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彼は僕に一枚の紙切れを手渡した。
どこか気まずそうな表情をしているように見えたが、僕は簡単に礼を言ってそれを受け取った。
そこに記されているのは、彼女との会話の中で耳にしたことがある人々の名前だという。
もしかしたらその中に幻影を持つ人がいるかもしれないと、思い出せる限りを書き連ねてくれたそうだ。
一通り眺めてみて、彼の表情の理由を理解した。
そこに記された人々が彼女とどんな関わりだったか定かではないのだから、必ずしも幻影を持っているとは限らない。そういうことで彼は申し訳なさそうな言いぶりをしているのだと思っていたのだけれど、そうではなかった。
紙の上には、フィロスの名前も司祭様の名前もあったのに、どこを探しても僕の名前はなかった。
他の村人の名前もあったのに、僕の名前はなかった。
僕は悔しいとか悲しいとかそう思うよりも先に、ただただ恥ずかしくなった。
そんな気持ちを察してか、彼は努めて穏やかな口調で僕に言った。
「その中の誰かに会うのでもいいし、ひとりでゆっくり考えるでもいい。どうにかして覚悟ができたなら、もう一度私のところへいらっしゃい。その時は喜んで私の彼女を譲りましょう」
追い出されるように彼の部屋をあとにして、僕はしばらくの間、目的もなく街を歩いた。
目に映る景色も、耳に届く音も、僕らが住む村とはまったく違う。
僕はこの街を歩く彼女とすれ違ったなら、それが彼女だと気づくことができただろうか。
彼女の幻影を宿すほどに彼女を想うようになっただろうか。
僕は歩くほどに苦しくなった。
どこかに立ち寄ろうとして、だけどどこに向かえばいいのかわからなくって、ようやくメントルからもらった紙切れを開いた。
文字を指でなぞりながら、そのうちの何人かの名前を拾い上げる。
この街にいる、彼女と関わりのある人々を順番にまわって、僕は話を聞き続けた。
どの人のそばにも彼女の幻影はなかったけれど、どの人も彼女のことはよく憶えていた。
だけど誰もが口をそろえてこう言うのだ。
「彼女はこの街の人間ではないのかい?」
そう、驚いて見せるのだ。
僕はますます不安になった。
彼らが語る彼女についての印象は、だいたいは今まで聞いてきた『街においての彼女像』と似通っていたが、彼らしか知らない顔もあった。
何が理由かは知らないが、最近、妙に幸せそうだったのだと言う。
僕の頭の中には自然とメントルの顔と言葉がちらついた。
二人は本当にそういう関係なのだろうか。
彼女について話してくれた人々が幻影を連れていたなら、その言葉を証明するような表情を浮かべているのだろうか。
それを確かめられなかったことが幸せなのか不幸なのか、僕はどちらとも定めぬまま、もう少しだけ足を伸ばすことに決めた。
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