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コトノハ一枚の価格は、国内でも中程度の街に住む極一般的な生活を送る民が一年で得る収入と同じくらいだと言われている。
それがどれくらいのものなのか、国の外れの小さな村に住むカナギには想像つかないものだった。
それでも、おいそれとは手が出せない高価なものだということは理解できる。
そのコトノハを必要とする御事参りに何度も参加している男がいた。
ヤソという男でどこかの国の領主だという。五年前に娶ったばかりの妻を不慮の事故で亡くし、それから何度も御事参りに訪れていた。
カナギは三度ほどヤソを案内したことがある。領主というものは偉そうにふんぞり返ってあれやこれやと命令するばかりで、肉体労働などしないから御事参りなどに参加したらすぐに根を上げるようなものだと思っていた。
しかしそれはカナギの偏見でしかなかった。
彼は野良仕事で鍛えた村の男たちに引けを取らない立派な体躯の持ち主で、人柄も温和で気さくという具合だった。何より妻への愛情が深く、厳しい御事参りの道程も妻に会いたい一心で耐えてみせた。
そうして彼は御事参りをするたびに愛しい妻との再会を果たした。
そう。彼は初めの御事参りで『可』の裁決を受けたのだ。そして無事故人との再会を果たした。だというのに、そのあとも御事参りを続けているという珍しい人間だった。
彼を知っている人は「どこにでも連れて行ってはいたけれど、それほど愛妻家という感じはなかったのにね」と口々に言うが、彼の御事参りの回数は軽く十回を超えている。
珍しいと言えばもうひとつ。
彼は皆が見せるような『虚しい』という顔を見せたことがなかった。
そんなヤソが今日の御事参りに参加していた。案内役は他の子どもが当たっている。
「ヤソさん、今日は会えたかなあ」と世話人が言った。まわりにいた村人たちも同じように気にかけているようだった。
実は彼はしばらく最愛の人に会えていなかった。
最後にカナギが担当した二年前の御事参りでは『可』の決が下り、故人との再会を果たしていた。しかしそのあと、ぱったりと会えなくなったのだ。
宴の準備を手伝いながらカナギは男森の方を見遣った。彼ならばきっと大樹にたどり着き、それ程かからずに戻ってくるだろう。久しぶりに会えたのなら、少し長居するかもしれない。だとすると村への帰還はもう少し経ってからだが。そんな予想を立てていたのだが。
思っていたよりも早く森の入り口が賑やかになった。
案内役の子どもは参拝者にぎこちない笑顔を返していた。これはきっと『可』の者と『否』の者が混じっているのだとカナギは察した。
案内役に連れられて下山した参拝者は三人だ。他の参拝者は途中で引き返し、今は村内の滞在場所で休んでいる。
その三人の表情はどれも違っていた。
一人は清々しい笑顔で、一人は大きく肩を落としていた。そしてヤソはどうかと言えば、彼は歓びも哀しみもせず、他の二人よりも堂々とした姿勢で最後尾を歩いていた。その目は同行者の誰にも向けられていない。
気のせいか、カナギたち村人が集まっている場所を見据えているように見えた。
「どうだった?」
村人が案内役の子どもを迎えた。
「この三人が大樹のもとへたどり着いて」
カナギより二つ下の案内役はたどたどしく言った。
「それで裁決は?」
「一人が『可』、二人が『否』でした」
ちらりと上げた視線は機嫌の良い男とだけぶつかる。
もう一人の男は肩を落としていたが「いやあ、駄目でした」と笑顔を作って見せた。村人たちが彼の肩を優しく撫で「頑張ったね」とか「仕方ないさ」と声をかける。
ヤソは何も言わなかった。
村人たちの前で立ち止まることはなく、そのまま村の入り口へと向かう。
「今回も振る舞いには参加されませんか」
村人が問いかけても何も返ってはこない。妻と会えないことが続くようになってからは、人が変ってしまったようだった。
そんな彼がぴたりと足を止めたのは、女森に出かけていた子どもたちが帰ってきたのを見つけたときだった。
笑い声を上げながら村に入ってきた子どもたちを目で追っている。その視線は、一人の手もとに釘付けになっているようだった。
「コトノハか」
ヤソがぽつりとこぼした。
飾りを施した浅いカゴに摘んだばかりのコトノハが数枚乗っていた。それを持っていたのはスガソだ。他の子らは女森で採れる食用の植物をいくらか採ってきたところだった。
彼女らはヤソの視線に気づいてぺこりと頭を下げる。その間もヤソはコトノハから目を離さなかった。
「あなたが今の巫女ですか」
言葉と同時に視線はスガソの顔をとらえる。
「少し前に巫女が替ったと聞いたもので」
「そうです。といっても、少しではなく一年ほど前からですけど」
スガソは屈託なく答えた。
ヤソは「そうですか」と言って、しばらくスガソの顔を見ていたが、ふと何かを思い出したように顔を上げ「失礼。私はこれで」と言って村から立ち去った。
スガソや村の人たちが「何だったんだろう」と気にしたのはほんの一瞬で、皆すぐに忙しさの中へと舞い戻った。
その中でカナギは一人その場にとどまって、ヤソが歩いて行ったその先を睨みつけた。理由はわからないが、何だかとても嫌な気がしていた。
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