第六十六話 決戦前夜

 ルシフェルに運ばれて家に戻ると、先に家に戻ったみんながリビングにいた。


「おかえり」


 ソファに横になるアリスを看病している恭子さんが、僕たちに気が付いて声をかけた。

 キッチンで、何やら料理をしているらしい姉ちゃんと、その手伝いをしているガブリエル。

 そして、ダイニングテーブルに座ってラファエルさんから治療らしき光の波を浴びている、かなえ。


「かなえ、気が付いたんだ」

「新士くん!」

「よかった、本当に……」

「あのね、新士くん。また、助けようとしてくれたね。ありがとう」

「いや、結局僕ひとりじゃ何にもできなかったよ。みんながいてくれなかったら、どうなっていたか」

「ううん。助けようとしてくれたことが嬉しいんだよ、わたし」


 かなえの綺麗な瞳が、僕のことを見ている。僕もかなえの方から目を離せないような、離したくないような、そんな気がした。


『おほん』


 と、かなえの治療を続けていたラファエルさんが咳ばらいをする。


『すみません、かなえさん新士さん。心拍が乱れると治癒魔法の利きが悪くなります。後にしてもらえますか?』

「ご、ごめんなさい!」

「は、はう……」

「えっと……あの、ラファエルさん、ありがとうございます」


 僕が治療について礼を言うと、ラファエルさんはむしろ申し訳なさそうに目を伏せた。


『いえ、お礼を言わなければいけないのは私たち天使の方です。ミカエルの暴走に気づかなかった無知な私たちを、どうかお許しください。そしてなにより、彼を止めるために闘って下さって、ありがとうございます』


 同じ天使でも、ミカエルやガブリエル、そして偉そうにダイニングテーブルの上で足を組んでいるルシフェルとは違って、ラファエルさんは謙虚だ。そして礼儀正しい。僕はそんな風に思った。


『礼を言うのは、ちょっと早いんじゃないかなぁ』


 キッチンから、軽薄そうなガブリエルの声。

 その声に、テーブルの上のルシフェルが答える。


『ムカつくが、そこのキザな金髪の言うとおりだ』


 そうだ。まだ終わっていない。今夜が勝負なんだ。

 僕は、ルシフェルへ向けて頷いた。


「そうだな。私もその悪魔の言うとおりだ」


 恭子さんもまた、同意した。


『作戦会議するぞ。ミカエルの野郎を泣かせてやるためのな』




 姉ちゃんがみんなに作った昼食を食べながら、僕たちは作戦会議をしていた。


『まずは状況を整理するぞ。クソガキ、お前は今の状態で≪神々の玩具箱アルカーナム≫に召喚されたとして、どこまで闘える?』


「今、僕にあるのは恭子さんに託された右手の≪月≫。それと、もう≪アルカナ≫のいない、カラの≪檻の指輪≫……」


 そう、アマちゃんの抜け殻となった、未契約の指輪。

 僕は、三回目の≪三体恒星インフィニティ・コード≫によってアマちゃんとの契約を失ったことをみんなに説明した。


『現実的に考えて、とても戦力が足りないですね。このままではミカエルと、彼が≪大転生の喇叭リザレクション・コード≫で召喚した≪契約者≫たちに太刀打ちできません』


 不安を口にするラファエルさん。

 それに対して恭子さんが、僕の肩をガシっと掴んでくる。あの、ちょっと痛いです。


「だが、新士君なら……あるいは!」


 それを遮る、ガブリエルの声。


『≪太陽≫があればね。でも、≪月≫しかない状態では厳しいよ。あの≪アルカナ≫は強力だけど、耐久力が足りないからねぇ』


「くっ……」


『そこで、だ。クソガキ、お前、今夜召喚されたら速攻で新しい≪アルカナ≫と契約しろ。お前のカラになった左手の指輪でな。今は、少しでも戦力が欲しい』


「でも、ルシフェル。あいつの使う≪ストレングス≫の能力で、昨日の夜みたいに≪アルカナ≫を呼び集めて先に契約されるんじゃ……」


『ああ、そうだ。だが、例外がある』


『自ら移動することができない≪アルカナ≫、ですね。それは、大樹を模した≪アルカナ≫である≪女帝≫。そして、要塞を模した≪塔≫。この二柱は≪力≫の≪指笛コール・コード≫の能力であっても、呼び集められることはありません。これらのうちどちらかと契約できれば、勝算も少しは……』


『契約するなら、当然≪塔≫だろうね。あれは頑丈だし、攻撃力もかなり高い』


『な、何を馬鹿なことを! ≪塔≫の≪アルカナ≫の全方位攻撃を知っているでしょう!? いくら新士さんであっても危険です! ミカエルと闘う前に、≪塔≫の≪アルカナ≫にやられてしまいます!』


「あの、≪塔≫の≪アルカナ≫ってそんなに危険なんですか?」


 かなえの質問に、恭子さんが答える。


「ああ。かなえ君や新士君は、猪神岩司が≪塔≫と契約した状況しか知らなかったな。≪塔≫は、おそらく≪アルカナ≫の状態で最も強い。かつて≪塔≫の半径一キロメートルはすべてあの要塞の射程範囲だった。実質的に、誰も立ち入ることのできない領域だった……範囲に入れば、即座に砲撃され、脱落してしまう。そんな≪アルカナ≫だった」


『ええ、その通りです。ですからここは、危険な≪塔≫は避けて、≪女帝≫と契約するべきでしょう。当然、ミカエルの一団も新士さんに契約させまいと≪塔≫・≪女帝≫の両アルカナに契約者を差し向けてくるでしょうから、警戒は必要ですが』


『いやいや! 待ってよラファエル! いくら≪塔≫が危険だからって、≪女帝≫じゃ戦闘能力も耐久力も低すぎるよ! 』


『だからと言って、契約する前に倒されてしまうよりは良いでしょう』


 ガブリエルが声を荒げ、ラファエルが論理的に反論する。

 さらには恭子さんがガブリエルを指示して≪塔≫を推し、かなえは僕を心配して≪女帝≫にしておくように言ってきた。


『だーかーらー! 絶対≪塔≫だって! ミカエルに勝てなきゃ意味ないだろ!』

『いえ、ミカエルと闘う前に危険は冒せません。≪女帝≫にするべきです』


 いよいよ議論が混沌としてきたそのとき、ルシフェルが鋭く言い放った。


『≪塔≫だな』


 これまでずっと黙っていたルシフェルの発言だけに、みんなが沈黙した。


『そう判断する、その理由は?』


 ラファエルが問う。


『簡単だ。正義女の真似じゃねーが、そこのクソガキは≪塔≫と契約できる。そして≪塔≫のほうが戦闘面で強い。それだけだ』


『新士さんが強いことはわかります。しかし、だとしても≪塔≫と契約できるというのは早計で……』


 ルシフェルが僕を一瞬見て、そして目をそらして言った。


『俺は見てきた。こいつが闘う姿を、な。強いよ、新士は』


『あら……』


 ラファエルさんが、口元に手を当てる。


『へぇ……』


 ガブリエルが、目を見開く。


「ほう……」


 恭子さんが、何やら珍しいものを見たという顔でにやけている。


「は……?」


 僕は、違和感というか、不思議な感覚がした。

 こいつ今、僕のこと名前で呼んだ?


「あの、ルシフェル……?」


『うるせえ! とにかく、作戦は決まりだ! 今夜召喚されたら、≪月≫に変身して、≪塔≫と契約して、ミカエルの一団をぶっ倒す! それだけだ!』


 ルシフェルはそう怒鳴ると、漆黒の翼を広げてリビングの窓から飛び立ってしまった。




 そのあとは、作戦会議が足りないというラファエルさんの提案で敵の戦力を確認したり、姉ちゃんの作った料理をみんなで食べたりした。

 ラファエルさんやガブリエルも食べていた。天使も食事するんだなぁ。だったら、ルシフェルのやつも食べれば良かったのに。


 そして、夜。

 恭子さんやかなえ、それから目を覚ましたアリスが家へ戻ると言うので、送り出す。


「それじゃあ、今夜……頑張ってね、新士くん」

「恐らく、いや確実に今夜、ミカエルは私たちを召喚し、操り、君に差し向けるだろう」

「だからって、手を抜いたり怯んだら承知しないわ。あいつに私の身体乗っ取られるの、ほんっと腹立つんだから」

「……うん、わかった。正直心苦しいけど、ミカエルを倒すために、絶対にやり遂げて見せる」


 かなえが、僕の手を握る。


「かなえ。僕、かなえにお礼を言わなきゃならない。あの夜の、≪慈愛の木漏れ陽インフィニティ・コード≫……ありがとう」

「……うん」

「かなえに繋いでもらった今日のこの夜で、絶対にミカエルを止めて見せる」


 そして、かなえだけでなく恭子さんとアリスとも目を合わせて、言う。


「僕が、ミカエルを止める」


 恭子さんが、僕とかなえの手に、その手を重ねた。


「信じているよ、私の……とは言えないかな。ふっ。私たちの、ヒーロー」


 僕は、黙ってうなづいた。

 アリスは、そっぽを向いて言った。


「私は手、重ねないわよ。まぁ、頼りには、してるわ。恭子ちゃんが認めた人だし……頑張りなさいよ」


「みんなありがとう、がんばってくる」


 この闘いが始まるまで、いつもひとりだった僕はもう、いない。

 今は、こんなにたくさんの仲間がいる。

 信頼できて、本当に信じられないことに、僕を信頼してくれている。


 勝ちたい。ミカエルに勝って、みんなの無念を晴らしたい。




 みんなを見送って、玄関に戻ると、姉ちゃんがいた。


「いつの間にか、こんなにモテモテになっちゃって……」


 ほろり、と涙をエプロンの裾でふく姉ちゃん。


「そ、そういうんじゃないから! …………ていうか、姉ちゃん、今日の出来事、なにも気にならないの?」

「んー? ふふ」


 姉ちゃんは、僕の目を見ないで笑った。


「気になるよ。なんの話かお姉ちゃんぜーんぜんわかんない。でもね」


 姉ちゃんが、久しぶりに見る真剣な顔で、僕の目を真っすぐ見る。


「新士が頑張ってるのは、わかるよ。頑張ってきなさいって!」


「……ありがと」


 その後は、姉ちゃんと久しぶりに世間話をして、部屋に戻った。まだ、≪神々の玩具箱アルカーナム≫のことは話せなかったけれど、いつか必ず伝えたい。それに、僕のこれからのことも……。


 僕は、このゲームのすべてを終わらせたら、やりたいことがふたつある。


 ひとつは、僕のこと。もうひとつは、みんなのこと。


 まぁ……先のことよりはまず、今夜のこと。


 これ以上ないくらい、みんなに背中を押してもらった。


 あとは、僕が進むだけだ。




 ベッドの上で、目を閉じる。


 空っぽになったアマちゃんの指輪に向けて、小さくつぶやいた。


「見ててくれよ、アマちゃん」


 今夜なるんだ。僕が望んだヒーローに。

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