一、行方不明の少女
行方不明の少女 - 01
「きみ、だあれ?」
少女が菓子パンを頬張る直前、そんな問いが投げかけられた。
私立大学の食堂は広く、あちこちで学生達が各々の時間を潰している。
「……誰って」
しかし問われた少女はポカンと口を開けたまま、困ってしまった。
誰? と聞かれても、その質問を投げかけて来た青年とは初対面だ。
こちらこそ、「あなた誰ですか?」と言いたいところ。
「いやね、名前を聞いてるんじゃなくって。きみは誰かい? 素性は何だい? と聞いているんだよ。名前、出身、年齢、好きな食べ物。全てをひっくるめての質問なんだけどさ」
胡散臭い笑みを張り付けた青年はペラペラと喋りながら少女の向いに腰を下ろす。
頭のてっぺんから足の先まで、真っ黒なかっこうをした眼鏡の青年。
入学して間もない少女にとって、年上の知り合いはまだいない。
「え、えっとですね……急に聞かれましても、その……見ず知らずの人に素性とか言われても……」
ぎこちない愛想笑いでかわしたかったが正直難しいだろうなと思い、面倒な人に引っ掛かってしまったと少し憂鬱になる。
次の授業まであまり時間もないというのに、楽しみにしていた昼食が潰されてしまうかも……と。
「えぇ~? いいじゃない、きみ新入生でしょ? まだ知り合いとか友達とか少ないんじゃない?」
「そっ……そんなことないですよ!」
同じ授業をとっている同期や同じサークルの同期生と仲良く話すことくらいある。
友達が少ないとは心外だった。
「友達はちゃんといますし、それにあたし友達作り得意な方なんですからね!」
頬を膨らませて不服を訴えようとしたが、目の前の男の耳には届いているのやら。
少女の訴え等聞こえなかったように話す調子を変えることはない。
「またまたそんなこと言っちゃって、素直じゃないんだから。確かにこの大学は大きいよ? 広くて大きくて、人もサークルも多くて活気に溢れている。……けど、それでもきみは一人じゃないか。現に今こうして一人でランチをとっている」
「それはサークルの連絡で駆け回っていたからで、今日だけですもん」
「昨日だってボッチ飯してたのに? この席で、今日と同じ購買のメロンパン食べてたでしょ」
その言葉にドキリとして、同時に椅子ごと数センチ後方へと下がった。
この男、もしかしてストーカーか何かか? と。
「なっ、何で……」
「本当は友達なんていないんでしょ~? 俺にはわかるよ~?」
しかしあまりにも男の言葉がネチネチと続くので、流石の少女も我慢の限界だった。言われっぱなしは悔しい。
「そうは言いますけどね! あなただって友達いなさそうじゃないですか! こんな人にねちっこく当たってくるなんて……」
「? そうだけど」
「否定しないんですね!?」
開き直られては反撃の意味もなし。
もう付き合っていられるか、と少女は食べられず仕舞いの菓子パンを袋に詰め込んで席を立ちあがった。
だが、またしても男の声がその邪魔をする。
「あーあーどこ行くの」
「次の授業ですけど? あたし新入生なので、フルで授業入っているので!」
「いやいや困るな~。きみの話を聞きにわざわざ研究室から出て来たっていうのに」
やれやれと残念そうな顔をされても、長々と嫌味を聞かされた側としては聞く耳を持つつもりもない。
そんなこと知りません、とそっぽを向いて少女は足を進めた。
「……じゃあ、きみの〝秘密〟を知っている、と脅すのはどうだろう?」
その言葉に足が止まり、少女は静止する。
大きく目を見開いて、何かの聞き間違いではないかという期待を胸に、ゆっくりと振り返った。
そこに座っているのは、先程と変わらない、真っ黒な男。
胡散臭そうな男。
お喋りで、少ししゃがれた声を発する。
まるでカラスのような男。
「……今、何て」
「おやおや? やっぱり最初から脅しておいた方がよかったかな?」
男はニコニコと笑いながら、少女に座るよう促した。
しかし、素直に座ることは出来ない。
反応してしまった手前「秘密なんてありません」と撤回することは難しいが、それでも何かの勘違いをしているのでは? と男に対してかすかな希望を抱いてみた。
「ひ、秘密って……どれのことですか? あたしの好きな人、とか?」
「好きな人なんていないクセに」
カマをかけると男はするりとそれをかわした。
「……本当は第一志望じゃなくて、滑り止めでここに入学したこと?」
「妥当なトコを選んだだけでしょ?」
「購買のメロンパンが好きで三つも食べてることとか」
「本当は帰り際に一つプラスして四つね」
「友達に合わせて興味のないサークルに入ったこと」
「その友達を友達とは思ってない」
「実家暮らしって言ってるけど独り暮らしなこと」
「家族はいなくなっちゃったんだよね?」
「現役合格だけど本当は皆より一つ歳が上とか!」
「中学でダブっちゃったんだよね」
その理由を知っているよ。
むきになっていた少女の口を閉ざしたのはその一言だった。
男は笑顔を絶やさず、少女は段々と蒼ざめていく。
この男はどうして、どこで、どこまでを知っているのか。
少女には到底理解出来ず、再度勧められたその椅子に座る以外の選択肢がなかった。
「……あたしを脅して、どうしたいんですか?」
男の向かいに慎重に座り直し、少女は躊躇いつつ質問する。
自分なんかを脅しても何も出ないのに、それでも彼にとっては何か意味があるらしい。
だが、その真意は到底見当もつかなかった。
「お喋りしよう!」
「……はい?」
緊張でかしこまっていた少女は素っ頓狂な声を上げ、男はからりと笑う。
「ま、どちらかというと今からはきみに話をして欲しいんだけど、とりあえずお喋りしようよ。お喋り嫌い? 女の子なのに?」
「それは偏見だと思うんですけど……」
「あぁこれは失敬、俺もお喋り大好きだったんだ。今のじゃ俺も女の子ってカウントされちゃうね、それは可笑しなことになる」
けらけらと楽し気に笑うが少女にとっては意味不明だった。
先程自分を脅してきた男の言動がこれなのか、という戸惑いを隠すことは出来ない。
そして、一体どうして自分はこんな男に付き合わされなくちゃならないんだと腹が立ってきた。
「……どうしてあたしのこと知ってるんですか? まさかストーカーじゃ」
「ストーカーだなんて、俺にはそんな立派なことは出来ないなぁ。ストーカーってあれだろう? 好意を抱いた相手の一挙一動を観察して爪先から髪の毛先までを知り尽くして自分の時間を全て捧げる、……なんて俺には到底出来ないさ!」
彼がストーカーをどう定義しているのかよくわからないが、深く触れないでおこうと少女は言葉を飲み込んだ。
「それじゃあ、あたしのことをどうやって……」
「あ、それは簡単。噂だよ」
「噂?」
聞き返すと真っ黒な男は得意げに人差し指を立て、くるくると回しながら説明する。
「人から人へ伝わる噂、空気として伝染していくような噂、ありきたりなものから個人情報に関わることまで。とにかく俺は噂が大好きなんだ。だからきみのことは知っている」
「……あんまり説得力がないんですけど」
「特に都市伝説と怪談は素晴らしい! 人智を超える超常現象、摩訶不思議なオカルト話は最高だね!」
声高らかに男は悪趣味を宣言するが、食堂にいる学生らの賑やかさにそれはかき消されてしまう。
そして少女も口を閉ざした。
何て物好きで悪趣味でゴシッピーなんだ、と引いたわけではない。
どうして彼が自分の話を聞きたいと言ったのか、その理由が判明したからだ。
「それが理由ですか?」
「それが理由だね」
少女が悟ったように、男もそれを見え透いていた。
賑やかだった食堂は徐々に静かになっていく。
皆次の授業の為に食堂を出て行った。
少女もそれにならいたかったが、目の前の男がそれを拒んで来る。
人気が失せた食堂は妙に物悲しく、テーブルの端で寝ている生徒や、次の授業がない女子グループが声を潜めて談笑していた。
しかし少女と男の間に流れる空気はそれらとは全く違う、飲み込むことの出来ない喉につっかえるような重たいもの。
少女はただ、〝あの話〟はしたくないと奥歯を噛むことしか出来なかった。
「それじゃあきみの話を聞かせておくれ。俺、結構聞き上手って評判なんだよ。やっぱりただのお喋り好きじゃあやかましいだけだしね」
「……話、というのは」
「きみの想像通りさ。もう筋書きは頭の中で出来ているんだろ?」
少女の拒絶は脅迫に潰され、男はお構いなしに彼女の言葉を無理矢理引きずり出す。
「六年前、きみが巻き込まれた〝誘拐事件〟について聞かせて欲しいな」
にっこりと笑ってそう言うと、男はそれきり口を閉ざしてしまった。
少女が話し出すのを今か今かと待っているのだ。
誰にも話すまいと決めたあの話を、永遠に自分
の秘密にして埋めておこうと誓ったあの事件の顛末を、話さなければならないのか……と少女は目を伏せる。
だが今ここで話さなければ、きっとこの男は自分のことを「六年前世間を騒がせた誘拐事件の生き残り」と学校中に言いふらすに決まっている。
そう彼の顔に書いてあった。
なんとも汚く、手段を選ばないえげつない人でなしだ。
と、少女は心の中で罵倒する。
そして深呼吸を一度してから、彼女は口を開き言葉を紡いでいった。
六年前に起きた、連続女子中学生誘拐殺人事件について説明する為。
× ×
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