二、だるまさんがころんだ
だるまさんがころんだ
風が心地良い昼下がりだった。
待ちに待ったキャンパスライフを謳歌していた女子大生・みよ子。
だが講師の突然の出張により急遽授業が潰れ、次のコマまで中庭で時間を潰すことになった。
広い中庭にはいくつかのベンチがあり、みよ子はその内の一つに腰かけぼんやりと中庭を眺める。
広い芝生と何本かの大きな木。その木陰で昼寝をしている学生や、談笑をしているカップル。自分と同じようにベンチに腰掛け読書をしている講師もいた。
その中でもみよ子の目が釘付けになったのは子供のように無邪気に遊んでいる学生達だった。
あまりにもみよ子がじっと見つめていた為「混ざる?」と声をかけられたが、怖じ気づいて「大丈夫です!」と元気よく断ってしまったのを少し後悔している。
だが声をかけらえれた時に「何で遊んでるんですか?」とみよ子は尋ねた。
すると先輩であろうその学生は汗を拭い、苦笑しながら答えてくれた。
「本当はサークルの活動の一環と言うか、先生からの課題だったんだけど……ま、普通にもう楽しくなっちゃってね」
その学生の笑顔は輝いていて、眩しくて、見ているこちらも元気になるものだった。
だから尚更、やはり混ざりたかったなとみよ子は後悔する。
楽しみにしていた大学、大学生活。
あれこれとやりたいことをたくさんやるつもりだったし、色んな人と交流を持つつもりだった。
しかし、彼女のそんなまばゆい夢はやはり夢幻でしかなかったのかもしれない。
この数日、つくづくそんなことを考えていた。
あのお喋りな胡散臭い男に声をかけられた日から、全てを根掘り葉掘り聞き出された日から。
夢を見ることは出来ず、現実しか見られなくなった。
(もう会うことはない、って思ってたけど……考えてみればあの人もここの学生なんだよね? っていうことは鉢合わせることもあるかもしれないし……)
う~ん……と唸り声を上げながら頭に手をやる。
あの男に屈辱的な嫌がらせを受けつつも、もう忘れてしまおうとこの数日は友達とあちこち遊びに行っだ。
学校の忙しさも遊びの忙しさもみよ子は好きだったが、今こうして授業がなくなってしまい時間が空いてしまうと、余計な思考が浮上する。
「お隣、いいですか?」
「えっ……あ、はい!」
頭を抱えてうんうん悩んでいると、背後から突然声をかけられた。
みよ子は反射的に返事をして座っている位置を変えたが、その声の主をきちんと確認してから返事をすべきだったとすぐに後悔する。
顔を上げた先には、あの胡散臭い笑顔があった。
「やあやあ久し振り、みよ子ちゃん。最近の調子はどう? 元気? あれから何かおかしな話とか怖い話とか見たり聞いたりしてないかなあ? 俺はね、また新しい噂を仕入れたよ♪」
見覚えのある真っ黒な男はそうペラペラと喋りながらベンチに腰を下ろした。
愉快そうに、細い目でわざとらしく笑いながら、喋り続ける。
みよ子は絶句していた。
「ところでさあ、あの子ら何してんの? っていうか授業にも出ず遊んでるなんて能天気でいいな~。あ、そうか。そういえば美術史の先生が急遽出張で授業空けるとか掲示板に書いてあったね。もしかしてみよ子ちゃんが中庭でボーっと呆けてるのもそれが原因?」
「……何で、ここに」
男はどんどん話を転がし進めて行くが、みよ子は全くついていけなかった。
それどころか一番初めのところで止まっている。
「何でって、俺は院生だからね。そりゃあ学校にいるよ。論文大変なんだよ?」
「そういう話じゃなくて! 何でまたあたしの前に!? もう用は済んだんじゃないんですか!?」
まるで掴みかかるかのようにみよ子は男に詰め寄るが、男は飄々としたままへらへら笑っているだけだ。
「えーっと、きみの言う〝用〟っていうのは何のこと?」
「あたしの抱えていた秘密を聞いたじゃないですか! 他に何をっ……」
「あーはいはい、そういうことね」
みよ子の言葉を遮って男はわかったわかったと手を叩く。
「きみの話を聞いたのはさ、俺の活動の一環なわけですよ」
「……はい?」
眉間にシワを寄せて首を傾げると、男は「はい」と持っていた二本の缶ジュースの内一本をみよ子へ渡した。
「これがいわゆる〝取材代〟ということで」
「……」
「んでね、俺がきみに対して用があるのは、俺の話し相手になって欲しいんだ」
正しくは聞き役、と男は付け足した。
みよ子の抱えていた秘密、男に聞き出された秘密というのはみよ子の過去に関する奇妙な出来事。
顔を作り替えることの出来る奇妙なクリームと、彼女自身が巻き込まれた誘拐殺人事件。
自分の身代わりとなって死んでしまった、もう一人の自分。
到底誰かに信じてもらえるような話ではないこの秘密を、彼女は目の前の男に半ば脅される形で聞き出された。
そして男はこの奇妙な秘密を全て聞き、全て信じ、自分のコレクションとして脳内に保管しているのだ。
何の目的があるかは知らないが、むしろ知りたくないのだが。
この黒い男は奇妙な噂や怪談、都市伝説の類を集めているらしい。
(あたしが、聞き役……って)
サッと血の気が引き即座に立ち上がる。
様子が一変したみよ子だったが、男にとっては想定内だったようで特に驚きはしなかった。
「い、いやですからね! 何であたしがあなたの話なんか……あたし怖いの駄目だし!」
「え~そんなつれないこと言わないでよー。ただの聞き役なら誰でもいいけど、全部を信じてくれるのはみよ子ちゃんだけなんだし」
「あたしがその手のことに関わってるからでしょう!?」
「正解!」
「いやです!!」
もう関わりたくないと思っていた過去や人物にどうしてこう立て続けに悩まされなければならないんだ!
と、みよ子は憤慨し渡された缶ジュースも男へと押し返した。
「あたしは普通に生きるって決めたんです! もうそういうことには金輪際っ」
「え~、あっそー。ふーん」
「…………」
「いやいや、みよ子ちゃんがさあ、まあそう言うなら? 仕方ないよね~……」
「……何ですか、その含みのある感じ」
「え? いや別に?」
わざとらしく諦め、呆れ、次には手のひらを返したようなスマイル。
どう考えてもそれは挑発……いや、警告だった。
「……またですか。……また、脅すんですね」
え? そんなことないよ。
まぁみよ子ちゃんが怖いの苦手って言うのもわかったし、俺はそういう怪談大好きだし……特に人が死んでる話なんてのはマストだよね! と言ってもいいよ。
でもみよ子ちゃんは聞いてくれないんでしょ?
あ、違った。聞きたくないんでしょ?
それなら仕方ないさ、俺が我慢すればいい話だし。
あーでもそうだな~……こないだ誰かさんから聞いた、顔を変えられた誘拐事件の被害者女子中学生って言ったら話題性抜群だしな~。
ネットに書きこんだ日にはそれはもうあっという間に盛り上がって特定班が動いちゃうんだろうな~楽しみだな~~~。
「……」
「黙ってても全部顔に書いてありますからね」
「えっ!? 嘘!?」
男はぺたぺたと自分の顔を触ったが、みよ子は深いため息を吐きしゃがみ込んでしまった。
今ここで男の話を断り、そのまま立ち去ってしまえば男はもう関わって来ないかもしれない。みよ子がフッたのだから。
だが男のやり方は初めて会った時と同じだった。
お願いを聞いてくれなきゃ、全部バラしてやる……と。
(いくら誰も信じないようなオカルト話だとしても! ネットに書かれたらあたしのことが世間にバレる……!)
もう騒がれるのは嫌だ。
彼女はただ平和に楽しく、元気に生きられればもうそれでよかったのだ。
それ以上のことはもう望んだりはしない。……そう思っていたのに。
「……聞くだけですか?」
「そう! 上手な聞き手とかそんなこと意識しなくていいからさ。ただ俺の集めてきた話を自慢したいんだ! それを聞いて欲しいだけ! 相づちだけ打ってればいいよ! あ、でも居眠りとかはしないでね」
「……」
心底嫌だったが致し方ない。
聞き役以上のことを要求されないのならまだマシかとも思えた。
(噂話の収集とか手伝わされるかと思った……)
「なになに? 噂集めにも行く?」
「結構です!」
みよ子はドカッと音を立ててベンチに座り直し、男に返した缶ジュースを奪い取った。
プルタブを開けてジュースをぐびぐびと飲み干すみよ子と、それを隣からニコニコと眺めている男。
傍から見ればカップルに見えなくもない。
「で、聞き役になるっていう脅しと缶ジュースくれに来ただけなんですよね? ……院生の先輩」
「あ、そうだった。俺は
「伝達事項はそれだけですよね嵯峨先輩?」
「そうそうあそこで遊んでる子達見てたら思い出したんだけどさ、面白い話があるんだよ」
嘘でしょ……とみよ子は項垂れたが、そんなことはお構いなしに嵯峨の話は続く。
「あの子達がやってるあの遊び、みよ子ちゃんはやったことある?」
「え? ……『だるまさんがころんだ』ですよね? ……多分、幼稚園の時に……やったかも?」
中庭で複数名の生徒が息を切らしながら本気で『だるまさんがころんだ』をやっている。
一人の鬼が木の下で「だるまさんがころんだ」の掛け声をしてから後ろへ振り向く。鬼以外の参加者はその掛け声の最中は動くことが出来、鬼に接近する。
しかし鬼が振り返っている間、つまりこちらを見ている間は動いてはいけない。
それだけの簡単なルールだ。
「目を離してはいけない、ずっと見ていないと殺されてしまうものがあるんだってさ」
そんな一言を皮切りに、嵯峨は短い話をした。
× ×
それは自我を持ち、動き、生きていると思われるものだった。
だがそれはコンクリートと鉄筋で出来ている不気味な生き物。
その生き物が歩いている時は石臼を引くような音がするらしいのだが、ただ一つだけ必ず守らなければいけないことがあった。
そいつからは目を離してはいけない。
決して目を離してはいけない、瞬きすらしてはいけない。
視線を外せば、首を折られて殺される。
× ×
「そんなのがいるんだってさ。まるで『だるまさんがころんだ』だよねー」
と嵯峨は面白そうに話すが、みよ子は両手で自分の首をおさえていた。
話を聞いているだけで首筋がひやりと冷える。
「そっ、そんなの本当にいるんですか……?」
「いるらしいよ? まぁ都市伝説の一つなんだけどね。確九十年代の話じゃなかったかなぁ」
夜道に出るとか何かをすると出会うとかそんな細かい条件はない。
ただそんな不気味な生き物がいるらしく、出会ってはいけないものがいるらしい。
たったそれだけの話だ。
(でも、この人が集めた話の内の一つっていうことは……)
少なくとも自分と同じ、もしくは近い存在かもしれない……。
そんな可能性を否定出来ない自分にまた嫌気がさした。
「面白いよねぇ。そんな怪物がいるとしたら一体どうやってそいつを閉じ込めたり倒したりするんだろうね? というかコンクリートで出来てるんだから単純に砕けばいい話なのかな?」
どうかな、そうかな? と憶測を広げていく嵯峨とは裏腹に、たった今自分と同列に並べた存在を〝化物〟と呼称されたみよ子は言葉を詰まらせ、腰を上げた。
「じゃあ、もういいですか? 聞き役の仕事は終わりましたよね?」
「え~ノリ悪いなぁみよ子ちゃ~ん」
そんなブーイングが上がってもお構いなしにみよ子は回れ右をして校舎へと向かう。
これから散々つきまとわれるであろう男から今は逃げていたかった。
怖い話を聞かされたのだから尚更! とみよ子は歩く速度を速める。
校舎に向かう彼女の背後から聞こえるのは耳障りなブーイングと、だるまさんがころんだを一生懸命やっている学生達の笑い声。
風が吹けば葉の擦れる音が聞こえる。
それらの音が、のどかな昼下がりだったんだということを思い出させた。
ゴリゴリ……。
「!?」
しかしそんな音の中からまるで石をすり合わせたような音が聞こえ、思わず振り返る。
だがそこに広がっているのは何の変哲もない楽し気な光景だった。
苦手な怖い話を聞かされたせいで幻聴まで聞こえるなんて……とみよ子は頭を痛めながら踵を返し、校舎へと入って行った。
-CREDIT-
SCP-173「彫刻 - オリジナル」
©Moto42
http://www.scp-wiki.net/scp-173
※加藤泉氏の『無題2004』とは一切関係がありません
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