第九章 天使の暴虐

第五十三話 勝利のゆくえ

 やけに寝心地が良かった。


 目を覚ますと、そこは見慣れた廃墟。

 ≪神々の玩具箱アルカーナム≫。


 そして、慣れない後頭部の柔らかい感触。


「起きた?」


 僕は、かなえに膝枕されていた。


「おはよ!」

「お、おはよう!?」


 僕はあわてて飛び起きる。

 全身の疲労が、いくらか和らいでいた。


「もしかして、治してくれた?」

「うん! 新士くん、すごく頑張ったの、見てた。助けてくれて、ありがとう」


 その言葉に、思わず視界が潤む。


 ほっとした。

 成し遂げたことの実感を、ようやく得ることができた。


 僕は、勝った。

 みんなを守ることができた。

 一番欲しかった「助けてくれてありがとう」を、一番ほしかった人から貰うことができた。


「まったく君には、敵わないな」


 恭子さんもそう言うと、僕の背を叩いてくれる。


「守ってくれて、ありがとう」


 それに、僕の周りにはアリスや、≪星≫の少女たちもいた。


「貴方が恭子ちゃんを守ってくれたことには、感謝してあげる」

わたくしに命令をしたことは納得していませんけれど? でも、みやびはなのことまで守ってくれたことは分かりますわ。……貴方にしては、よくやったんではなくて!?」

美沙都みさと様への無礼は忘れませんよ!」

「わ、わたしはちょっとカッコよかったかなぁって……」

「「花!?」」


 なんだか、ずいぶん賑やかになった。

 それに、こんな風にこの≪神々の玩具箱アルカーナム≫で話していられる時がくるなんて、思っても見なかった。


 今、≪神々の玩具箱アルカーナム≫には、僕たち7人だけが生き残っている。

 誰にも襲われる危険はなく、僕たち7人の意思でこのゲームの行き先をきめることができる。


「さて、皆聞いてくれ」


 皆が恭子さんの方を見る。


「私たちは勝ち残った。私たちと≪星≫たちの間にはすこしばかりの禍根かこんはあるかもしれないが、それでも限りなく協力的な関係だと私は信じている」


 僕は頷いて、≪星≫の少女の方を見る。

 彼女もまた、態度は大きいままだが頷いてくれた。


「ありがとう。これで、私たちはこのゲームをどのように終わらせるか選ぶことができるようになったんだ」


 そこで、アリスが会話を引き継ぐ。


「≪星≫の貴女たちに説明すると、私と恭子ちゃんはこの≪神々の玩具箱アルカーナム≫への参加上限22人全てを、戦う意思のない者で埋め尽くすということを目指してきたのよ。そうなれば、このゲームの被害者として、願いが叶わなくなる人は現れなくなるという、恭子ちゃんの優しい提案ね」


 アリスがドヤ顔で腕を組む。


「もちろん、永久に毎夜この≪神々の玩具箱アルカーナム≫に召喚される私たちの願いも、潰えずとも叶わなくなるわ。けれど貴女たち3人は、どうやら一緒にいられればそれで良いようだし、この提案を呑めると思っているわ。私たち7人は今、少なくともこの≪神々の玩具箱アルカーナム≫に私が参加して以来最も強いわ。なぜか2人いる≪女教皇≫のスキルで、攻撃的なプレイヤーが召喚されるたびに察知して倒し続け、平和的なプレイヤーが22人揃うまで管理することも余裕で可能でしょう」


 そこで今度は僕が、一言付け加えることにした。

 以前、ルシフェルに言われたことを思い出したのだ。

 あの天使はムカつくけれど、正しいことを言うことだってある。


「ただし、22人が揃うまでにはきっと、たくさんの“願いを譲れない”プレイヤーたちを犠牲にする必要があるんだ。それが100人になるかもしれないし、1000人になるのかも分からない」


「新士君の言う通りだ。この≪神々の玩具箱アルカーナム≫に来る者の願いは、少なくとも大半が真剣なものだからな」


 そして、恭子さんが「だから——」と言って続ける。


「この7人から、一人を選んで願いを叶えることもできる。そうすることで、このゲームを終わらせることが、私たちにはできるんだ」


 そう、僕たちは選ぶことができる。

 そして同時に、選ばなければいけない。


 僕たち7人の願いまで含めてこのゲームを停滞させるか。

 誰か一人の願いを叶えて、このゲームを終わらせるか。


 ≪女教皇≫の少女、雅が声をあげた。


「このゲームの中で美沙都みさと様に会えるのなら、私はゲームを停滞させる策に賛成です。美沙都様の願い事を知った今となっては、それが良い案のように思えます。私は、別に他人の願いがどうなろうと知ったことではありませんから。そしてもう一つの、誰かの願いを叶てゲームを終えるという話ですが——」


 少女が、眼鏡に触れながら言う。


「もしその選択をするのならば、叶えるのは私か花の願いでなければ認めません。美沙都様の“私たちが幸せになること”という願いは何よりも嬉しく光栄ですが、これだけは私も譲れません。美沙都様が目覚めなくなってしまっては、私の幸せもありませんから。花もそうですね?」

「は、はいっ!」

「ふたりとも……」


 次に、かなえが思いを口にする。


「わ、私は、誰かの願いを叶えるのがいいかなって、そう、思います」


 そう言うと、かなえが一瞬こちらを見る。


「たくさんの人の願いを犠牲にするのは良くないと思うし……。私は、私のアイドルになるって願いはもういいの。もっと大切なことがたくさんあるって思ったから。私は叶わなくてもいいから、誰かの願いを叶えて終わりたい」


 そして、アリスだけがひどくどうでも良さそうな態度で意見を言う。


「私は、恭子ちゃんがしたいようにするわ。恭子ちゃんが望むのなら22人揃うまでだって、その先だってずっと付き合う。恭子ちゃんが誰かの願いを叶えるというなら、そうする。恭子ちゃんのことが、大好きだから」


 と、さらに注釈のように付け加える。


「あっ、ただし、私の願いを叶えるのはナシね? 私は視力なんかいらないもの。私の芸術に現実の風景なんて、邪魔にしかならないとこの世界で知ったからね。ま、こんな心配いらないでしょうけど」


 そして、恭子さんが僕の方を見る。


「私は、ここまで私たちが倒した者や、私たちを必死に守ってくれた者を思って考えるんだ。私たちの願いもまた、無下むげにしてはいけないと。だからこその22でゲームを停滞させるという提案だ。しかし——」


 そして、恭子さんが僕のことを見つめたまま、言う。


「提案しておいてなんだが、私も誰かの願いを叶えてもいいと考えている。叶うべき願いというものがあると、今はそう感じているからな。そしてそれは、私の願いではない。誰かとはそう、君だ。新士君」


 その恭子さんの発言に、≪女教皇≫の雅が黙っていない。


「それは、私たちと改めてことを構えるということですか?」

「雅、やめなさい」

「美沙都様……しかし!」


「待て、私たちが揉める前に、意見を聞くべき相手がいるじゃないか」

「そうね。ちょっとしゃくにさわるけど、それが一番私たちとしては皆が納得するかもしれないわ」

「新士くん、私も、新士くんの思いが聞きたい」


 全員が、僕の方を見る。


 僕の答えが、このゲームの結末を左右するかもしれないのだ。


 22人のプレイヤーによる停滞を選ぶか。

 誰かの願いを叶えるか。


「僕は、このゲームを終わらせたい」


 これ以上、≪皇帝≫や進藤憲一のような存在を増やしたくない。

 ゲームを停滞させるためには、この先にたくさんの願いが失われる。


 一人ひとりの願いって、“仕方ない犠牲”や“必要悪”なんて言葉で、消していいものじゃないんだ。


 それを僕は、この≪神々の玩具箱アルカーナム≫で知ったんだ。


「そして、叶える願いは——」


 これで、この責任を僕が背負える。

 こんな責任は、誰にも背負わせたくない。


 これまでたくさんの犠牲を出して守ってきた仲間たちの願い。

 戦いの中で強くなった、ヒーローになりたいという僕の願い。


 かなえ、恭子さん、アリス。

 そして、僕のヒーロー


 ごめん。


「雅さん、花さん。あなた達の願いを、叶えたい。美沙都さんを、現実世界で目覚めさせましょう」


 願いは比べられない。

 何が誰にとって真剣で、どれほど大切かなんて、誰にもわからない。


 でも、今選ぶなら、取り返しのつかないものを選びたい。


 彼女達の願いは、きっと彼女たちの命よりも大切なんだ。


 これによって3人の願いが叶うからこうしたんじゃない。

 願いは、人数で決まるモノじゃない。

 多数決じゃない。


 かなえ達とは信頼し合っているから、犠牲にできるわけじゃない。

 本当は、大切な人たちの願いほど叶えたい。

 胸が苦しい。

 息が詰まる。


 自分の願いだから、ないがしろにしているわけじゃない。

 人のことを思いやって自分を雑に扱うことは、僕を信じてくれた人たちや僕の背中を押してくれた仲間に対して、誠実じゃない。

 何より、僕自身が一番、僕の願いを叶えたい。

 ヒーローになりたい。

 でも、だから。


 何かと比べたんじゃない。

 切実な願いを一つ、絶対的に叶えるチャンスがある。

 

 それを、悲痛なほどに愛し合う彼女たちのために使う。


 それが全てだ。


「あ、貴方がそれでいいなら、私は……」

「ほ、ほんとに。……ほんとにいいんですかっ?」

「良いんですの? ≪太陽≫の契約者」


 雅と花と美沙都が、一番驚いたような顔でこちらを見る。

 

 そして、不思議なこともあるものだ。

 願いを犠牲にすると言われたはずの僕の仲間たちの方が、誇らしげな笑顔を、僕に向けてくれていた。


「うん、うん! 新士くん、私もそれいいと思う!」

「決まりだな」

「そんな気はしてたわ~。恭子ちゃんもいいなら、文句なしよ」


「みんな」


 僕は、胸の張り裂けるような痛みと、二度と手放したくないと思える温かさを感じながら言った。


「ありがとう」


 これで、このゲームが終わる。


 アマちゃんやルシフェルのあきれる顔は目に浮かぶが、あの二人なら文句を言いながらも分かってくれるだろう。




 と、その時。


 ≪神々の玩具箱アルカーナム≫の上空から神々しく輝く光の柱が降り注ぐ。


「これは……!」

「なん、で」

「そんなっ」


 光の柱は、≪星≫、≪教皇≫、≪女教皇≫の胸を一直線に貫いた。


『残念だが、貴様たちの願いは叶わんぞ。罪深き裏切者どもめ』


 天空から光と共に降り立ったのは、天使ミカエル。


 神になろうと画策する、傲慢な天使だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る