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***
「ヴンシュ様は、好奇心が旺盛すぎるのです」
執事はお茶を淹れながら言った。
手慣れたもので、無駄のない動きで、優雅にお茶を注いでいく。
三つのティーセットに注がれたお茶は、テーブルを挟んで座った一人と二人の前に置かれた。
ふうわりと、甘やかな香りが鼻腔をくすぐる。
差し出されたお茶を、音も鳴らさずに飲む様は、まさに厳しく躾けられた貴族の娘という風で、話しているときとは違う印象があった。
ヴンシュは亡くなったロイエの従姉妹にあたるもので、彼が唯一親しくしていた人間だった。
「ロイエ様の葬儀のためにいらしていたのですが、しばらくこの館でロイエ様との思い出をたどりたいと仰るものですから、片付けの最中で良ければとこちらも承諾した次第です」
始めはその気持ちを嬉しく思ったが、やがて後悔することになる。
「好奇心が旺盛、だから?」
エフネンがあごを撫でた。隣りにいるとジョリっと髭を擦る音が聞こえてくる。
「ええ、それはもう。あれやこれやと、我々は毎日質問攻めに遭いまして。片付けは進みませんし、質問の答えを考えるのが大変で皆疲弊してしまって……」
執事のため息が増える。
トーテはティーカップの縁に唇を当てながらヴンシュの様子をうかがっていた。
「鍵を開けたいと思うのは、ただ好奇心から?」
それならば引き受けられないと言おうとしたところ、彼女は
「わたくしは恋がしたいのです」
「それは好奇心じゃないと?」
「好奇心かと言われればそうかもしれません。でもこれはロイエ兄様のことを深く知ることにも繋がるのです」
貴族の娘には、物心がつく前に『恋慕の情』に鍵をかけてしまうという習わしがあった。
彼女らの多くは結婚するために『恋』をする必要がないからだ。
ヴンシュは、ずっとそういうものだと思って育ったので、その慣習について疑いを持ったこともなかったし、ましてや不満など抱きもしなかった。
だけどロイエの言っていたことがずっと胸に引っかかっている。
「恋とはどういったものなのでしょう」
ヴンシュが何気なくこぼした言葉に、ロイエは驚いた顔を見せた。
「ヴンシュは恋をしてみたいのかい?」
「した方がいいのかしら」
「そうだなあ、」
キャンバスに向かっていたロイエは手を止めて考え込む。そうして絞り出した答えは、
「どうだろう。君が恋をするべきか否か、僕にはわからない。恋をすることが良いことなのかどうか、僕自身もわかっていないんだ」
というものだった。
「ロイエ兄様は恋を知っているのですか? 恋慕の情は開いているのでしょう?」
貴族の娘には鍵をかけるのが習わしだが、男に対しては一様ではない。その家ごとに対応が分かれるとされていて、ロイエの家では兄弟の誰も鍵をかけることがなかった。
「僕は……知っているよ。今、恋をしているからね」
そう言ったロイエは寂しそうな目をしていた。
ヴンシュはよく覚えている。
ロイエが恋について話してくれるときには、いつも寂しそうな目をしていた。ヴンシュの目をしっかり見つめ話すその瞳は、ときには優しく、幸せそうな輝きを放つのに、次の瞬間には深い闇に突き落とされたような色へと変わる。
恋について話すときにだけ、そういう風になるのだ。
「その理由が知りたいから、わたくしは恋がしたいのです」
ヴンシュは両の手の平を握りしめ力強く言った。
トーテとエフネンは顔を見合わせる。
「恋慕の情を開錠したところですぐに恋が出来るとは限らない」
トーテが言う。
「それより何より、貴族様のしきたりを勝手に破ってしまっては、俺たちはこうですよ、こう」
補足したエフネンが手刀で首もとを斬るような仕草をしてみせた。
「いや、鍵を持つボクに対してそんなことはできないだろうから、罰を受けるとしたらお前一人でだ」
「そういう冷たいことを言うかねえ。俺たちは二人で一つだろ? 今までずっとそうやってきたじゃないか」
「二人で多くの人から恋心を奪ってきたって?」
「またお前はそういう言い方を」
はあっと、エフネンは大きく息を吐いた。
「そういうことです。たとえ鍵を開けたとしてもあなたが恋をできるかわからないし、もし恋を知ったとして、そこに待っているのは幸せばかりとは限らない。それにいつかまた恋慕の情を取り上げられてしまう。……あなたがしようとしていることは、意味があることなのかな?」
トーテの言葉にヴンシュはキュッと口を結んだ。諦めるのかと思ったが、彼女の瞳には強い意志が宿ったままだ。
「意味があるかはわかりません。だけどわたくしは、恋がしたいのです。たとえ恋ができなかったとしても、恋慕の情が開いてさえいれば、恋をする人の気持ちが理解できると思うのです。わたくしはロイエ兄様のことを理解したい」
彼女の気持ちは変わらなかった。
トーテは少し悩んでから「わかったよ」と答えた。隣でエフネンがあきれているようだったが気にしなかった。
「ただし、恋慕の情を開くのはボクがここにいる間だけだ。それでいいね?」
今度はヴンシュが考える番だ。そんな短い時間で何ができるかと怒り出すか。それならばいらないと諦めるか。どんな答えを出すかと待っていると、彼女は強い眼差しをトーテに向けた。
「それで結構です。どうぞよろしくお願いいたします」
貴族の令嬢は椅子から立ち上がり深々と頭を下げた。その年になるまで一度だってそんなことをしたことがなかっただろう。だというのに彼女は迷うことなくそうした。
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