***


 メントルは「この街で彼女の幻影を見かけたのは初めてだ」と言った。

 この街以外の場所で彼女の幻影を見つけて、それで自分の中に彼女に対する特別な想いが存在していることを知ったのだという。

 僕はその幻影の持ち主に会いに行った。

 街から少し離れたところにある農場に彼はいた。

 僕や彼女と同じくらいの年ごろの、たくましい体躯の少年だった。

 鋭い眼差しで僕を見つけ、そしてついでのような仕草で僕のそばの彼女に視線を向ける。

 僕も同じようにして、彼と、彼の彼女を見た。

 西日が強くなってきていた。

 収穫が近づいた麦の畑に色づいた陽射しが差し込んで、キラキラと輝いてみせる。

 その風景は僕に安心感をもたらす。

 村の景色によく似ていた。

 麦畑なんてどこも同じようなものかもしれないけれど、ここに立っていると心地が良くて、なぜか郷愁がこみあげる。

「俺についている幻影も、あんたと同じような顔をしているだろう」

 表情を変えずに彼が言う。

 その言葉の通り、彼に寄りそう彼女の幻影は、畑を渡る風に身を委ね満足そうに微笑んでいた。

「あんたの連れてる幻影も、似たようなもんさ」

 そこまで言って、ようやく男は笑った。口の端をつり上げただけの不器用な笑みだったけれど、自然と心を開かせるようなそんな表情だった。

 まったく一緒かと言われれば、そうであると言い切る自信はないが、目の前の彼女の幻影は、僕が良く知る笑顔を見せていた。

 おだやかで、優しくて、誰の目も引きつけるそんな笑顔だ。

 彼は――パテマと名乗った男は、自分と彼女の関係について、ほとんど話してはくれなかった。

彼の言葉を鵜呑みにするなら、彼と彼女は挨拶を交わす程度の関係であったと。

それならばどうして彼の元に彼女の幻影が現れたのかと問いただしたかったが、彼は頑として口を割らなかった。

ところが彼は僕の名前を知っていた。

 知っていたと言っても、いくつか並べた名前の中に僕の名前が入っていたというくらいだが。

 それでも僕は彼女と彼が交わした会話の中に僕の名前があったという事実にほっとして、口もとが緩んでしまった。




 納屋に向かい農機具の手入れをはじめたパテマのあとを雛鳥のようにつきまとい、僕は今までの経緯いきさつを勝手に話した。

 彼は特に相づちを打つでもなく、目配せをするわけでもなく、黙々と道具の手入れを続けていたが、僕が息継ぎをする間に割って入った。

「だけど、あきらめるのは嫌なんだろう?」

 彼は当然のように言い放った。

 そうなのだ。

 何の迷いもなく「覚悟がある」とは言えなかったけれど、だけど、「あきらめる」という言葉はそれ以上に不安定で夢や幻のような心地で僕の中に漂っていいたので、僕はそれに手を伸ばす気にはならなかった。

 僕はまた堂々巡りに陥りそうで、パテマに助けを求めたが、彼はそれ以上言えることはないと手もとに視線を落とした。

 僕は困り果てて、パテマの隣りにたたずむ彼女に目をやった。

 幻影だというのに、彼女はしっかり僕を見つける。

 視線を合わせて、僕の表情がさえないようだと首を傾げて困ったような顔をした。

 たとえ幻影だとしても彼女の顔が曇るのが嫌で、僕は無理矢理に笑顔を作ってみせる。

 すると彼女は応えてくれた。

 僕が良く知る顔で微笑んでくれた。

 優しくて、あたたかで、やわらかで。

 その笑顔だけで僕の心をからめ捕ってしまう。

 その笑顔を見ただけで、僕はひたすら彼女に会いたくなった。

 いろんな不安を撥ねのけて、『彼女に会いたい』というその気持ちだけが僕の全身を支配した。

 ああ、そうなのだと僕は気がついた。

 僕の知らないことがまだたくさんあったとしても、僕は彼女に会いたい。

 その結果、まったく別の誰かになってしまうかもしれないけれど、僕は彼女に会いたい。

 幻滅する。困惑する。拒絶したくなる。

『思い出巡り』をしたことを――彼女に出会ったことすらも後悔してしまうかもしれないけれど、それでも今僕は彼女に会いたいのだ。

 きっと彼女の笑顔に出会うたび胸を締めつけられるような想いをして、会いたくて会いたくて、会いたくて仕方がなくなるのだ。

 もしも『思い出巡り』を断念すれば、僕は、彼女の笑顔に出くわすたび、望まぬ彼女を知ったときよりもなお深い後悔の念に駆られるのだろう。

 僕は今、彼女に会いたいのだ。

 幻影などではなく、彼女の笑顔に触れたいのだ。

 彼女に会いたくて、たまらないのだ。

 それが……それだけが僕の答えだ。




 もう間もなく、日が暮れる。

 僕は三つ目の彼女の思い出を手に入れた。

 去り際にパテマは真剣な顔つきで言った。

「あんたのそれは、まさしく恋だな」

 あまりに直球すぎる言葉に、僕は恥ずかしいと感じる間もなかった。

「俺や学者先生とは違う感情だ。うまくいくことを祈っているよ」

 彼の顔も手足も夕陽に赤く染められているのを眺めながら、僕も同じように色づいているといいと思った。

 夕陽の赤の力を借りて、沸き立つような今の気持ちを隠せていればいいなと願った。

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