第二十三話 現実世界の正義
現実世界に帰って来た僕。
一人ベッドの上で、天井を見つめる。
僕にはまだある夢の叶う可能性。
消えてしまったおじさんの夢が叶う可能性。
おじさんは、自分の願いをみっともないと言っていた。
おじさんは、僕の願いを立派だと言った。
あのおじさんのように優しくて、そして形のないものに苦しんでいる人のために。
僕はそのためにヒーローになりたいと願ったのに。
真っ暗な部屋でひとり、眠ることもできずにいる
朝日が昇っても眠れずにいると、とスマートフォンが振動する。
かなえからのメッセージだ。
『ごめんなさい。昨夜なにがあったか知りたい。新士くん生きてるよね?』
僕は、かなえがきちんと目覚めてくれたことにほっとした。
かなえは昨日のゲーム中、序盤で気絶したっきりだったのだ。
当然だろう。
『生きてるよね?』とは、おそらく脱落していないか? ということだろう。なんせこのゲームで失うのは命ではなく、願いだけなのだから。
メッセージには、続きがあった。
『デートの約束、今日にしない? 新士くん元気なかったし、昨日も全然話せなかったし、会いたい』
今日は平日。かなえは本来学校があるはずだが、またサボるつもりだろう。
と、いうか僕も不登校が板についているだけで、本来は学校に行かなければいけないんだけど。
でも、今日ぐらいは良いだろう。
あの野球少年のこと。
おじさんのこと。
≪悪魔≫と≪正義≫と≪女教皇≫のこと。
ぜんぜん消化できていないことだらけの僕には、そういう時間が必要だった。
「やっほ、新士くん」
かなえとの待ち合わせは2つ隣の駅のカフェだった。
以前した約束の通り、僕はこれからかなえに服を選んでもらう。
しかしその前に、昨夜のことやをかなえに説明しなければならなかった。
「……そっか。おじさん、私たちのことを守って……」
「うん。すごく強かったし、おじさんは僕たちの願いを立派だって、言ってくれた」
「……」
涙ぐんでいるかなえ。
僕の視界も、歪んでいる。
「ああいう大人の人に、なりたいね。若者に、大志を抱けー!って言える」
「大志を抱けとは、言ってなかったけどね」
「もー! そういう意味の行動ってことでしょー! 新士くんのばか」
頬を膨らます、かなえ。
おじさんの願いは叶わなかった。少年の願いも。
それでも、僕たちはまだゲームを続けていくしかない。
どんなに薄情な存在になり果てても、心を保って戦うことのできる状態で居続けるしかない。
それが、彼らへの誠意だから。
いや、僕は、そう考えたいだけなのかもしれない。
いっそあのゲームをなかったことにしてしまえれば……。
「そろそろ行こうか。いい感じのお洋服選んでね」
「はーい。しょうがないなぁ」
そう言いながらも、かなえはどこか嬉しそうにしてくれている。
と、僕たちがカフェを出たところで声をかけられた。
「あるぇ? カタミくんじゃね?」
「うっわ、マジだ」
「女つれてる」
自分の心音が大きくなるのを感じる。
のんきにデートなどと浮かれていた自分を呪う。
自分が惨めな、いじめられっ子に過ぎないことを思い出す。
「新士くん、知り合い?」
かなえは無邪気に首をかしげている。
「知り合いじゃない。行こう」
僕はかなえの手を引いてその場を立ち去ろうとする。
「おいおーい、オレ達友だちだろ?」
「つれないこと言わないでよ~」
「そこのカノジョも一緒に遊ばね?」
この三人は、僕が不登校になる前の同級生たちだ。
そして、僕が不登校になった原因だ。
何をされた訳じゃない。
本当のいじめとは、分かりにくい形で、じわじわと対象を苦しめ、居心地を悪くするものだ。
そして、僕はこのうちの一人に分かりやすい形で、抵抗してしまった。
殴ったのだ。
それでもなお薄ら笑いを浮かべるこの男を、何度も何度も繰り返し。
結果的に停学になったのは僕。当たり前だった。
そしてそれ以来、僕は停学期間を終えても登校していない。
そんな彼とその取り巻きたちが、偶然僕に出会ったのなら。
考えることは決まっている。
復讐。
いや、そこまで重く考えてすらいないだろう。嫌がらせ。ちょっかいを出す。彼らにとって、僕はそれほどとるに足らない存在なのだ。
「オレらは学校休んで予備校行ってる受験生だってのにさ~カタミくんデートかよ、いい身分だよなぁ」
「でもほら? カタミくんはまだ二年生だもんな、うらやましーい!」
「あれ、なんでオレらと学年違うんだ? く、くははは!」
流石にかなえも彼らの陰湿な雰囲気に気づいたのか、不安そうな顔で僕の袖を引っ張っている。
「かなえごめん。少しだけ先にいっててくれる?」
「で、でも……」
「おーい! オレらのこと無視してイチャってくれてんの?」
「ムカつくわ~」
「そこのカノジョオレらと遊ばね?」
「くっ……」
こいつらはいつもそうだ。
僕が一番触れられたくないものをめざとく見つけて触れてくる。
けど、あの頃の僕にとって触れられたくないものは自分自身の弱い心だった。
今は違う。
この子には、かなえには絶対にこいつらの汚い心で触れさせたりしない。
「……うるさい」
「……あ?」
「……帰って勉強でもしたらいいんじゃないか。僕は、かなえとデートするんだ」
「く、くくくく!」
「で!でえと!笑える!」
「また殴られたいか?」
「……あ゛?」
これだけ。この一言だけは、彼のプライドに傷をつけることができたようだった。
僕を停学にするためとはいえ、僕のようなザコにいいように殴られたこと。
「あー、まー、いいか。ここは高校からも遠いしな」
そう言うと、いじめっ子のリーダーが拳を握った。
「かなえ逃げて!」
次の瞬間、脳が揺さぶられる。
殴られた。
ここしばらく≪
「いや逃げないでよ」
「そそ~遊ぼうよー」
そんなことは絶対にさせない。
僕は今まさに僕を殴ったリーダーを無視して、かなえに詰め寄る二人の服を掴んだ。
全体重をかけて引っ張る。
二人はバランスを崩す。一人は尻餅をつき、もう一人は服が少し破けた。
二人は顔を真っ赤にしてこちらへ向き直る。
「おいてめえ何してだ!?」
「調子ノンなよ、ザコが!」
そこからは、もう一方的だった。
僕は三人に取り囲まれ、ひたすらに蹴られた。
変身してビルから落ちるよりは痛いな、などということを考えた気がする。
かなえは側でやめて、やめて、と叫んでいる。
逃げてほしい。お願いだから。
その時だった。
「うおっ。うわなにこれ?」
「ハンバーガー……じゃね……?」
「なんだ、あんた」
いじめっ子の一人に、ハンバーガーが投げつけられた。
「人助けをするなら、もっと強くなることだと言ったはずだ」
僕は気配に覚えがあった。
長く艶やかな黒髪。
凛とした声。
「おねーさんよぉ、正義感でこんなことしてくれちゃってんなら、後悔するぞ?」
「とりあえず服代弁償しろよ!」
「オレらと遊ばね?」
「後悔することも、弁償することも断る。だが――遊ぶのはいいな」
そう言うと、女は肩に背負った袋から竹刀を取り出した。
そしてそれを素早く振り回すと、三人の眼前にそれぞれ一度ずつ、寸止めをした。
振り回しているのは竹刀だが、どう見てもそれは剣道の動きではなかった。
「次は当てても、良いのだが」
いじめっ子三人は、唖然とする。
その剣技に圧倒されたというよりも、この現代社会で若い女が竹刀を振り回すという非常識さにやられたといった様子だった。
「い、行くか」
「おう……」
「片見、お前は覚えとけよ」
そういうと、三人は立ち去った。
「恭子ちゃん、終わりました?」
黒髪の女へと声をかけたのは、電動車椅子に座った灰色の髪の少女だった。
目を閉じたまま話すその少女の声にも、僕は聞き覚えがあった。
≪正義≫と≪女教皇≫の契約者。
間違いなかった。
「あ、ありがとうございます!」
脇腹の痛みに声を出せずにいる僕。
それにかわって、かなえがお礼を伝えてくれた。
「礼には及ばないさ。さて――」
黒髪の女性は、竹刀で地面を突き、言った。
「君たちは≪太陽≫と≪女帝≫、だな?」
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