身に着けている者と立ち居振る舞いとがチグハグな女だった。農民が着る服を着ていながらこれほどまでに綺麗に歩く女をカナギは他に知らない。

 御事参りの悪路に備えてわざわざ作らせたのだと言った。「我が家の娘がそんなものを着て外を歩くなんて!」と家族に反対されたが背に腹はかえられなかった。

「私は婚約者に会いに来ました。亡くなったのは二年前。すぐにでも来たかったのですが、準備に色々手間取ってしまって。だって、険しい道を歩くのにどんな格好をしたらいいかなんて知らなかったので。でも準備すべきだったのは、身に着けるものではなくて体そのものだったようです」

 苦笑いを見せた彼女ははじめの急登を登り切れず断念した参拝者だ。また挑戦しますと意気込んだ直後、

「それまでに違う良い人と出会っているかもしれないけれど」

 と茶目っ気たっぷりに言った。

「私は体力的には余裕がありましたが、あの匂いに耐えられなくて」

 口を挟んだのは白髪交じりの紳士。恐いもの見たさということなのだろうか。「あなたはどんなでしたか」と他の参拝者たちに尋ねた。

「そうですね、私のは――」

「ちょっと、やめましょうよ。美味しいものを食べているときに、そんな話を」

 一人目が答えようとしたところで、他の男が遮った。カナギが狩りで仕留めたクセの強い獣の肉を口に放り込んだ直後だったようだ。肉の匂いにか思い出した森の匂いにか、男はキュッと眉根を寄せた。

 白髪交じりの紳士は「それもそうだ」と言いながら完全には話題を変えず、

「しかし、あれさえなければ大樹にたどり着けたかと思うと、悔しくて悔しくて」

 言って盃の酒を飲み干した。

 自然と皆の顔が二人の男に集まった。よりにもよって並んで座っていたせいで格好の餌食となった形だ。

「大樹というのはどのようなものでしたか?」

 最初に話した女が興味津々たる顔つきで尋ねる。

「死者はどんな風に姿を現すんですか?」

「触れることはできるのですか?」

 二人の返答を待たずに次々に質問が飛ぶ。

 男たちは愛想良く笑いながら、どちらが答えるかと視線で探り合う。ほぼ同時に「どうぞ」と譲り合った。その直後、またまた同じ拍で「それじゃあ」と言ったものだから、他の参拝者も村人も声を上げて笑った。

「じゃあ、僕が」

 今度こそと挙手した若い男は、肩を落とし森から出てきた男の方だった。




 大樹までたどり着いて、『可』だった者と『否』だった者。それぞれの体験を聞いた参拝者はうらやましそうな顔をしていた。

 そのうちの一人が『可』だった者を指して

「身なりからするとお金には困っていないようだから、きっとまた会いにくるのでしょう? ほら、一緒に参加していたあの人のように」

「ああ、もう何度も会っているんだっけ?」

「でもそれこそあの領主様のように、次も会えるとは限らないのでは?」

 やっかみなのか、意地悪な口調が混じる。

 本人を差し置いて盛り上がる様子を見ながら『可』の男はぼそっとこぼした。

「いや、私はもういいかな。今回会えたことで十分です」

 うらやましい、とすかさず声がかかったが、カナギには彼の顔が晴れやかなものには見えなかった。満足したというよりは気勢がそがれたといった風に見えた。目の奥に寂しさを含んだような微笑みは、大樹の前で願いを叶えた今までの参拝者が見せた顔と同じだ。

 どうしてそんな顔をするのか。

 せっかく会えたのに。

 誰もがこんなに切望していることなのに。

 ウルハシの村の皆が一生懸命に手伝っているのに。

 どうしてと不思議がっていただけのことはゆるやかに悲しみを連れてきて、やがて苛立ちと変わった。誰かに対してというわけでなく、不可解なことが不可解なまま一歩も前進させられないことへの苛立ちだった。

 知らぬ間に奥歯の噛み合わせに力が入ってしまったようだ。顎の辺りに鈍い痛みを感じて我に返る。視線を感じて隣を見ればスガソが驚いた顔でこちらをうかがっていた。

 目をまんまるにして、彼女は言った。

「どうしてそんなに恐い顔をしているの。何かあった?」

「ああ、いや、なんでもない。……恐い顔、してたか?」

 頬のこわばりを感じながらでは誤魔化し切れない。

「それはもう、こんな顔をしていたわよ」

 スガソがおかしな顔をする。

「そんな顔してないだろ」

「してたわ。神話に出てくる魔物みたい。奥歯を噛みしめて、眉間に皺寄せ目はつり上げて」

 唄うように言葉を並べてフフフと笑う。

「ほら、まだ皺が残ってる」

 スガソの細い指の先がちょんとカナギの眉間に触れた。近づいた衣裳の袖からスガソのいい匂いが香った。

 怒りなんてどこかに飛んでいってしまったようだ。今この瞬間、自分もスガソに触れたいという気持ちでいっぱいになった。

 スガソの指をそっと払いのけその欲を押さえつける。

 高く打つカナギの鼓動をうやむやにするように、参拝者と村人の笑い声が響いた。

「スガソ、あのさあ」

「なあに?」

「…………やっぱり、なんでもないや」

「カナギは最近そればっかりね。『なんでもない』って。私には教えてくれないの? もしかして、信用してくれてない?」

「そんなわけないだろ」

「でも『なんでもない』なのね」

「まあ……そういうことだ」

 スガソにじっと見つめられている。

 宴の輪の中央、傘の形に組んだ薪の一部が崩れた。衝撃で火の粉が弾けて高く昇る。よくあることだ。なのに、夜の空に散った火の飛礫が、蝶の群れが飛び立つ姿のように見えてとても美しいと感じた。

 スガソはそれに一瞬気を取られたようだが、すぐにカナギへと視線を戻した。

 じっと、見つめ合う。

 カナギは照れくささもあって、また焚き火の方へ視線を遣った。炎とはだいぶ距離があるというのに、頬がやたらと熱く感じられた。

「ねえ、カナギ。今日は『なんでもない』かもしれないけれど、『なんでもなく』なくなったときは、そのときはきっと私に教えてね。もっと頼ってくれていいんだからね」

「何だよそれ」

 どんな顔でそんなことを言ったのか。目を向けしっかり見届けたなら、その言葉の真意が少しは掴めたかもしれない。

 しかし今さら視線を移したところで、スガソはもういたずらな笑みをたたえるだけだった。

 そんな顔でスガソは

「私の方がお姉さんなんだから」

 などと言う。

 何がどうしてそういう話の流れになったのか。頭の中で組み立てて、しかしまともに取り合うのも馬鹿馬鹿しくなって

「たった何日かだけな」

 スガソの言葉に乗って笑った。

 気づけば気分はすっかり軽くなっていた。「さすがは『お姉さん』だな」と心の中で呟いて、カナギは空を見上げた。満天の星空に星が一つ流れる。横切った星座で吉兆を占うやり方があったなとふと思い出したが、その類いはカナギの苦手な分野だ。今度誰かに聞けばいいやと放って、スガソとともに宴の輪に戻った。

 

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