***


「ということがこないだあったんだけどさ、ウキヨトはどう思う?」

 これってそういう意味だよなと絡んでいるその側で、今日は三人の参拝者が愛する者との再会を果たしていた。

「どうして私がお前の惚気なんぞを聞かねばならないんだ」

「少しくらいいいじゃないか。再会が終わるまでやることもないんだろ」

「お前……敬意はどこに置いてきた」

 ウキヨトはため息をつきつつ大樹の根に腰を下ろした。カナギも適当な根を選んで同じようにする。しかしこちら側は陽の当たらない場所。ひんやりと湿った根の表面はあまり気持ちの良いものではなかった。

 境界線を挟んで、ウキヨトと向かい合った。何だかんだ言いながら、ウキヨトはカナギのことを無碍にはしない。

「オンコトの案内役ならば『否』のものに慰めの言葉の一つでもかけて役目を果たせと言いたいところだが、今のお前の緩みきった顔では無理だろうな」

 呆れた様子で言う。

 今日の御事参りでは三人が『可』となった。しかし大樹にたどり着いたのは四人だ。この状況でたった一人死者との再会が叶わなかった彼は、打ちひしがれてもう一人の案内役に慰められている。

「あいつはああいうのが得意なんだから、『テキザイテキショ』ってやつだよ」

 あいつというのは一緒にここまで登ってきた案内役のことだ。二つ年下の彼は体力的には難があるが、人の世話などはカナギよりずっと上手い。

 その彼が手こずるほどに今日の『否』の参拝者は落ち込み、そして荒れていた。

「仕方ないよ。ここまで三回も大樹のもとにたどり着いてんのに、三回とも『否』なんだから」

 カナギは止む無しという態度を見せたが、ウキヨトは納得がいかぬ様子で『否』の者を眺めていた。

「何度も会いに来るくらいならば、いっそこちらに来ればいいというのに」

 大樹の前にいながら、自分の足もとを指す。光が差し温かになった大地から、土と緑の匂いがしていた。

 カナギがいる場所とは大違いだ。ここ数日晴れの日が続いているというのに、森自体の空気は湿り気を帯びていた。暑い季節を前に木々の葉の茂りは勢いを増していて日は虫食い穴の様に地面を照らすだけだから、オンコトの森はいつもよりもいっそう陰鬱な場所になっていた。

 その中にあって、唯一眩く光を受け止める大樹のその足もとで、ウキヨトは「こちらに来ればいい」と言った。

 カナギとウキヨト、そして参拝者と彼らの愛する者の間には光と陰とを分ける境界がある。その光の側に来ればいいと言うのだ。

 それが何を意味するのか、子どもであるカナギでも十分に理解できた。いや、この村においてはオンコトの森に入る子どもたちの方がそういうことを理解していたかもしれない。

 つまり、それほど愛しいものがいるのなら命を投げ捨て同じ世界に移ればいいと、そういうことなのだろう。

「オンコトの森に立ち入ってまで会いたいと思うほど恋い焦がれているというのに、自分だけはそちらに残りたいと言うのはあまりに欲張りだと思うがな」

「それくらい許してやれよ」

「だいたい、死者の魂を生きる理由に利用するのがいけ好かない」

「何のことだよ」

「お前たちは『あいつの分まで』とか『あいつに代わって』とか言って、死者を自分が死なないための出しに使うだろう」

 それが嫌いなのだとウキヨトは言った。

 なるほどと思う部分もあったが――

「参拝者にはそんなこと言ってくれるなよ」

「なぜ悪い」

「ここまで連れてくるのは俺らだ。目の前で変な気を起こされちゃたまらない」

 今日初めて会いこの先二度と会わないであろう者たちではあるが、彼らが境界を越えてあちら側に行く瞬間に立ち会えば、きっと不愉快に感じるのだろうと思った。

「人の命ってのはさ、そいつだけのもんじゃないんだよ。たぶんな」

 ウキヨトは「ふうん」と気のない返事を聞かせた。

「しかしお前も単純なものだな。好いた女にそれらしいことを言われたくらいで、元あった悩みなどどこかに吹き飛んでしまうのだろう?」

 参拝者が見せる表情参拝者の表情やウルハシと御事参りの謎はどうでもよくなったのかとまくし立てる。

「お前なんかは、余計なことを考えず村で楽しく暮らす方が合っているのだろうな」

「そんな言い方しなくたっていいだろ」

 嫌みったらしく言われれば「からかわれてるのかもしれない」と軽くとらえられるものだが、ウキヨトは慈しみの心さえ感じる言いぶりでカナギのことを哀れむのだ。

「俺だって、ちゃんと頭使ってんだよ」

 そう返すのが精一杯だった。

「使える頭があるのならもっと他のことに使え。お前だっていつまでもこの森に来るわけではない。答えの出ぬ問いなど放っておくがいい」

 ウキヨトは言って参拝者たちの様子をうかがう。すぐに目を転じ、別れの時間を見定めるように大樹のずっとずっと高いところを見上げた。その辺りを漂う風はまだ穏やかに吹いている。「そろそろか」とこぼしたのが聞こえて、カナギはすっと背筋を伸ばした。

「ああ、そういえば、参拝者にヤソという男がいたな。あの者に伝えてくれないか。これ以上森に入っても無駄だと」

 唐突にウキヨトがそんなことを言った。大樹の決を待たずにウキヨトが断じるなどということは初めてのことだった。

 カナギはすぐには答えられなかった。

「意味が理解できなかったか?」

 ウキヨトに聞かれて「いいや」と答えた。

「ずいぶん早いんだなって思っただけだよ。だって普通は十年くらいだろ」

 人の魂がオンコト森に留まるのは、せいぜい十年と言われている。

「清廉な魂というのは次の行き先が見つかるのが早いんだ」

「でも、本当にいなくなったのか、わからないだろ。最後に一度試してみてからじゃ駄目なのか?」

「会えぬことが続けば鬱憤が溜まり心が穢れる。大樹も森も、そういうものを最も嫌うのだ」

「そうか」

「何だ、乗り気ではないか?」

「いやあ、別にそういうわけじゃないんだけどさ」

 カナギは右膝を支えにして頬杖をついた。

「やはり乗り気ではなさそうだな。目出度いことだというのに」

「それはわかってる。わかってはいるんだけど」

 愛しい人に会いたい一心でこの険しい道に何度も挑んだ人だ。自ら区切りを付けるのではなく取り上げられる形で御事参りを終えるとしたらどんなことを思うのだろうと、

「どんな顔するんだろうな」

 と考えてしまう。

 カナギは今までの参拝者たちが見せた表情を思い浮かべながら大樹を見上げた。

「森に入っても無駄だと、そう伝えればいいか?」

 確認すると「ちょっと待て」と返ってくる。

「そうだな……『来るな』とそう伝えてくれ」

 ウキヨトはあえてその言葉を選んでカナギに伝えた。

 カナギはたまらずため息をこぼした。

 上空で渦巻いた風が大樹の枝葉を大きく揺すぶった。


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