三十三センチの包丁 - 02


 そういえば先程、文野が「嵯峨から話は聞いてるよ」と言っていたが、一体どんな風に話されているのだろうか……。


「ごめんね、みよ子さん。こんな奴に目ぇつけられて……大変でしょ」

「えっ……ぶ、文野さんも、知ってるんですか?」

「そりゃあ一応。同じゼミ生だし、付き合いもそこそこね」


 苦笑する文野を見て、みよ子は思わず泣きそうになった。

 この苦労を分かち合える人がいるなんて……と。


「あ、あの、あのですね! あたしホラーとか苦手なんです! ホントですよ!? なのにこの人と来たらっ」

「そんなつれないこと言わないでよーみよ子ちゃん、俺ときみの仲じゃない」

「誰があなたと仲なんて組むもんですか! 今日ここに来るのだってあたしがどれだけ……どれだけ来たくないのを押し殺して……!」


 興奮気味のみよ子に嵯峨が油を注いだせいでヒートアップしかけたが、隣の文野の姿を見てハッと我に返る。

 そうだ、こんな話をしに来たわけではないのだと浮きかけた腰を下ろし、コホンと一つ咳払いをした。


「それで、今日は何ですか? またお喋りに付き合えばいいんですか?」

「うんうん、そう思ってたんだ。そう思ってたんだけどさ、せっかく文野がいるんだし……」

「オレがいるから、何?」

「文野が仕入れた新しい怪談聞かせてよ~。せっかくみよ子ちゃんもいるんだし、俺も新しい話聞きたいし♪」

「あたしをカウントしないでください」

「またまたぁ、なんだかんだ言って本当はっ」


 と嵯峨が言いかけたところで、みよ子の手が彼の胸倉を掴んだ。


「本当は、……何ですか?」


 みよ子の聞いたことのない低い声に「えっ、何で? どしたの?」と嵯峨は慌てふためくも、文野はただ隣で見ているだけで助け船を出すつもりもない。

 自業自得とはまさしくこのことだ。


「ででで、でもさあみよ子ちゃん! ね、聞きたいでしょ? 文野の話だよ?」

「どうせ怖い話なんでしょう?」

「いや、まぁそれはそうなんだけど……。でもでも! 今日は俺も一緒に聞くんだからさ~」

「怪談好きなのは先輩であって、あたしを一緒にしないでください!」


 解放された嵯峨はソファに落とされ、みよ子は付き合ってられるかとそのまま部屋を出ていこうとした。

 どうしてあんな奴のワガママに付き合わなければならないんだ、そんな義理は……。と、思っていたところで思い止まる。


(……あれ? 文野さんがいるからって、あたしが聞き役にならなくてもいいじゃんって思ってたけど。……そもそも、あたし)


 嵯峨の迷惑さに対する理解者がいたんだ! ということばかりに頭がいっていて、すっかり忘れていた。

 嵯峨は確かに話し相手が欲しくていつもみよ子に付きまとっていたが、それを断れない理由もあったのだ。

 聞き役がいないから、という嵯峨のわがままに付き合っているのではない。


「……」

「思い出した? みよ子ちゃん」


 付きまとわれているのは、みよ子の秘密を嵯峨が握っているからだ。

 仲間を見つけたからとすっかり気が大きくなっていたが、そんな単純な話ではない。

 そう冷静に事態を飲み込んでいくと、すっかり血の気が引いてしまい、みよ子は蒼い顔で振り向く。

 嵯峨は変わらぬ笑顔をこちらへ向けていた。


「ね、文野の話聞こうよ。俺は聞きたいなぁ……怖い奴。ね!」


 無言の脅迫を受け、みよ子は再びソファへと腰を下ろす。

 そして向かいに座る文野に、自分の態度の変わりように変な顔をされるのではないかと、ビクビクしながら顔を上げた。


(あれ?)


 だが、彼はみよ子に同情の眼差しを送るだけで深くは言及してこない。

 それよりも話を急かす嵯峨に対し不満をもらすばかりだった。


「仕方ないな……。というか、今の時代怪談やホラーの類は流行ってないんだから。いい加減諦めたらどうだ?」

「そんなのわからないさ! 流行ってないなんて言うけど、ホラー小説は毎月発行されてるだろう? 怪談噺が廃れることなんて絶対にないね。それに、廃れて来たからなんて理由で逃げられるとでも思ってるのかい?」

「あーはいはい、話せばいいんだろ。……そうだなー」


 嵯峨を軽くあしらうと文野はしばし考え、「それじゃあ」と語り出した。

 もちろん嵯峨が求めてやまない、怪談の類だった。




 ×   ×




 舞台は海外、それはニューヨークで発見された。

 昔、ニューヨークである強姦殺人事件が起き、それはそれは惨い事件だった。

 独り暮らしをしていた女性が襲われ、殺されてしまったのだから悲惨な事件に変わりはないのだが、その事件は奇妙なものだった。

 事件の証人は三八人、つまり多くの人間がこの事件を目撃していた。

 三八人が事件の内容を証言し、その様子を細かに説明するのだが、この三八人の内誰一人として被害者の女性を助けようとしなかったらしい。

 女性が襲われ、全ての犯行が終わり彼女が死んでしまうまで、六時間も時間がかかったというのに。その間、三八人もの人間が見ていたというのに、誰も助けに入ろうとしなかった。

 集団心理や傍観者効果といった心理的な問題かと専門家達は考えたが、どうやらこの事件はそれだけではないらしいのだ。

 問題は人間の心理等ではなく、犯行に使われた凶器にあったらしい。

 それが、〝三十三センチの包丁〟。

 これがその効果を持ったのがいつかはわからないが、この包丁を使って人を殺そうとすると、第三者が介入出来なくなるらしい。

 どんな状況下であっても、どんな人物が使おうと、誰にも殺人を邪魔させることが出来ないのだ。

 例え犯行を警察署の前、中で行おうと、誰にも止められない……。

 そんなものあるはずないさと一蹴してしまいたくなる話だが、裏付けはちゃんとある。

 この事件の目撃者三八人がそれを証明した。

 この包丁が普通ではない、という証明だ。

 彼等は誰一人として女性を助けることはなかったし、助けを呼ぶ行為もしなかった。

 だが聞いてみれば、彼等は皆「彼女を助けたかった」と口を揃えた。

 犯行を目の前にして、犯人への恐怖やその行いに嫌悪感を抱いた。

 そんなことは当たり前だ。

 だが、助けを呼ぶことは出来なかった。

 まるで何かに阻害されているかのように、助けようとする気力が阻まれて。

 ただ見ていることしか出来なかった。

 自分の意志通りに、体を動かすことが出来なかった……と。

 そして、殺された女性も犯人を目の前にして、大勢の目撃者がいたというのに。

 誰にも助けを求めることはなかったそうだ。




 ×   ×




「誰にも犯行を止めることが出来ない凶器……たかが普通の包丁がだ。可笑しな話じゃないか?」


 文野が語り終えると嵯峨はご満悦といった様子で、みよ子は固まっていた。


「怪談っていうより都市伝説みたいな話だったねぇ。それでそれで? 今はその包丁どこにあるんだって? それだけ実際の事件と深く関わってるなら、凶器の行方だって噂されてそうなもんだけどね」

「さあ? 確かによく出来た話だけど、なんか脚色してそうな臭いもするし……」

「むっ、さては文野……ネットからの拾い物だね? 今の話」

「だーかーらー、今時ネット以外で怪談なんて流行らないって言ったろ?」


 なんだと! と嵯峨の言葉を口火に二人はそのまま論争を広げていたが、みよ子は硬直した自分の身体をほぐそうと腕をさすった。

 確かに都市伝説じみた話だ。

 幽霊話とはまた違う、現実にあった事件と絡んでいる奇妙な物品。

 それも何の変哲もない普通の包丁だというのだから尚更現実味のあるお話だ。

 そう、みよ子にとってこれは「お話」として片付けられないものだった。

 そしてまたこの話がニューヨークの話でよかったと安心してしまう。


(そんな物騒な物、誰かが持ち出したりなんかしたら……)


 何十人、何百人の被害を出してもおかしくない。

 通り魔の事件は今でもニュースで定期的に目にする。


(よかった……なんて安心しちゃいけないんだろうけど。でももしその包丁がここにあったら……)

「あの……みよ子さん、もしかして本気で信じてたりする?」

「えっ!?」


 いつの間にか声にしていたのか、それともみよ子の様子からそう思われたのか、文野が心配そうにこちらを見ていた。


「一応ネタばらしすると、ネットの掲示板から拾ってきたただの都市伝説だから。本気にしちゃダメだよ?」

「え? ほ、本気だなんて! そんな、まさかあ! 本気にするわけないじゃないですか~!」


 アハハハハとみよ子は笑って誤魔化す。

 ならいいんだけどね、と文野も笑ってくれたが、嵯峨は意味深な笑みをこちらへ向けていた。

 全く、こんな都市伝説まで持ち出すのは勘弁してほしいものだ。

 いつまでも冷静でいられる自信がない……というか、知らぬふりをつき通すのも疲れるのだから、と。

 みよ子は笑いながら嵯峨のことを睨んだ。




-CREDIT-

SCP-668「13インチの包丁」

©DrClef

http://www.scp-wiki.net/scp-668

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