第三話 目覚めた太陽
助けを呼ぶ声の方へ走る。
どこかもわからない廃墟のなかで、なにに追われているかもわからない女の子のために。
僕は、助けを呼ぶ声に答えようとしている。
ずっと待っていたから。
まるでヒーローに向けられているかのようなその声を。
いた。
女の子。制服を着ている。たぶん僕と同い年くらい。
そして、巨大な燃え盛る鳥――あれが≪アルカナ≫か。
女の子がこっちに気付いた!
「あの、助けてください!」
うん、任せろ。僕はそのために出てきたんだ。
でも、思ったよりずっと状況はヤバそうだ。
空を飛ぶ多いな燃える鳥は、火の粉を散らしながら女の子を追いかけている。
時々、追うのを止めたかと思うと翼から炎の塊を放つ。女の子はその度にそれをギリギリのところで避けたり、ガレキの影に隠れて耐えている。しかし、いつか彼女に当たってしまいそうでハラハラする。
これが現実? そんなわけがない。けど、考えている暇はない。
あの子を助けなきゃ。
「と、りあえず、こっち!」
手招きする。女の子の進路がこちらに向くと、当然燃える鳥もこちらへ。
横から見ているとの、実際に追われるのでは感じるプレッシャーが天と地ほど違う。
追われて走っているだけで、焦げそうになる感覚を覚える。
熱いのだ。燃える鳥は、凄まじい熱を放っている。
ゴォッ。
来た、火球が飛んでくる。
「あっ!」
長く走っていた女の子がバランスを崩した。
転ぶ。
このままだと、炎が直撃する!
「手!」
僕は女の子の手を掴んで引っ張った。
ぐるん、と。ふたりの重心をずらして僕と女の子の位置を入れ換える。
「あっつぅ!!」
ギリギリ、服の上から二の腕をかすっただけ!
ジャージの袖が少し焦げたが、燃えることはなかった。これ、炎というか、特撮でもよくあるビーム、みたいな……。
服が燃えなかったことには安堵する。しかし、体に直撃していたら、という恐怖に背筋が冷たくなる。
女の子は、立ち上がっているが、足元がおぼつかない。疲労だけじゃない。怪我もしているのかも。
隠れられる場所を探して、辺りを見渡した。
僕は鳥には追えまいと、廃墟のひとつ、特に損傷の少なそうなビルの中へと駆けこんだ。
思った通りだ。炎の鳥はビルの入り口からこちら側には入ってこれない。狭すぎて飛んで来られない。
と、その代わりにやつは炎の塊を大量に撃ち込んできた。
「あっつ」
「きゃあ!」
僕も女の子も、直撃はしなかった。しかし尋常ではない熱気が押し寄せてくる!
「奥に、こっちだ!」
女の子の手を引いて、ビルの奥に見えた階段を昇る。
ひとまず、階段の踊場を折り返したところで鳥は見えなくなり、熱気も遠ざかった。二階の適当な部屋に入って、うち捨てられたデスクの影にふたりで隠れた。念のため、扉も閉めておく。
あれがすべてビームなら、火災にはならないと信じたい。
もしなったら、僕たちは袋のねずみだ。
「はぁ、はぁ」
僕も、女の子も、息がとても荒い。
怖かった。
あんな化け物に追いかけられて生きているのが信じられない。
運が良かった。あの鳥がもっと速かったら。炎の狙いがもう少し正確だったら。僕たちはきっと燃やし尽くされていた。焼死も、ビームに穿たれて死ぬのも、絶対に嫌だ。
隣を見ると、女の子は泣いていた。スカートの裾が微かに焦げている。そして、焦げている箇所のすぐ側の太腿の一部が黒くなり、微かに黒い粒子……?のようなものが放出されている。
これ……あの灰色の≪
「あの、きみさ、大丈夫?」
大丈夫なわけない。何をいってるんだ僕は。僕だって大丈夫じゃない。
「大丈夫です。ぐすん……」
「えっと、その足、それ、痛くない?」
「い、痛い。けど、 ちょっと痛いだけ、です……うう」
余計に泣かせてしまった。
ゆ、許してほしい。姉ちゃんとコンビニ店員以外の人と話すのは15ヶ月ぶりなんだ。しかも、女の子。かなり可愛い。
「血とかは、出てないみたいだ」
「うう、うん」
何か布でも当てておきたい。
僕の服は、部屋にいたときの格好のままだった。今気付いた。高校指定の体操ジャージ。ルシフェルとは別の意味でダサい。恥ずかしい。
いったん羞恥心は忘れて、テレビでやっているみたいに自分の服の裾が袖を破けないか試した。幸い、鳥に焦がされた部分から袖をちぎることができた。
「とりあえず、これ、巻いておこう」
「んっ……」
お、おおおお。そんな声出さないでください。
ヒキコモリには、刺激がつよすぎる……。
い、いやそんなこと考えてる場合じゃないだろ、僕!
「ごめん、痛かったよね」
「んーん、ありがとう、です」
布を巻く途中に黒い粒子をよく見ると、灰色の天使の傷以外にも、粒の動きや大きさに見覚えがある。僕がここへ来るときやルシフェルが消えるときに沸いていた光る粒子に似ているのだ。なぜ色が違うんだろう。
少なくとも、ここで起こる不思議なことの一部であることは予想できた。
「ごめん。痛むかもしれないけど、今はこれ以上どうすることもできないと思う。取りあえず、ここを出て病院に……って、病院もあるかわからないのか」
あの男は帰りかたについては説明しなかった。この
想像した中で一番最悪なのは、勝ち残りが決まるまで帰ることはできないということ。そして敗北者は死ぬということだ。その場合、おそらく僕もこの子も助からない。
「少なくとも、怪我がひどくならないように気を付けよう。歩けそうにないとか、感じたらすぐ言ってほしい。その、何ができるわけじゃないけど……」
と、謝る僕を、不思議そうな顔で女の子が見ていた。
「えっと……。とりあえずこの建物の上にのぼってみて、病院とか見えないか探してみよう」
まだ僕のことをじっと見ている。
なんかおかしいこと言っているか……?
「あの、もしかしてあなた、今日がはじめてですか?」
「それって……どういう意味?」
「やっぱり、はじめてみたい……あのね」
と、その時。
足音だ。かつ、かつ、と。近づいてくる。
この子も気付いたようだ。話を止めて息を潜めている。
デスクの影に隠れるように目で合図する。オフィスらしき部屋にいくつかあるうち、ふたりでひとつのデスクに隠れた。
ちょ、ちょっと近い。
次の瞬間、扉が吹き飛んだ。
「はーい、お邪魔します、っと」
デスクの隙間から部屋の入り口を見る。
男。スーツ、と言っても≪
扉、蹴っ飛ばしたのか。スーツの張りぐあいから、筋肉質なのがわかる。
他の、参加者。
声をかけて助けを求めるか? 大人のようだし、頼れるかもしれない。
いや、だめだ。あの重厚な紺色と灰色の天使の姿が頭をよぎる。この人も同じように当たり前のように戦うやつだったとしたら。僕たちは絶好のカモだ。
「あぁ、隠れてんのかー。んっじゃやるかー。ふっふ」
男か頭上に左手を掲げる。
予想的中、だ。こいつは、僕たちを殺しに来たんだ。
口角を吊り上げて、言う。
「ふっ、変身」
男の全身を青い炎が包む。
どこからかラッパが高らかに鳴り響く。音色の数がどんどん増してゆき、壮大な金管楽隊のファンファーレを成す。
蒼炎の中から現れたのは、純白に青い装飾を纏ったアーマー、まごうことなき≪
炎でできた馬のようなたてがみに、たなびく青いマント。
騎士の鎧のようなデザインだ。
「≪
名前が、あるのか。
思わずカッコいいと感じてしまう。
だが、これはまずい状況だ。おそらく、かなりまずい。
「おーい、隠れてんのはわかってんだよー。出てこないと……」
男は再び指輪を構える。
「≪
指輪から変身したときと同じ青い炎が放たれる。
炎は、僕たちの隠れているふたつ隣のデスクを吹き飛ばした。
離れていても凄まじい衝撃を感じる。
あの火の鳥のような溶かす炎とは違い、まるで爆弾を投げつけるような炎だ。
「もういっちょ」
次はすぐ隣のデスクが吹き飛んだ。
「きゃっ」
慌てて口を塞いでいるが、もう遅い。
だがこれで彼女を攻めるのは酷だろう。ほんの少しの差で、僕が声を上げていたかもしれない。
「見つけたぞーふっふっふ」
やばい。
「逃げよう!」
女の子の手をひいて、僕はデスクの影から駆けだす。この部屋に入り口はふたつ。男のいない方へ走る。
「逃がさねぇよー。≪
「伏せて!」
女の子の背を思いっきり押して、ふたりで地面に倒れ込む。
頭上を青い光が通過して、爆発。
隣の部屋とこの部屋を隔てる壁が吹き飛んだ。
僕と女の子は言葉もかわさず立ち上がり、急いで部屋を出る。
女の子に前を走らせる。最悪の場合、僕が盾になるようにする。正直、そんな最悪は考えたくないけれど。廊下を全力疾走して、階段へ向かう。
後ろを振り返ってみると、男はどうやらかなり呑気なようで、歩いて追ってきている。
行ける、これなら逃げ切れるかもしれない。しかし――
「そんな……」
廊下の突き当りで、女の子が立ち尽くしている。
破壊されているのだ。下へ降りる階段が。
「おーい、こっちこいよー。楽に殺してやるから、さ」
足音が近づいてくる。
「仕方ない、上へ逃げよう」
女の子と階段をのぼる。
追いつかれてしまっては仕方が無いので、いずれ行き止まりとわかっていてもひたすら駆けのぼる。
どうする、考えろ、僕。
と、階段の踊り場にある窓から、外が見えた。
そこには、燃え盛る炎。青ではなく、赤く煌々と輝く炎。
燃え盛る不死鳥。
つい先ほど僕たちを襲った、あの≪アルカナ≫だ。
まだ僕たちを諦めていなかったのか。このビルの周りをうろついているようだ。
だが、ここでひとつ、考えついた。
あの厨二病ルシフェルが話していたことを、思い出す。あいつを信じるわけではない。しかし、今まで見たことは全て、あいつの言う通りなら説明がつく。
であれば。
僕は左の薬指を見つめた。
透明な――。
「試すしかない」
「な、なにを?」
「いい、きみ。僕があいつの注意をひきつけるから、その隙にきみは下へ降りて。逃げるんだ。怖いかもしれないけど、あいつに直接追われてさえいなければ、2階でもギリギリ飛び降りられる」
「で、でもあなたは」
「考えが、あるんだ。でも、可能性が低すぎて、きみに付き合わせるわけにはいかない」
したから声が近づいてくる。
「おぉーい。そろそろ階段越しに吹き飛ばしちまうぞぉー」
「時間がない。きみは一度この階に隠れて。僕とあいつがもっと上の階へ言ったら下へ降りて。いいね?」
涙目でふるふると首を振る女の子。
「僕は大丈夫、ほら行って!」
肩を掴んで無理矢理背を向けさせる。女の子の肩ってこんなに華奢なのか。
その背を押して、僕は階下に向けて叫んだ。
「こっちだ! おっさん! 上で決闘してやる!!」
叫んですぐ、わざと大きな足音が聞こえるように階段を踏みしめて階段を駆けのぼる。
まだこっちを振り返っている女の子に、あっちへ行け、隠れろ、と手で合図する。
「はぁー? 何言ってんだ? まぁ、いいか。すぐ行くからなー! せいぜい残りの余生を楽しむんだなー。ふっふっふ」
男はしっかりと僕を追ってくれるようだ。
あぁ。僕はなにやってるんだろう。
男の子みたいなことしちゃって。
かっこつけちゃって。
うん、でも、悪くはない。
唯一気がかりなのは、姉ちゃんのこと。こんな俺が死んで悲しむのは姉ちゃんぐらいだと思うけど。でも、姉ちゃんだけは悲しませたくなかった。
最後まで、迷惑かけっぱなしでごめん。
いや。
しゃきっとしろ、僕。
何とかなるかも知れない可能性があるからこうしているんだろう。
最後まで、諦めない。不安になっても、一歩踏み出す。
画面の中の僕の憧れる仮面ドライバーも、いつもそうだろう。
僕は彼らの羨ましいところしか見ていなかったんだ。
絶望的な状況でも、傷だらけになっても戦う。
それがそれになる条件なんだ。
あの子の「助けて」という悲鳴を思い出す。
初めてはっきりと聞こえた「助けて」の声に、僕はちゃんと答えられた。
ベッドの上で画面を眺めていた僕に、嘘をつかないために。あとは最後までやりきろう。
屋上の扉が、幸い開いていた。
空はまだ、曇っている。
屋上の端へ行き、下を見おろすと、いた。
≪アルカナ≫だ。火の鳥。
「おぉーーい! こっちだぁ! 僕は、ここにいるぞーー!」
「なぁーに、やってんの? 俺はここだぞ?」
こっちも来たか。
屋上の入り口から、男も追ってきた。
もう少し心の準備をしたかった。膝も震えている。だけど、やる時が来た。
「悪いね、おっさん」
「ああん?」
苛立たしげに首をかしげる男。フルフェイスのマスクの下では、血管が浮き出ているだろう。
「もういいわ、お前。≪
男の指輪から青い炎が放たれる。
僕は屋上の縁を蹴り、下から羽ばたいてくる≪アルカナ≫目指して飛び降りた!
やつからは自殺にでも見えるだろうか。
どんどん落ちる。落下していく!
背後を青い光が通り過ぎた。
眼前には赤い炎の鳥が迫る。
「おおおおおお!」
あまりのスリルに意識を失いそうになる。堪えろ。ここで気絶したら、本当にただの自殺者だ。
僕は思いっきり左手を伸ばす。
≪檻の指輪≫。
ルシフェルが言っていた。これで触れることが、≪契約≫だと。
ギリギリだ。火の鳥の発している熱に、手を引っ込めたくなる。
伸ばせ、伸ばせ。
それでも手を伸ばすんだ!
左手が火の鳥に、≪アルカナ≫に、触れた!
左手が燃え盛る不死鳥に触れたと思った、その瞬間だった。
僕は、また見知らぬ空間にいた。
霧がかかったような真っ白な空間。
『なかなかの度胸じゃの。お主』
霧の中から、小さな人影が近づいてきた。巫女のような格好をした、小さな女の子だ。真っ赤な髪に勾玉の髪飾りがふたつ、高い位置でとまっている。
「きみは……」
『わらわは第19番目の≪アルカナ≫。正式名は≪太陽≫じゃが、エーオース、バステト、天照大御神、摩利支天――これらの名前で読んでくれても構わんぞよ。わらわのオススメは、天照大御神のアマちゃんか、摩利支天のマリちゃんだの』
「えっと……じゃあ、アマちゃん」
『素直だのう! 良い、良い』
アマちゃんはうんうんと頷きながら言った。
小さいのになにやら尊大な物言いと古臭い話し方の女の子だ。
しかし、≪アルカナ≫ということはもしや。
「きみ、アマちゃんは、ひょっとしてあの火の鳥だったりするの?」
『いかにも。わらわの≪
胸を張るアマちゃん。
そしてすぐしゅんとするアマちゃん。
『お主らを襲ったのは悪かったのう。しかし、わらわたち≪アルカナ≫もお主ら契約者と似たような目的のために≪
しゅんとしたかと思うと、今度はビシっとこちらを指すアマちゃん。
表情がころころ変わる子だなぁ。見ていて面白い。
『しかしその点において、お主がわらわに触れたのは僥倖じゃ!おなごを助け、陽炎に包まれしわらわに触れる勇気。お主はわらわを纏うに相応しい契約者じゃ!』
「契約者……僕が、きみの」
『うむ。お主が纏うのはこの≪
にっこにこのアマちゃん。
『よいか、勇者よ。わらわの力を呼び出したいときはこう叫ぶのじゃ――』
そしてまた、僕は光に包まれた。
戻って来た!視界は再び落下中だ。
しかし、左手の薬指を包む炎の熱が僕に自信をくれる。見ると、≪檻の指輪≫のデザインが変わっている。
透明だった色は赤に。シンプルだった形状は炎をイメージさせる波打つ形に。石座には赤い石が嵌まっており、中にはギリシャ数字の十九が埋め込まれている。
曇り空の向こうにきっとある太陽めがけて左手を伸ばし、僕は、叫んだ!
「
直後、地面に激突する。
そして、立ち上がる。
僕の周りの大地が燃えている。
そして、僕自身も。
一歩、もう一歩と炎のなかから踏み出す。
自分の四肢を見ると、赤い、炎の意匠をあしらわれた装甲が目にはいる。
全身には緑色の光るラインが煌々と絶え間なく輝いている。
自分の顔に触れると、ヘルメットのようなもので覆われている。それでも、視界はかえってクリアに感じられる。
「おい、おいおいおーい! 契約したのかー? お前」
ズドン、と。目の前に青い影が落ちてきた。≪審判≫の契約者だ。
僕は、画面越しに観ていたあの憧れの仮面ドライバー・クーガーのポーズで言う。
「≪
ちょっと恥ずかしいかもしれないが、いつかこの時が来たらこうするって決めてたんだ。
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