第六話 小さなヒーロー
帰ってきた。
目を開くと、そこは見慣れた僕の部屋だった。
光の粒子によってあの世界へ飛ばされる前と同じベッドの上、同じ姿勢、同じ服装。手元にはスマホ。
そんな中で、変わっているものが三つ。
一つは時間。ルシフェルの声が聞こえ、あの世界へ飛んだのは午前十一時だった。今は深夜零時。半日以上が過ぎている。
もう一つ、服装、という所で気が付いたのだが、火の鳥形態のアマちゃんに袖を焼かれたジャージが直っている。
そして、指輪だ。アマちゃんと契約し、赤く染まったこのリングだけが、唯一あの世界から持ち帰ったものだった。
なんだったんだ、あれは。
夢。にしてはリアルだった。
お腹がすいた。喉も乾いた。
落ち着きを取り戻すべく、部屋の扉を開けてみた。
あった。
姉ちゃんの作った、夕飯。『寝ちゃった?』という手紙つきだ。いつもは夜の十時ごろまでには食べ終えた皿を部屋の前に出しておくのだが、手すらつけなかったことには驚いたかもしれない。
心配、させたかもしれない。
ひとまず、扉からおぼんを引き込む。
冷めた酢豚を一口食べると、温いものが頬をつたった。
怖かった。
リアルだったのだ、あの世界は。
叫び声。
炎の熱。
爆発と、舞う砂埃。
人々から感じた敵意。
全部、本物だった。
すべて忘れようと布団にもぐって、眼をきつく瞑った。
突き刺すような朝陽がカーテンの隙間から射し込む時間になっても、眠ることはできなかった。
不眠状態のまま、火曜日の午前十時を過ぎた。姉ちゃんは大学へ出かけており、。僕はひとりベッドの上で仮面ドライバーの動画を眺めていた。
眺めていたのだが。
――ピンポーン。
先ほどから、ずっとインターホンが鳴りやまないのだ。
かれこれ十分間は続いている。僕の居留守使用率は百パーセントを軽く超えているが、こんなにしつこい相手は初めてだ。しかも、インターホンを押すタイミングがだんだんとリズミカルになってきている。
いたずらか?
あるいは、本気の嫌がらせか。十五ヶ月もたって何を今さら――と思うが、僕には心当たりがあった。
十五ヶ月前、僕がまだヒキコモリになる前のことだ。
僕は高校でいじめにあっていた。よくあるもので、過激なものではなく、地味で、目立たず、じゃれているだけと言われればそれまでというようないじめだ。
しかし僕自身はそれに耐えることができず、かといって他人に助けを求めるほど素直にもなれず、心が
そこから僕は停学処分を受け、そのまま停学が明けても未だ学校へは行けずにいる。
その彼らが、今さら、仕返しでもするつもりか?
インターホンのリズムが某有名ゲームの無敵状態BGMにさしかかったところで、僕は意を決して窓から外を覗き見た。
「えっ?」
そこにいたのは、あの女の子だ。
一緒に逃げ回り、そしてなんとか生き残った。名前を聞けなかったあの子。
なぜここに……。
と、目があってしまった。
うちの玄関の前で、あの子がぴょんぴょん跳ねて手を振っている……。
あんなキャラだっけ……。
これでは無視することもできないし、僕はしぶしぶ玄関へと向かった。
すこし、緊張する。
こうして自分を訪ねてきた人と話をするのなんて、いつぶりか分からない。今、僕が話をするのは、姉ちゃんと、コンビニの店員さんぐらいのものなのだから。
深呼吸をして、扉を開ける。
「突然ごめんなさい、片見新士くん、ですよね?」
「う、うん。君は……その、昨日の」
「名乗ってなかったですよね! 私は南かなえです」
「南さん。ってことはあれ……夢じゃないんだ……」
「うん、新士くん。あれ、全部ほんとの事です」
そういって、うんうんと頷く南さん。
今日は制服ではなく、私服――オシャレだ。いや、僕にファッションのことは分からないんだけれど、広告などで見る女優やモデルが着る流行の服、という感じがする。
「突然訪ねて来て、ごめんなさい。驚いたと思うし、迷惑だっと思うんですけど……。でも新士くん、
「き、来ちゃったって……どうやって? なんで僕の家わかったの?」
「あはは、それがね」
どうやら南さんは、隣町にある高校の生徒だったらしい。
そして、僕が昨日着ていた(というか、今も着ている)クソダサ高校指定ジャージに書いてある高校名から、近くに住んでいる可能性を考えていたのだ。
「だからね、名前さえ分かれば新士くんと同じ中学とか、通ってた知り合いの子いるんじゃないかなって思ったの。それで鐘の音が聞こえたから、消えちゃう前に聞かなきゃ! って思って、名前を聞いておいたんだ」
交友網すごいな南さん……。
っていうかそれで住所まで教えた僕の旧友、やめてください。
そして話し方もどんどんラフになる。なるほどこういう子が、隣町の友達の友達まで特定ができるほどの知り合いを手にするのだな。
まぁ住所を教えた旧友よ、今回は相手が南さんだったから許そう……と、僕はどぎまぎしながらベッドに腰かける南さんを見ながら思った。
僕の部屋へ、あがってきたのだ。「立ちもなんだし、ね!」という感じで押し切られたのだが、もう少し警戒とかした方がいいんじゃ……。
「そう言えば、今日って火曜日だけど、南さん学校は?」
「えへへ、ぶっちなんです」
満面の笑みで言われましても……。
「でも、新士くんも一緒でしょ? しばらくぶっちしてるって、住所教えてくれたひとから聞いてるよ」
前言撤回。僕のことを話した旧友、絶対に許さない。
僕がどんなに情けない顔をしていたのかは分からないが、南さんが話題を
「えっと、新士くん。そしたらまず、天使さんから説明されたことってどこまで覚えてますか?」
「天使……?」
灰色の、あの≪
「えっと、ここに最初に来たときに、天使さんから説明されませんでしたか?」
それってまさか、あの厨二病男ルシフェルのことか?
そういえば、最も神を嫌った天使とかなんとか言ってたような……。
「なんかあの、痛々しいやつ?」
「い、痛々しいかはわかんないけど、バラをくわえた、金髪のお兄さんでした」
違う痛々しいやつ出てきた……。
「ごめん、僕はその人は知らない。けど紫の髪したV系みたいな人には、≪アルカナ≫とか≪
「そう、それ! そっかぁ、天使さん、一人じゃないんだなぁ」
「そしたら、その紫の天使さんから聞いて覚えてること、教えてほしいのです」
女の子に促された通りに、僕はルシフェルから聞いたことを話した。
ここは神様が作った願いを叶える場所≪
戦って残ったひとりの願いだけが叶うこと。
戦うためには≪アルカナ≫と契約して≪
指輪で触れれば契約できるとこ。
「え、それで全部?」
「え?」
「新士くん」
じっ、と。
突然見つめられた。
ど、どきどきする僕。
ヒキコモリには刺激がつよい。
「人の話はちゃんと聞かなきゃダメだよ!」
怒られた。
頬っぺたを膨らまして、そう言われた。
どういうことだろう。
取りあえず、どきどきはおさまった。
「それってどういう……」
「もっといっぱい天使さんから説明あったでしょ! 鐘が鳴ったらおうちに帰れますとかー、そのとき怪我は治りますとかー、また次の夜にここに呼ばれますとかー、毎日一人ずつ新人さんが来ますとか!」
き、聞いてない!
「聞いてない、天使も言ってなかった!」
「こらー、言い訳しちゃだめですよ!」
んな幼稚園の先生みたく言われても。
「本当なんだって」
再びじっとこちらを見る女の子。
どきどきが再発する。単純か、僕は。
「ほんとに……?」
「本当」
「ほんとのほんと……?」
「本当です」
「ごめん……ほんとみたい。ご、ごめんね疑って!」
信じてくれる気になったらしく、両手をあわせて謝った。
「いいよ、だからそんな謝んないで」
「慈悲深き神様みたいだね新士くん」
それから、南さんがから聞いたルールは以下のようなものだった。
僕は念のため、紙にメモをとった。
・願いを口にすると、天使によって
・それ以降、毎夜零時に参加者は
・参加者の最大人数は二十二人。
・ゲーム終了時点でひとりだけが生き残っていた場合に、その参加者が勝者となる。
・脱落条件は、身体の著しい損傷。
・ゲーム終了時に二人以上の参加者が残っていた場合、翌日に持ち越される。
・ゲーム開始位置はランダムだが、前日のゲームで触れあっていた者同士は近くで開始する。
・一日一名、新しいゲーム参加者が追加される。
・参加者には≪檻の指輪≫が与えられる
・≪檻の指輪≫で≪アルカナ≫に触れると、≪
・帰還のまでにかかる時間は毎回変わるが、現実世界での時間経過は0。
・帰還の合図は鐘の鳴る音。
・何も持ち帰ることはできず、持ち込めるのは身に付けているもののみ。
・勝ち残った者の願いが叶う。
・敗北した者の願いは永遠に叶わない。
「えっとそれでその話、きみは金髪の天使から聞いたの?」
「うん! そうだよ。私は昨日で3回目なの、あそこに呼ばれるの。前の2日は隠れてたんだけど、昨日はあのおっきい鳥に見つかっちゃって。そしたら新士くんが助けてくれたんだよね」
「いや僕もほとんど逃げるだけしか出来なかったし。倒したあの人も、戦わなかったら僕もやばかったし。ぜんぜん、助けたとかじゃないよ」
「ううん、新士くん、私のこと助けてくれたよ。それだけじゃないの」
そう言うと、南さんがこちらを見ていた。
「あのね、すごく心配してくれたでしょ、私の脚。あれも、嬉しかったんだ。ありがとう、新士くん。私は治るって知ってたから、そんなに怖くなかったんだけどね。でもそれよりずっと怖いのは周りの人が当たり前に殺し合っていることで、そんな中で新士くんが、ああやって心配してくれて、帰れば治るのにな、って、ちょっとおかしくて。でも本当に安心したんだ」
僕は、大したことなんてしていない。結局それも、勘違いで本当に怪我をしたんだと思っていただけだ。きみのことを安心させてあげようなんて思っていなかった。
「それにね、もうほとんど聞かなくても分かるけど、新士くんは昨日がはじめての参加だよね。たぶんなんだけど、はじめてあそこに呼ばれて願いが叶うよって言われたらみんなもっと自分のお願いしか頭に無くなって、人のこと考える余裕なんてなくなっちゃうと思う。それか、あんなに危ない所だし、私みたいに隠れるしかないよね」
そうだよ、南さん。
僕は、逃げて、隠れて、それだけをしていたんだ。
灰色の天使の人のことを、僕は一度見殺しにしているんだ。
きみの所へ助けに出られたのは、ひとり見殺しにした後のことなんだ。
「私ね、二回目に呼ばれたときに、廃ビルのロッカーの中に隠れて時間が過ぎるのを待ってたの。そしたらね、目の前に、たぶん、その日の新人さんかな。おどおどした男の人がひとり、走ってきたのね。助けを求めてた。私、隣のロッカーに隠れられること教えてあげられたのに、黙ってたの。息を殺して、その人が通り過ぎるのをひたすら待ったの。しばらくして、悲鳴が聞こえたよ。私は、人を助けにいけなかった。でも、今でもそれが普通なんじゃないかなって思う。残酷だよね。でも、みんなそうなんじゃないかな? もう一度同じことがあっても、次は助けられるかわからないの」
南さんの頬が濡れている。
「なのにね、あなたは、助けてくれたんだね、私のこと」
「そんなんじゃ……なくて。結果的に、こうなっただけだよ。だから僕に感謝なんてしなくていいんだよ、南さん。僕にこそ、人を助けることなんて、ずっと、今もできやしないんだ」
そう、僕はヒーローにはなれない。
「ふふ、謙虚なんだね。でもおバカさんだなぁ~」
涙をぬぐって笑いながら、南さんは言った。
「あのね、人が救われたかどうかは、救った人が決めるんじゃないの。救われた人が決めるんだよ。だからね、あの日、新士くんは――」
――私にとってのヒーローだったんだよ。
その言葉が、どれほど僕を救っているのか、この子は知らないのだろう。
僕が、情けない現実から逃げ込んで憧れたその称号を、きみが僕に与えてくれた。
この日、僕はたったひとりにとってだけの、でも何よりも誇らしいヒーローの称号を手に入れた。
「おおーよしよしよし!怖かったよね、あの世界……。私もだよ~!」
いつの間にか、僕も泣いていたらしい。
南さんは僕のことを頭ごと、がばっと抱きしめた。そのまま頭をぐしぐし撫でられまくる。
す、すっごい圧です……じゃなくて!
「いやいやいや何してんの南さん!?」
「あ、あははは! ごめんね! 新士くんが泣いてるのみたら年下みたく思えちゃって。変身して戦ってるときはすごくかっこよかったのにね~!」
その日は今夜
南さんが帰るタイミングで姉ちゃんが帰宅して鉢合わせ、ちょっとひと悶着あったりしたのもあって、僕はベッドの上で横になっていた。
部屋の照明に左手をかかげる。
太陽を宿したリングは、沈黙している。
「今夜も頼むぞ」
南さんが僕にくれた称号を噛みしめながら、今夜のバトルロワイヤルまで仮眠をとることにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます