第六十五話 黒い翼の天使の願い


 建築中のビルの屋上。

 集っているのはルシフェル、ラファエル、ガブリエル、姉ちゃん、かなえ、恭子さん、アリス、そして僕。


 意識を失っているアリスとかなえを見て、恭子さんが言う。


「まず、二人を安全な場所へ運ぼう。状況を整理するのはその後だ」

「僕も、賛成です」

「それなら、うちに呼びましょうよ! 新士」

「えっ」

「助かります。いいか? 新士君」

「ま、まぁ……」

「新士がこんなにお友達を連れてくるなんて、お姉ちゃん嬉しいわ」


 そんな呑気な話じゃないんだけどなぁ……。

 今は、すこし助かる。


『私たちが運びましょう』

『そうだね。僕はレディしか運ばないけれど』


 そう言うと、ラファエルとミカエルが翼を広げる。


『貴方も良いですね? ルシフェル』

『はん。何で俺が』

『私はかなえさんとアリスさんを治療しながら運びます』

『じゃあ、僕は麗しき二人をエスコートしよう』

「あら、ありがとう天使さん」

「……いや、私はバイクで戻る。この軟派な天使にも、そこの悪魔にも抱かれるのはごめんだ」

『そんな……!』

『あん? 誰が悪魔だ正義女!』

『ほら! 文句を言わないで、貴方は新士さんを運ぶのですよ、ルシフェル』

『ちっ……わかったよ!』


 ルシフェルがこんな風に言い負かされているよは気分がいい。ラファエルのことはラファエルさんと呼ぼう。


 ルシフェルが、僕を抱き上げて翼を広げる。

 そうして、僕たちはビルの屋上から飛び立つ。


 上空の風は、冷たい。

 風がうるさくて、姉ちゃんがガブリエルと何か話しているかとか、かなえかアリスが目覚めたかどうかとか、わからない。


 声が届くのは、側にいるルシフェルぐらいだろう。


「かなえを助けてくれて、ありがとう」

『もっと感謝しやがれ、クソガキ』

「感謝が消し飛んだ」

『そうかよ』


 僕を抱き上げて飛んでいるルシフェルは、まだ全身に傷があった。ミカエルと天界で戦ったときのものだろうか。それとも、神々によって天界へ強制送還されたときに、何か罰を受けたのだろうか。


 こいつも、頑張ってる。


「天使って、食事とかするのか?」

『は? 何言ってんだ?』

「いや、お前の腕、細いなって。体も、痩せすぎだろ。ちゃんと食べろよ」

『うるせーよ。落とすぞ』

「死んじゃうよ。僕が死んだら、お前も困るだろ」


 ルシフェルは、朝日が登り始めて輝く、遠くの雲を見ながら言った。


『……ああ、困る。だから死ぬな。勝て』


 そんな言葉がこの天使の口から出るなんて、信じられない。

 いや、まぁ、最近はちょっと信じられるかもしれないけど。


「ルシフェル、お前が何でこのゲームで勝とうとしてるのかって、聞いていい?」

『いいぜ』

「……意外だ。話してくれるんだ」

『どうせ今夜の≪神々の玩具箱アルカーナム≫で、勝負が決まるんだ。話してやる』


 そう言うと、ルシフェルは翼を傾け、飛行する向きを変えた。


『おいラファエル! 俺はコイツと話がある! 先にもどって女どもを治療してろ!』

『ちょっと、何を勝手なことを!』

『すぐ戻る』


 そして、僕たちはその場を離れた。




 適当な雑居ビルの、その屋上。

 僕とルシフェルは、並んで座っていた。

 朝日がまぶしい。


「なんで、このゲームで勝とうとしてるんだ? ルシフェルって、神様になるとかどうでもいいって考えてそうだけど……」

『俺のこと分かったような口を利くなよ、クソガキ。……だが、神になることに興味がねえってのはその通りだ』

「じゃあ、なんで」

『つまんねーからだよ、このクソみてーなゲームが。≪神々の玩具箱アルカーナム≫なんてもんが存在していることが、俺にとっては興醒めなんだよ』


 ルシフェルは、陽の光に目を細めて続ける。


『人の願いなんて、ちっぽけなもんだ。どいつもこいつも、毎日のように勝手に生み出しては捨てていく』

「お前、またそんなことを……」

『だが、クソではねぇと思う。願いっつーもんに右往左往する人間が、俺は好きだ。叶わなくて落ち込んだり、叶ったと思ったら次の願いへ向けてまた苦しんだりする姿が、面白れぇ。それを――』


 ルシフェルが、苦い顔をする。

 いつも皮肉を込めた笑みを浮かべている口が、固く結ばれる。


『それを、タダで賭けてる神々のゲームが、つまんねえんだよ。神々あいつらは、誰が勝とうが負けようが、ノーリスクだ。ゲーム自体が楽しみで、お前らプレイヤーのような葛藤もなければ、“勝ちたい”という願いもない。それで良いわけがねえだろ。だってよ』


 ルシフェルが、僕を見る。


『だって、お前らは真剣じゃねーか』

「ルシフェル」

『そんなお前らに対して、高みの見物決め込む≪神々の玩具箱アルカーナム≫のゲームが、俺は嫌いだ。だから、潰す。俺が神になって、未来永劫≪神々の玩具箱アルカーナム≫が開かれないように、潰す』

「それで、このゲームに」

『まあな』


 ん。でも、待てよ。


「それで、なんでそのために僕に契約させたんだよ」


 僕は正直、強くない。

 それこそ、猪神岩司いがみがんじのような屈強なヤツを呼んだ方が良いだろう。


『はん……ついでだ。それも話してやるか。お前は、俺が召喚した三人目の契約者だ。一人は知っているな?』

「恭子さん」

『そうだ。あの正義女なら、このゲームの悪意に気づくと思った。実際、気づいたしな』

「そして、このゲームを停滞させるために協力的な22人のプレイヤーを集めることにした」

『そこが、俺にとっては誤算だった。あいつは、正義感はあるが弱い。腕っぷしのことじゃねえ。心が、だ。弱さがあいつを強くしているとも言える。だから、あんな答えに行き着いてしまったんだ』

「あんな答えって……! でも、恭子さん達の作戦が実現すればこのゲームは終わったはず!」

『そんなことが、できると思うか? 俺は、絶対に無理だと考える。だってな、人の願いは、他人のためにハイそうですかと捨てられるようなもんじゃねーからだ。たとえ21人のプレイヤーが協力的だったとして、必ず最後の22人目が自分の願いを追いかける。そのとき、21人が束になったって敵うわけねーんだよ。人の願いっつーのは、そういうもんだ』


 否定しきれなかった。

 実際、恭子さんや僕たちがどれだけ頑張ってもプレイヤーは戦い、数を減らしていった。


 あの作戦は、願いを失う人を倒したくないという恭子さんの優しさが生んだものだ。けれど、人の願いの強さを数えきれていないものだったのかもしれない。


『それに気づいた俺は、すぐさまやり方を変えた』

「それが、もう一人の召喚者か?」

『そうだ。今度は、とびきり強い奴にした。最速で俺が神になって、ゲームを終わらせるために』


 とびきり、強い奴。


「それってもしかして……」

『猪神岩司だ』


 やっぱり。


 そうだったのか。猪神岩司も、ルシフェルが召喚した。


『だが、これも失敗だった。奴は誰よりも強いが、戦いを望んでいた。≪神々の玩具箱アルカーナム≫での戦いという刺激を、求めちまった。あいつは勝ち残るのではなく、戦い続けることで願いが叶う存在だったんだ』

「……お前さ、ちょっとバカだよね」

『ぶっ飛ばすぞ』


 ルシフェルが、細い指を握った拳で僕の肩を軽く殴る。


『強さは、勝ち残る絶対条件なんだよ。さっきも言ったが、他のプレイヤーも真剣だ。とにかく強くねーと、駄目なんだ』

「……やっぱりバカだ。それで、なんでその次に僕を召喚したんだよ」


 ルシフェルが、ようやくいつものニヒルな笑みを浮かべる。

 ムカつく。なんで今、その顔なんだよ。


『お前こそバカだろ、クソガキ』

「いいから、説明しろよ」

『……嫌だ』

「説明しないと、飛び降りるぞ。僕が死んだら――」

『……クソ! 一回しか言わねーぞ!』


 ルシフェルが、僕から目をそらす。

 紫色の瞳に、太陽の光が差し込んでいた。


『お前は、強い』


 前に一度、ミカエルや≪星≫に向けて「最強の男」なんて誇張されたこともあった。

 けれど、今の言葉は何かが違った。


『お前がなりたいと願うは、他人を押しのけてなるもんじゃない。だからお前を召喚した。お前が闘って、苦悩して、その度に願いが強くなることに俺は期待したんだ。お前を苦しめると知って召喚したんだよ。恨んでいいぜ』


 恨んでいいぜ、か。

 僕は、こいつを恨んでいるだろうか。


 確かに、≪神々の玩具箱≫に呼ばれたせいで何度も怖い目にあった。

 悲しい思いもした。

 自分の願いへ近づくことと離れることの矛盾に、苦しんだ。


 でも。


『だが、お前は実際に強くなった。鑑恭子よりも、猪神岩司よりも。そして、このゲーム終わらせることを望んだ。お前は、俺と同じものを目指した』


 ルシフェルの望みは、僕ととても近くにあったんだ。

 いや、僕がこのゲームを終わらせたいと思うずっと前から、ルシフェルは一人で闘っていたんだ。


『……まぁ、クソ雑魚だったお前が強くなると気づいた、俺の賢さのお陰だがな。勘違いすんなよ』


 こいつのこと、憎たらしいとは思うけど。

 恨むなんてことは、絶対にない。


『……っておい、ニヤニヤしてんじゃねえよ』

「いつもこんくらい素直だったら、友だちになってやってもいいよ。少ないだろ」

『うるせえ!』


 そう言うと、ルシフェルは立ち上がり、翼を広げる。


 漆黒に思えたその翼は、太陽の光を浴びるとかすかに紫色に輝いていた。


『帰るぞ! 戻って作戦会議だ。今夜ミカエルを倒すための、な』

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