***


 都から来る世話人に頼んで手紙を書いてもらった。自分の汚い字では誠実に伝えられないような気がしたからだ。

 世話人は戸惑いながらもカナギの話す一言一句を書き記した。そして必ずヤソに手渡すと約束して御事参りの参拝者を連れ帰った。

 それからちょうど二十日目、参拝者の一団の中にヤソの姿を見つけた。

「見間違いじゃないよな?」「いや、本人だ」

「どうする?」「止めていいのか?」

 大人たちの声が飛び交う。

「どうしているんだよ」

 世話役の男をひっ捕まえて耳打ちする。幸か不幸か、今日の世話役はカナギと仲の良い男だった。

「いや、だって」

 ちらちらヤソの方をうかがいながら男は

「自分の目で確かめなければ気が済まないって言うものだから」

 と情けない声を出した。

 妻は森にということをどうやってその目で確認するつもりなのか。

「いいよ、俺が言ってくる」

 止める世話人の手を振りきってカナギはヤソの前に立った。

 どうしよう、と今日の案内役の男子がカナギの袖を掴む。彼の手をしっかり握り「大丈夫だ」と元気づけた。

 戸惑う人々の視線を浴びながらヤソと向き合う。

 彼には表情がなかった。口もとは優しく緩やかな孤を描きまるで笑っているかのようにしているが、感情らしい感情はひとつも感じられなくて、そういう表情を描き込んだ人形の面と向き合っているようだった。

「やあ」

 と、いつもと変わらぬ挨拶でカナギを視界に入れる。

「残念だけど、もうオンコトの森に立ち入ることはできないぞ」

「どうして?」

 落ち着いた調子で問う。

「手紙に書いただろ。この森ではウキヨトの指示は絶対だ。あいつが駄目だと言ってる以上、あんたにどんな事情があろうと入れるわけにはいかないんだ」

「こちらとしても、この目で確かめるまで引き下がるわけにはいきません」

「確かめるって、何をどうする気だ。見えないものがここにいないことをどうやって確かめる?」

ことを確かめるんですよ」

 顔色一つ変えずそう答えたことに、カナギは気持ち悪さを感じた。人と話している気がしないのだ。

「何を言っているんだ」と問うと彼は視線を自分の手もとへと落とした。村の者が仕方なく売ってしまったのか、彼の手にはコトノハがあった。

 例えば、と切り出して彼は彼の持論を披露し始めた。それはカナギたちには到底理解できない理屈だった。

「私が妻に会いに来ることを良く思わない人たちがいるんです。彼らは私を諦めさせたくて、様々な妨害をしているんだと思っています。村の人にお金を渡して、私のコトノハにだけ細工してみたり。それでも諦めないからと、ついには妻の魂はもう次の場所へ移ったなんて作り話まで用意して」

 抑揚のない一本調子の台詞というものは、こうも耳をすり抜けて行くものなのか。観衆の中には底知れぬ恐怖を感じて一歩、二歩と後退りする者が続いた。

 その流れに逆らって輪の中心に歩み出た者がいる。

「コトノハに細工だなんて、そんなことをする人はウルハシにはいません。そんなに言うなら、この中から自分で選んでください」

 強い口調でスガソが言った。持っていた盆をぐいと突き出しヤソを睨みつける。

「おい、危ないぞ」と言ったカナギの体を押し退け、さらに一歩前に踏み込んだ。

 ヤソの顔近くまで掲げた盆には昨日摘んだコトノハが重なっている。

 ヤソはそこから一枚手に取って自分が持っていたものと見比べた。二枚の葉の間で何度も何度も視線を往復させて、最後にスガソの顔を眺める。

「あなたは、確か女森の巫女」

「そうです。コトノハは私が適正に採取してみなさんの手に渡るまで、誰の手にも触れないように保管してあるんです」

 だから細工なんてしようがないと続けたが、ヤソの感心はそこにはなかった。

「あなたが女森の巫女になったのはたしか」

「一年ほど前です」

 毅然とした態度で発した言葉にヤソの口の端がぴくりと動いたような気がした。

「そうか、あなたのせいでしたか」

 漏れた一言に、カナギは一瞬呼吸を忘れた。ひどく不快で、そして今まで体験した何よりも恐かった。

 危ない、と直感が告げる。

 しかしそれから動いたのでは、半拍分遅かった。

 ヤソの長い腕が盆を払った。そのついで、スガソの胸ぐらを捕らえる。もう片方の腕は高く振り上げられていた。その手には短剣が握られていた。

 キャアっと短くかすれた悲鳴が聞こえたかと思うと、スガソの体は地面に崩れ落ちた。

「お前――何を!」

 すかさずカナギが飛びかかる。

 ヤソは簡単にカナギの体を払いのけ、スガソの腹の辺りに足を乗せた。そのすぐ脇に宝石で飾り付けられた短剣が深々と刺さっていた。

 ほぼ同時、村の男たちは農具を構え、狩り用の弓に矢をつがえしてヤソとカナギらとを取り囲む。その最前に立ってカナギは身構えた。女たちの悲鳴がやけに鮮明に耳を突いた。

「スガソ! 大丈夫か、スガソ!!」

 すぐさま駆け寄ろうとするが、村人たちがカナギの四肢を掴んで止める。

「何するんだ! はなせッ!!」

「やめろ、お前までやられたらどうする!」

 あいつの手を見ろと誰かがカナギに言った。チュニックの袖口から刃物の先がのぞいていた。

「うるさい! そんなもん構うもんか! はなせッ!!」

 カナギは藻掻きスガソのもとへ向かおうとする。しかしいくら身のこなしや体力には自信があったとしても、子どもの体では大人二人に抑えられただけでどうにもならなくなってしまう。おとなしくしていろと言われ「くそっ! ……くそっ!」と唇を噛んだ。

 大人たちはタイミングをうかがっていた。

 ヤソは村の人たちを脅すように、スガソの腹部に刺さった短剣の柄に靴の裏を当てる。軽く踏み込むとスガソは絶叫した。強張った全身が何とか男の足をどかそうともがくが、その動きはもはや痙攣のようにしか見えなかった。

 身もだえるスガソを眺めながらヤソは言った。

「あなたが巫女になったせいで、私は妻を愛でることができなくなった。……許せるわけがないでしょ?」

 表情は相変わらず微塵も動きはしないのに、その台詞に狂気を感じた。

「やめろ!!」

 人々の怒声、悲鳴が飛び交う中、カナギの声が何よりも強く悲しく響く。

 しかしそれすらも掻き消した、スガソの声。

 スッとその場にしゃがみ込んだヤソが、スガソに刺さった短剣をためらいもなく抜いた。スガソの声はそのときの声だった。

 傷口から血が溢れる前に、スガソの悲鳴が消え入る前に、ヤソはその短剣を彼女の胸に突き立てた。

 村の大人が射た矢がヤソの肩を貫く。

 ヤソの体が大きくぶれた。だが彼は短剣の柄から手を離さない。彼はもうスガソしか見ていない。藻掻き苦しむスガソを睨みつけ口の両端をニイっとつり上げる。

 大人たちが一斉に飛びかかった。

 ヤソが短剣を捩じる。

 スガソの声はもう消えていた。

 代わりに、彼女の胸から血が溢れるその音が聞こえてきそうだった。




 大人たちが取り押さえたヤソは、天を仰ぐ形で地に磔にされたように四肢を動かすのをやめた。

 大人たちはスガソに触れることもなく「駄目だ」とこぼした。

 誰の体からも力が抜けたその隙に、カナギは拘束から逃れる。倒れ込むようにスガソの側にたどり着いた。

「スガ……ソ?」

 まだ温かい手を握っても、握り返してくれない。

 一足遅れて駆け寄ったスガソの家族が、カナギから奪い取る様にしてスガソの体を抱き上げた。だらんと垂れる両腕と頭。家族たちはあっという間に血まみれになった。衣服も顔も両の手の平も真っ赤にしながら、娘の体にできた二つの傷口を必死におさえていた。

 どうしてこんなことになった?

 カナギは脚をもつれさせながらよろよろとヤソのもとへ行った。

「どうして、こんなことをした。どうしてスガソを……」

 そう問い詰めたところで、彼は平然と「巫女のコトノハのせいだから」と理不尽な理屈を唱えるだろう。

 だからカナギは違う問いを投げた。

「そんなに会いたいんなら、お前があっちに行けばよかったんだ。……どうしてお前はあっちに行かなかったんだ。どうして奥さんと同じ場所に行こうとしなかった?」

 カナギはウキヨトの言葉を思い出していた。

 もしもこの目の前の男が凶行に出る前に、自らあの境界を越えてくれていればと考えてしまった。

 カナギの問いに対する彼の答えはこうだった。

「あれは美しいだけが取り柄のものだったので、でることができればそれで十分でしたから」

 と、恍惚として言った。その顔が崩れ「それをあの穢れた巫女が」とそしる。

 本当に愛しているか疑わしい相手を『見るため』だけの御事参りだったのか。

 巫女の魂の清らかさによって御事参りが成功するかどうか左右される――そんな眉唾物の情報を信じ切った結果だったというのか。

 そんな理由でスガソは――

 我慢ならなかった。

 カナギは腰に差していたなたを抜き、一気に振り下ろした。


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