6
***
参拝者たちは朝早くに村を発った。午後には天気が崩れるだろうという
「そういうわけで。カナギ、手伝ってほしいの?」
両手にたくさんの道具を抱えスガソが言った。野良仕事か、大工仕事か、掃除用具にも見えるがそう考えると余計なものが含まれているように見える。
「手伝いって? それに『そういうわけで』ってどういうわけだよ」
言うとスガソは空を見上げた。
「天気が崩れる前に終わらせなくちゃ」
「だから、何を――」
「今日は参拝の人たちがいないから、いいでしょ? ハイ、これお願い」
荷物の半分を押しつけられてはいいも何もない。
「せめて何をするかだけでも教えてくれよ」
「何って、決まっているじゃない。そろそろ暑くなる頃よ」
「ああ、もうそんな時期か」
「その前に掃除しなくちゃ」
スガソが当然のことのように言う。
カナギは「待てよ」と言って周囲を見回した。スガソとカナギの他にはこの話に加わっている者はいない。
「俺たちだけでやるのか?」
「だってみんな忙しいから」
参拝者がいなければいないで、村の人たちは忙しい。村伝統の模様を刺繍した衣類やお守りや装飾品は、参拝者に人気があったため土産品としてよく売れた。
「最近参拝が続いていたでしょ。お世話とか振る舞いとかで忙しかったから、今日は手仕事の日にするみたい」
私は不器用だからと続けてスガソは照れ笑いを浮かべた。
「まあ俺も、細かいことをやるくらいならこっちの方が合ってるけど」
「でしょ?」
「それにしたって二人だけでやるのか? スガソが声を欠けたらいくらでも手伝ってくれるだろ」
特に男どもが、と言いかけて飲み込んだ。事実ではあるが、言葉にするのは何だか癪だった。
そんな男心に気づいているのかいないのか。スガソは無防備な笑顔を見せながら
「私はカナギと二人がいいの」などと思わせぶりなことを言う。
「たまにはいいでしょ?」
「別にいいけどさ」
いいのだが。むしろ大歓迎なのだが。ただひとつだけ文句を言わせてもらえるなら
「墓掃除じゃなかったら、喜んでお供するところなんだけどな」
それに尽きる。
ウルハシの者は御事参りをしない。
季節毎の慰霊祭の他に、村人たちは暇さえあれば墓に話しかけに来るから、死者のことをないがしろにしているというわけではない。
だというのに、すぐ目の前にオンコトの森があり、死者との再会を果たした人たちの喜ぶ姿を目の当たりにしながら、御事参りをすることはない。
「カミ家のおばあさんが亡くなったときは、みんなあんなに泣いて悲しんだのに、誰も御事参りをしたいなんて言わなかったわよね」
スガソは自分の記憶の中にある数少ない死別の思い出を引っ張り出して言った。
「だけど毎日のように墓に来て話しかけたりしてるんだから、不思議なもんだよな」
ここにいるわけでもないのになとカナギは付け足した。
ウルハシの墓は言ってしまえば形だけだ。村では昔から、亡骸は燃やしその灰を森に撒く。男は男森へ。女は女森へ。それを『森へ返す』と言っていた。
だからこの墓地にあるのは、一族ごとに建てた慰霊碑のようなものだった。もしくは記念碑というべきか。この一族にこういう者があったということを後世に残すため、石の塔に名を刻む。
カナギは石の塔を見上げた。カナギの背の倍はある塔は、大きさも然る事ながらいつでも綺麗に磨かれていて、亡くなった人たちへの愛情と敬意を感じられるものだった。
「これだけ大事にしてるんだ。会いに行きたいって思ってもよさそうなもんだけどな」
それなのに会いに行こうという人が出ないのは、コトノハを買える人間などこの村にはいないからだとか、匂いに耐えられなかったからだとか、そういうことが理由なのだろうと漠然と納得していたところがある。
それがスガソの一言によって覆されるとは思いもしなかった。
「コトノハ、手に入れられるよ」
あっけらかんと言った。
「だって森に茂ってる葉なんだもの。採取のときに見張りの人がいるわけでもないし。地面に落ちたり傷が付いたりしたものなら、お守りとしてこっそり持ってる子、結構いるよ」
女子の間では普通のことらしい。
「お母さんたちもやってたんじゃないかなあ。エミ家のミフミっているでしょ? あの子が持ち帰ったコトノハをうっかり出しっぱなしにしちゃったらしいんだけど、お母さんは『ちゃんとしまいなさい』って言っただけで怒ったりしなかったって」
カナギの――男たちの知らないところでコトノハはそんな風に扱われていたのかと驚いた。しかし、
「そんなもの持ち帰ってどうすんだよ」
カナギは間髪を入れず疑問をぶつけた。
「女森にある木の樹脂で固めると綺麗な装飾品になるの」
秘密よと懐から取り出したものを見せてくれる。綺麗に畳まれた織物を開いてみれば、その真ん中に耳飾りがちょこんとあった。耳に通す小ぶりの輪の先にぬらりと光沢のある欠片が付いている。うっすら黄色みがかった樹脂の中にコトノハの切れ端が閉じ込められていた。小さく切り取られていても、特徴的な厚みと張りのある感じはよくわかった。
「人前で着けられないんなら意味なくないか」
なにせ、こっそり持っているコトノハで作った耳飾りだ。
「言ったでしょ。お守りだって」
「それならわざわざ耳飾りにする必要ないだろ」
「森に入るときに着けて、それでコトノハの木に願掛けをするのよ」
「願掛け?」
「そう。好きな人とずっと一緒にいられますようにって」
そんなことが女の子たちの間では流行っているのだと笑ったスガソの顔はいつもより大人びて見えた。
スガソも願掛けをしたのだろうか。相手は……誰だ?
気になるが確認する勇気もなく、「ふうん」とそれほど興味のないような素振りをしてみせる。
「し、しかし、あれだな。…………そう! あれだ! そんなに簡単にコトノハを手に入れられるんなら、余計に御事参りをしない意味がわかんないな……って話」
強引に本題に引き戻す。
そういえばそんな話だったと、スガソは耳飾りをしまいながら言った。しかし畳んだ織物と墓とを交互に見ながら小首を傾げる。
「そんなにいいものなの?」
「いいものって、御事参りのことか?」
スガソはこくりと頷く。
「行かないのがおかしいって言い方だから。ここで死んだ人に話しかけるのと何がちがうのかなあって」
「いや、ここで話しかけるのは、単なる独り言だろ。御事参りで死者に会うっていうのはさ、」
スガソが石塔の土台に腰かけた。興味深そうにカナギの話に耳を傾ける。案内役の男子たちの話や大人がしている話、宴の際に参拝者が体験を語るのを聞いたりはしているが、実際に目にしたことのないスガソには、死者と会うということがどんなものなのかわからないのだ。
カナギは案内の仕事で見たものをできるだけ細かにスガソに教えた。
道の険しさや匂いに苦しむ参拝者の様子。途中で引き返すときにはどんな顔をしてどんな言葉を吐き捨てていくか。ようやくたどり着いたところには大樹とウキヨトが待っていて、参拝者をどんな風に迎えるか。コトノハはどんな風に死者を呼ぶのか。
御事参りをなぞってようやく再会の場面にたどり着く。スガソは緊張の面持ちでカナギが話す話の続きを待っていた。
「初めて再会の瞬間に立ち会ったときは、驚きとか気味悪さが勝ってた。けどさ、二回目三回目になるとちょっと余裕が出てきてさ。『参拝者のおっさん、奥さんと会えてデレデレしてんのかなあ』とか考えながら見てたんだ。でもそんなことしちゃいけなかった。あの瞬間は……神聖なものだったよ」
『神聖』などと、普段の自分なら選びもしないような言葉がするりと出た。それは姿のないものを盲目的に信仰している人のようで、恥ずかしさがこみ上げてきた。そんなつもりはないと言い訳したくなったが、相手はスガソだ。
「それはきっと、とても尊い景色だったのね」
カナギが思い浮かべたのと同じ一瞬を眺め恍惚としていた。
「何度でも会いたいと思う気持ち、ちょっとわかるかも」
スガソは言って微笑む。
「でもあいつは、参拝者の中では珍しい方なんだぜ」
すかさずカナギは言った。どういうことかと問うスガソの声を待たずに御事参りの続きを語り始めた。
カナギが『神聖』と言いスガソが『尊い』と表現した再会は幸福ばかりを生むわけではない。
愛しい人との
「あの人だけじゃない。他の参拝者もたいていは、死者と別れるときにはあんな顔をするんだ。それが不思議で不愉快で、ずっと心に引っかかってる」
「それが『なんでもない』の正体だったのね」
スガソは同情するような顔をしていた。ようやく話してくれたとこぼしたときには少し笑ったが、あとは悲しく寂しそうな顔だった。
最近カナギが考え込んでいることが多かったから気になっていたのだという。墓地の掃除を『二人がいい』と言ったのは話を聞く機会が欲しかったからだと打ち明けられた。
それだけ気にかけてくれていたことは嬉しい。だが二人きりの理由がそれであったことはその嬉しさが薄れるくらいに残念でもあった。
「どうしてなのか、わかる日が来るのかなあ」
スガソがぽつりとこぼした。
「御事参りしてみればわかるのかもな」
冗談半分で言った言葉にスガソが真面目に反応する。
「だとしたら、私には無理かも」
「なんでだよ」
「だって、カナギはきっと長生きをするでしょ。そうしたら亡くなる頃には私もおばあちゃんだもの。御事参りなんてとてもできないわ」
長生きする根拠はとか、どうしてカナギが先に死ぬ前提なのかとか、いろいろ指摘したい箇所はあったが――
「ちょっと待てよ。今御事参りの話をしてるんだぞ」
「知ってるわよ」
「御事参りってのは『愛する者』との再会を願ってするもんで、ということはスガソは俺のこと――」
「あらァ、二人とも。ここにいたのー。親御さんたちが探してたわよぉ」
墓地にカナギとスガソ以外の声が響いた。
村の老婆がお参りに来たところだった。
「ありがとう、おばあちゃん。すぐ行くわ」
スガソは何事もなかったように笑顔を見せた。カナギも無理して笑ってみせたが長くは続かず。スガソの言葉が気になって頬の辺りが引きつった。
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