二、


 何年前のことだったか。

 街道沿いに栄えた商業都市での儀式を終えた後だった。商人たちの力強さに気圧されていつも以上に心も体も疲れ切っているときに、大雨に降られた。

 しっかりと整備された街道を通るとはいえ、この日は峠越えの予定があったのだが、雨が止む気配はない。やむを得ず一行は道中で見つけた貴族の館に一夜の宿を借りることとなった。

 貴族が田舎に持つ別荘といったところか。

 それほど大きくない館には人の気配はほとんどなく、使用人が立てる物音すらほとんど聞こえてこなかった。しかし、静けさが際立っているというのに、どこか慌ただしさを感じた。

 その違和感をエフネンは『気味悪さ』と感じたようだ。肌をさするような仕草を見せてから「何だろな」とトーテに耳打ちした。

 彼は気味悪く感じたようだが、トーテは懐かしいという感覚に包まれていた。匂いなのか気配なのか、自分とよく似たものが館内に満ちているように感じる。

「誰か亡くなったのですか」

 トーテが言うと館の執事がぎょっとした顔を見せる。しかしすぐに「ああ、」と短く声を発した。そのあとにはきっと「あなたは鍵士ハイラートですものね」という言葉が潜んでいただろう。彼はそこまでは発しなかったが、それですべて理解したという風にトーテの問いに頷いた。

「当館の主といいますか……。正式な所有者はクランクハイト伯のアールツト様なのですが、そのご子息であるロイエ様がしばらくこちらで療養されていらして」

 療養といっても死を覚悟したものだったのだと執事は言った。そう長くはないと医者から言われ、それからはこの館にこもり生活していた。わずかな使用人だけを館に置き、それ以外には誰かを招くようなこともほとんどなく、ひとりで穏やかに暮らしていたそうだ。

 そして十日ほど前に彼は亡くなった。

 今は彼の持ち物を片付けて、もとの『何でもない別荘』の状態に戻している最中なのだという。

「ですので少々騒がしいかと思いますが、何卒ご容赦いただければと」

「いえ、突然押しかけた身ですから。こんなに立派な部屋を用意していただいて申し訳ないくらいです」

 エフネンが外向きの顔と声色で言う。

「何かありましたらどうぞ何なりとお申し付け下さい」

 執事はトーテたちを部屋に案内すると、そう言って立ち去ろうとした。しかし何かを見つけたようで、そちらに視線を向けたままぎゅっと眉間に皺を寄せた。

 何ごとかと、トーテとエフネンは執事の視線をたどる。

 二人が『何か』と目が合う前に執事の深いため息がもれた。そこには一人の少女が立っていた。

 どこの貴族の娘か。

 美しいブロンドの髪をきれいに結わえた少女が、廊下の真ん中に突っ立っていた。落ち着いた紺のドレスの大人っぽさにてっきり妙齢の女性なのかと思ったが、目が合いニコリと笑顔を見せると、それはまだまだあどけない子どもらしさが残る少女だった。

「ヴンシュ様。こちらの階は今日はお客様がお使いになると申し上げたはずですが」

 もう一度ため息が漏れる。

「そうだったかしら? でもお客様がいらしているのに挨拶もしないなんて失礼かと思いまして」

 ヴンシュと呼ばれた少女は何食わぬ顔でそう言ってのける。

「それに、鍵士ハイラート様がいらしているなんて聞いてしまったら、わたくし、じっとしていられなくって」

 なんだ、とトーテは胸の奥で悪態をついた。珍獣扱いをされているのだと思ったのだ。しかし彼女はどうも違うようだ。

 ずいとトーテの目の前に迫り両手を掴んだ。「はしたない」と執事にたしなめられても気にせずに、しっかり握って離さない。

「な、何でしょう」

 体を引きながら尋ねる。逃がさないぞとでも言うのだろうか。少女の手にはさらに力が込められる。

鍵士ハイラート、お願いがございます。どうかわたくしの鍵をお開けください」

「鍵を……開けるのですか?」

 トーテが目を丸くして聞き返すと、ヴンシュはこくりと頷いた。

「それは、いったい…………」

 困って執事を見ると、彼はもう一度、深いため息をこぼした。


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