第一章 小さなヒーロー

第一話 飛ばされたヒキコモリ

「変、身!」


 叫んで僕は、ベッドから転がり落ちた。


「夢オチ……最悪」


 もそもそとベッドへ戻りながら、時計と外をみる。


 月曜日の午前十一時。窓の外は雨。近ごろは肌寒くなり、羽織るもののひとつも欲しくなる。こんな日も、みんなは学校や仕事へ出かけている。

 僕は今日も、自室のベッドで横になっている。体調は悪くないが、強いて言えば、≪精神ココロ≫が悪いのかも。


 ヒキコモリなのだ、僕は。高校一年の夏休みが終わって以来、十五ヶ月ほど学校に行っていない。


 ベッドから起き上がり、小さくドアを開ける。

 姉ちゃんが作って朝兼昼ごはんを素早く部屋にひきずり込む。おにぎりと味噌汁、おひたし、卵焼き。おにぎりの中身は鮭でまちがいない。


 両親が共に海外赴任しているうちで、家事とヒキコモリの世話を一手に引き受けているのが姉ちゃんだ。


 いつか何か恩返しをしたい。けれど今のところ、僕にできそうなことは、作ってくれるご飯を残さず食べることぐらいだ。


 もそもそとおにぎりを食べながら、イヤホンをはめてスマホで動画を流す。『仮面ドライバー』シリーズ。学校へ行かない僕の、これが日課。


『変身ッ! 仮面ドライバー・ドラグーン!!』


 かっこいい……。

 変身して、正義のために闘う。一度は憧れる姿だ。たくさんの人たちを救うために何度も悪に立ち向かう姿に、奮わずにはいられない。


 画面の中で勇ましく闘う仮面ドライバーと、ベッドの上で画面を眺める僕。


 いつからこうなってしまったんだろう。


 彼らのように、わかりやすい悪のいる世界が羨ましい。

 僕だって、悪から人を助けたい。

 けれど、現実には怪人の姿をした敵などはいないのだ。この世界の敵は、曖昧だ。


 例えば、いじめ。あれは、ガキ大将を拳で成敗したところでどうにかなるものではない。

 いじめっ子はスマートで、巧妙な手段でいじめられっ子を追い詰める。

 殴り倒す対象など存在せず、いじめられる側は見えない壁にどんどん追い詰められる。


 あぁ、あのいじめっ子を、いじめを見過ごす先生を、いじめられっ子の心の弱さを、操っている怪人がいてくれたらいいのに。

 僕にそいつをうち倒す力があったらいいのに。


「なりたいよなぁ、ヒーロー」

『だったらなれよ。自分の力で』


 どこかから、そんな声が聞こえた。


 観ていた仮面ドライバーのセリフではない。そういうシーンではない。ドライバー今必死に戦っているところだ。

 どこから?

 部屋の周りを見渡す。ドアも、ここは二階だが、一応窓も見る。


「なんだ、これ」


 僕の周りを光の粒が渦巻いている。

 粒がどんどん増えて、増えて。


『願いを叶えるため、最後の一人になるまで、闘え、戦え!』


 僕の視界は真っ白になった。




 目を覚ますと、見知らぬ廃墟の中だった。

 倉庫のような建物。天井には穴が空いている。雲っているが、雨は降っていない。 


「なに、これ」


 僕は部屋にいたはず。あの光の粒、あれは何?

 拉致された……とか? じゃああの光の粒は、幻覚か何かだろうか。

 いや、ヒキコモリを拉致しても誰も得なんてしないか。


「じゃあ夢、だよね」

『いんや、夢じゃない』


 後ろか聞こえた声に振り返る。

 そこにいたのは、V系?ロックバンドみたいな格好をした細身の男。紫色のメッシュが入った長い前髪が鬱陶しそうだ。

 っていうかくそダサい。


「誰……ですか」

『ルシフェル。天界で最も神を嫌った天使、さ』

「うぅ……見た目だけじゃなくて言動もダサい……」

『あぁん? お前、今俺のことダサいって言ったか? 殺すぞクソガキ』

「えぇ。いやあの、すいません」

『あーあ。この俺の機嫌損ねたな、クソガキ。説明、最低限しかしないからな。はん。今夜ゲームオーバーになっちまえ』


 ルシフェルと名乗った男は今夜と言ったが、今は別に夜ではないように思える。なぜ、今夜と言ったのだろう。それに、ゲームオーバーとは? イタイ言い回しだ……。


「なんの話してるのか全然わかんないんですけど、ここどこですか」

『人にダサいとか言っといて、図々しいヤツだなー、クソガキ。まぁ、どんなにウザくてもルール説明が俺の仕事なんでな。ただし、最低限しかしねえけどな。くっく』


 ルシフェルはにやにやと笑っている。

 下卑たやつ。


『んじゃ最低限の説明その一。ここはカミサマのオモチャ箱、≪神々の玩具箱アルカーナム≫だ。お前ら愚図のを叶えるための箱庭だ』


 あるかーなむ……? 海外のどこかだろうか? 聞いたことがない。


 願いを、叶える。そう言えばここに来る直前、何か言われたような。くそ恥ずかしい願いを誰かに聞かれたような。そして、叶えろだとか、戦えとか……。あ、あれこいつの声だ。


『くっく。思い出してきたな? ヒーローになりたぁ~い! ふ、くはは! 傑作だなぁ。間違いなく今この≪神々の玩具箱アルカーナム≫で一番笑える願いだ』

「なっ」

『だが、笑える願いのおかげでお前はここに召喚された。よかったじゃねぇか、チャンスだぞ。はいここで最低限の説明その二。ここでお前らプレイヤーは毎夜戦い、最終的に勝ち残ったひとりの願いだけが叶う』

「た、たたかう……? どういうことだよ、戦うって」

『だんだん生意気になってくるなぁクソガキ。そんじゃ、最低限の説明その三。≪神々の玩具箱アルカーナム≫には≪アルカナ≫と呼ばれる神獣がいる。まぁ、カミサマの創りし芸術品みたいなもんだ。お前は、そのアルカナと契約しろ。そうすれば、この世界で戦うための力が得られる』

「あぁー、もう! あのさ、全然わかんないだよ! その厨二病みたいな言い方やめて、もっとわかりやすく言えよ!」


 と、その瞬間。長い前髪から覗くルシフェルの目がひくついた。


『おい、お前、言っちまったな……その言葉を。それだけは言っちゃならねぇ』

「あ、え? 厨二病?」

『また言ったなぁ? あぁ!?』


 また地雷踏んだっぽい。


『もう終わりだ。マジで今夜死ね』

「あー、あの、なんかごめんなさい」

 

 ちっ。と舌打ちをして、何か小言を行ってから、こちらをにらみつけた。


『最後にひとつだけ、左手、見てみろ』


 言われたようにすると、薬指に見慣れない指輪があった。

 半透明で、とてもシンプル。

 なんだか、ひどく空っぽな――という印象を覚えた。


「指輪……? すごい、軽いというか、つけてる方がすーすーするような……」

『はん、センスはいいみてぇなのが余計ムカつくな。そいつは≪檻の指輪≫。今はすっからかんだがな。その指輪をつけた左手で≪アルカナ≫に触れろ。それでお前は≪契約者アルカニック・ナイト≫になれる。≪契約者アルカニック・ナイト≫になっている間、お前はこれまでのお前ではなくなる』


 そんな、また意味のわからないことを言う。


『新しい精神と新しい力で、闘え、戦え』


 男が、光る粒に包まれる。

 粒の集合が一瞬強い光を放つ。

 最後に一言残して、やつは消えた。


『勝ち残って望みを叶えろ、クソガキ』


「お、おい、どこ行ったんだよ」


 返事はなく、僕はまたひとりになった。

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