。

 みよ子がそちらの部屋へ入ると、嵯峨と話していた人物が向かいのソファから腰を上げる。

 みよ子と同い年か、学年が一つ上かと思われる男性。

 髪型や服装から見て、嵯峨とは真反対のイマドキな男子大学生。というのが第一印象だ。

 彼はみよ子を見ると、笑顔でこちらへ一歩近づいた。


「どうも初めまして、キミがみよ子さんだね。嵯峨から話は聞いてるよ」

「ど、どうも……」

「オレは三年の文野ぶんの。一応嵯峨の知り合いです」


 よろしくね、と手を差し出されて軽い握手を交わす。

 そして文野は嵯峨の方のソファへと移動して、向かいをみよ子へと譲った。

 馴れ馴れしい嵯峨とは全く違う、文野の普通の対応にみよ子は思わずじーんとした。

 が、


「っていうか、文野さんがいるならあたし来る意味ありました? お邪魔だと思うんですけど……」

「え? あるに決まってるじゃん、大ありだよ!」

「というと?」

「彼の噺も面白いんだよーってこと」

(……話っていう漢字が違う気がしたなあ)


 からからと笑う嵯峨に拳を握り締め、ぐっとこらえる。

 今は文野という第三者がいる、少しは普通の女の子であるところを見せなければ……とみよ子は自分に言い聞かせた。

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