***


 古の賢者は言った。

 恋は人には必要ないものだ、と。

 正確に言うならば、『つがいを選び終えた人には』ということになる。

 人が人に恋をするのはつがい――つまり繁殖の相手を見定めるための機構であるから、その相手を見つけたあとには不要になると言うのだ。

 だというのに、その恋をする心というものは厄介なもので、ときには災いの種となったりもする。太古の昔には恋が原因となって滅びた国もいくつかあったそうだ。

 それならばと、古の賢者は恋心を封じるすべを考えた。生涯の伴侶を見つけ次第不要となった恋心を閉じてしまうというものだった。

 その役目を担ったのが鍵士ハイラートと呼ばれる者たちだった。

 彼らはその国の君主の命に従い、婚礼の儀式を執り行うため各地に出向く。

 淡々とこなす者の方が多かったがトーテは違った。鍵士の中では珍しい方で、この『鍵をかける』という行為があまり好きではなかった。儀式が終わるたびに、何だか心の奥がもやもやと煙に巻かれたような気持ちになった。心地が悪くて、だからいつも逃げるように次の街や村に移動する。

 今日もそうだ。

 儀式を無事に終えると、村の広場では賑やかに酒宴が始まった。その陰で村長や大人たちからいくらかの土産と礼金を受け取る。それは立会人のエフネンがやってくれる。トーテがそういうことが苦手ということをよく知っているのだ。彼の親切にしっかり甘え、トーテは早々に人の輪から離れた。

 そんなだからなのか、村に入った時には盛大に迎えられた行列も、去る際には観客のないサーカスのようで。しかし人目は寂しくとも、兵も従者も踊り子も、道具持ちの男たちも、来たときと同じようにちりんちりんと鈴を鳴らし、華やかで厳かな行列のまま村の端を目指した。

 寂しいとは思わない。

 虚しいとも、腹立たしいとも思わない。

 もうすっかり慣れたことだった。

 豪勢な馬車の列が村をあとにする。

 それは王族か貴族でも運んでいるのではというくらいに豪華で厳重に警護された車列であった。

 だがそれは、祭りの輪から離れてしまえば、どちらかと言えば忌避されることの方が多かった。

 理由はただひとつ。

 鍵士ハイラートを運ぶものだからだ。

 道端にいた幼子が興味本位で車列を指差した。偶然にもそれはいくつもあるうちからたったひとつ、鍵士ハイラートが乗った馬車を確かに指差していた。その様子を見つけた若い母親が青ざめた顔で我が子の腕を押さえつけた。

「別に取って食うわけでもないのにね」

 箱馬車の中、トーテは窓枠を支えに器用に頬杖をついて苦笑した。

「ボクが奪うのは『恋心』だ」

「『奪う』じゃなく、『閉じる』るだろ」

 向かいに座るエフネンは親子の姿をしばらく目で追っていた。

 やがて見えなくなると、たしなめるような視線をトーテに向ける。

「同じようなものじゃないか。どちらにしろ気味が悪いんだから」

 とトーテは反論した。

 他は知らないが、少なくともこの辺の人間はトーテがしていることを怪訝な目で見つめている。行為自体をそこまでいぶかしんでいるかどうかは疑問だが、鍵士ハイラートという存在についてはきっと否定的なのだろう。

 それはこの村の風習のせいだとトーテは思っている。

「ほら、あの村の教会」

 トーテに言われてエフネンは視線をくいっと空に泳がせる。

「教会? 古いのが二つ三つあったような……」

 エフネンの様子を眺めているとおもしろい。

 よくもまあ、そんなに何から何までを表情や仕草に表してみせるのかと感心する。

 天上に向けた視線。

 記憶を探って、焦点は定まらず。

 それが一点にぴたりと止まる。

 思い出した瞬間が目で見てわかる。

 目のまわりの筋肉の動き。

 それに眉の動きがついてきて、「うえっ」と悲鳴のような吐息が漏れた。

 彼は不快なもの思い出してしまったと言わんばかりに、トーテの顔を見た。恨めしそうに睨みつけるような目をしていた。

「綺麗じゃないか」

 トーテはわざとその言葉を選んだ。

 エフネンの表情は余計に苦々しくなった。

「壁一面に、頭蓋骨が並んでいる景色がか?」

「それも綺麗だったけど、それぞれに施された装飾がね。ボクは好きだよ」

「ふうん」

 明らかにトーテとは相容れないという顔を見せながら、それでも言葉では決して否定や拒絶をしない。

 そんなエフネンの対応に心地よさを感じながら、トーテは件の教会の風景を思い浮かべた。

 村で一番古い教会だった。

 その教会の一角に小さなほこらのような建物がある。人が数人入ればいっぱいになる、小さな建物だ。その建物の中、入り口がある面以外の三方の壁にびっしりと、しかし整然と人間の頭蓋骨が積み上げられていた。

 それぞれには、額の辺りに文字や絵が描かれていて美しく飾られている。

 どうしてそんな風習が始まり、根付いたのかトーテは知らない。

 だが、その景色を見たとき、この村の人々は『死』というものを直視できているのだと感じた。

 彼らにとって、人が死んだあとの姿はいくつかの骨でしかなく、それ以上でもそれ以下でもない。妖精のように生前の姿で現れたりしないし、化け物として襲ってくることもない。

 ただ骨となってそこにい続ける。

 その現実を、村の人間はしっかりと見ている。受け入れている。

「だからこそ、ボクみたいなものは受け入れがたいんだろうね」

 トーテが言うとエフネンは複雑な表情を見せた。

「受け入れがたいって、どうしてまた――」

「ボクが死者だからだよ」

「お前は鍵士ハイラートだ」

鍵士ハイラートは死者だ。……なんだか言葉遊びをしているみたいで嫌だな」

 トーテはエフネンの顔色など気にせずにふふといたずらっぽく笑った。

 鍵士となるのは死んだ人間だと言われている。

 死者がどのようにして鍵士となるのか、詳しいことは国民には知らされていないが、彼らが一度死んだものだということは知られている。

 死んでいるというのに、鍵士である以外は普通の人間と何も変わらない。

 だからこそ不気味なのだという声もある。

「棺にも入らず、骨にもならず。そんな死者は不気味なだけさ」

「そういう目で見られるのが嫌だって言うんなら、もっと明るい色の服を着たり、神々しいまでの装飾で身を飾ればいいじゃねえか。ほら、聖職者様たちみたいな感じでギラギラにさあ」

 エフネンの言葉にトーテはあからさまに嫌そうな顔をしてみせた。軽蔑にも近い表情をつくったつもりだったが、きっと彼は気づいていないだろう。

「ボクはこんな存在ではあるけれど、誠実でありたいと思っているから」

「そりゃあ、聖職者様たちを腐しているのか」

「そういうつもりはないけど――あれは滑稽なだけだと思っている。宝飾で威厳を飾る必要なんてあるだろうか。そんなもの虚飾でしかない」

「まあ鍵士ハイラート様の行列も似たようなものだけどな」

「あれは国が帯同しろとうるさいからで」

 トーテが言い終わらぬうちにハイハイと軽薄な相づちを挟んでくる。続けたところで平行線のまま着地点を見失うだけだと判断したのだろう。賢いとは言わないが、こういうところは彼は大人だと思う。

 トーテは脱力したように座席に背中を預けた。ついでに目を閉じれば、路面のでこぼこを生々しく感じる。ゆりかごとするには荒々しい。

 疲れを感じるのに眠りにつくこともできなくて、ただぼんやりと外の様子を眺めていた。

 窓ガラスに水滴がポツリと当たる。

「ああ、雨が降って来たみたいだ」

 言うと自然とため息がもれた。

「ひどくならなけりゃいいけどな」

 エフネンも外をうかがう。

 空はそれほど暗くないようだ。街道を外れさえしなければ馬車の走行に問題はないだろう。とはいえ、雨の中を走るのは馬にも御者にも負担が大きい。

「短い行程にしておいて正解だったな」

「次の街まで一気に行くんじゃないのかい」

「今日はその手前で泊まることになっている」

「珍しいね」

 トーテは窓ガラスに当たる雨粒の行方を追いながらぽつりと言った。

 聞こえているのかいないのか。フッと吐息のような笑い声のようなものが聞こえてきたが彼からの返事は何もなかった。

「雨かぁ」

 迷惑そうに彼は言う。

 トーテはガラスにもたれ空を見上げた。屋根を叩く雨音が強くなってくる。テンポも次第に上がっていく。

 不規則なタップで奏でられる音を聞きながら、ふと、いつかの雨の日のことを思い出した。


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