19話・進行方向はスクランブル!

 ──翌日、四月十四日・早朝。


 波乱続きの土日が終わり、結にとって憂鬱な月曜日がやってくる。

 真っ当な優等生とは違い、退屈と面倒臭さが支配する五日間を想像するだけで布団を蹴ろうとする足に力が入らなかった。

 月曜日恐怖症、という病名があるとか無いとか聞いたが、強ち間違いということもないだろう。


「本当、面倒臭い」


 布団の中に篭って目を閉じたい気分だが、欠席が続けば癖になり、最悪の場合は卒業が危うくなってしまう。

 しかも、それが少しでも長く続けばお節介な女さやかが現れること間違いなしだ。


『ピッピロ、ピロリーン!

 ピッピロ、ピロリーン‼︎』


「こんな朝早くから、誰だよ……」


 けたたましく鳴り響くスマートフォンが結の不快指数を上昇させ、珍しく掛かってきた非通知の電話に違和感を覚えることなく出る。

 相手が誰で目的が何にしろ、今は出来る限りの情報が欲しい。

 自分の知らない間に激しく事態が動いていると思うと、実に気が気ではなかった。


『もしもし、西園寺か?

 朝早いのに悪いな』


「お前は確か……、レイジ? 」


 悪戯電話ならすぐに切るつもりが、聞き覚えのある声に結の記憶の底から一つの名前が浮かび上がる。

 昨日で互いの用は済んだものと結は考えていたが、それは結の希望的観測に過ぎなかったようだ。


『レイジさん、だ。

 それと、お前さんは普通に、普通に登校してくれ』


 テレビ電話でなくてもレイジの気迫が伝わってくるような念押しは寝起きの結の頭を覚醒させ、結は思わずミュートボタンを押してから布団を蹴って起き上がる。

 不要と考えて寝室にメモ帳や筆記用具を置かずにいたのを悔やみながら冷たい階段を駆け下り、メモを取る準備が整ってからミュートボタンを解除して、


「……どういうこと? 」


『行けば分かる。

 くれぐれも、早退もするなよ』


 結なりに真剣に聞こうとボールペンを握り締めて待っていたが、肝心のレイジは詳細を語ることなく電話は切られてしまった。

 こうなってしまうと面倒だとしても、実際に枝垂高校に行って確認する他ない。


「仕方ない……」


 急いで着替えを済ませ、結は脱いだ洗濯物を放り込むと時短モードに設定した洗濯機を回しながら今日の授業に必要な道具の準備を済ませる。

 数学、古典、世界史、化学、コミュニケーション英語……、体育のない一日ということもあり、月曜日に体育のあった中学と違って高校の月曜日はあまり好きではなかった。


「行ってくるよ」


 一人暮らしの結は返事が返ってこないことを分かった上で写真に呼びかける。

 意味がないことは分かっているが、辞めてはいけないモノと感じて無意識のうちにルーティーンのようになっていた。



 ──それが単なる、気休めだとしても。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「今から出席を取るから挙手すること。

 天田、石原、市川、碓氷……」


 結が2-Aの教室に到着した頃にはすでに椎名が出欠を取っており、気付かれないように身を屈めて素早く自分の席に座った。

 幸いなことに椎名は結を一瞥するだけで特に注意せず、傍目には何もなかったように出欠確認をする椎名を前にしてはクラスメイトも結を揶揄うことも躊躇われる。


「葛城……、は休みかしら。

 誰か知ってる人いる? 」


 そんな椎名も欠席の理由は気にするらしく、出席簿を教卓に置いて生徒達に質問しても答えは返ってこない。

 良く考えればそれも当然で、四月の第二週であれば連絡先を交換するぐらいの交流が無くてもおかしくなかった。


「西園寺、貴女は知らない? 」


「……いや、分からないです」


 以前、真哉と結がグラウンドに二人で居たのを思い出した椎名が問いかけると結はどう言おうか悩みながら首を横に振り、椎名はこれ以上は時間の無駄と判断する。


「そう、連絡漏れかしら。

 柏木、春日井、霧島……」


 真哉のことは後回しにした椎名は出欠確認を再開し、結は自分の番に挙手するといつも以上にやる気が失せたような感じがした。

 色々と一緒に馬鹿なことをやる間柄からか、真哉が居ないとどうも本調子じゃないと結は重い溜息を吐き、


「──どこに行ってんだよ、お前」


 今は居ない机の主に悪態を吐くのだった。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 それから一限、二限、三限と結は適当に授業を受け、極度の疲労から死んだような目で机にもたれかかっていた。


「西園寺さん、次は化学だって〜! 」


「了解……」


 土日の疲労と退屈極まる授業で満身創痍に陥った結は怠そうに立ち上がり、ふらつきながらも授業の準備を進めていく。

 そんな結と去年からの付き合いがある石原遥いしはらはるか夜凪深鈴よなぎみすずはいつもの光景と苦笑しつつ、


「そういえば、遥は先生が変わったの知ってる?」


「えっ、あ、知ってる!

 細野先生に変わったんでしょ……⁉︎ 」


「ぶっぶー、細野先生は自習監督で、化学は山口先生だよ〜

 木曜日は体調不良でお休みしてたみたいだけど、良くなったみたい」


 深鈴は新任式の時に寝ていた遥を試してみたが、簡単に遥が引っかかったことに思わず苦笑してしまう。

 誰の目からも目に見えて明るい遥は良く言えば天然、悪く言えば少しお馬鹿な一面があり、遥の憧れとなっている深鈴は遥の自由奔放さを羨ましく感じていた。


「そうなんだ……!

 山口先生、ジャミーズレベルのイケメンだったらどうしよう⁉︎ 」


 だが、遥を羨ましく思う深鈴でも見知らぬ男性をすぐにイケメンと仮定して大慌てする悪癖には閉口している。

 彼氏が出来そうなルックスと総合成績は常に上位陣というスペックを持ち合わせている分、性格で全て台無しにしてしまうのは凄く残念だと思わざるを得なかった。


「相変わらず、遥は顔が最優先だね〜

 私は寝てても怒らなくて、テストが赤点でも単位くれるような優しい先生だと良いなぁ」


「そっちの方が難しいんじゃない……?

 あ、西園寺さんはどう思う⁉︎ 」


 深鈴の期待を即座に否定した遥は相変わらずやる気がなさそうに仰向けになる結に問いかけ、


「ブサイクな上にクソ教師だと思う」


「西園寺さんは少しぐらい希望持とうよ〜⁉︎

 物凄くイケメンかもしれないじゃん! 」


 容赦ない現実味のある回答に思わず遥は涙目になってしまう。

 性格よりも顔、という判断基準の遥は良くも悪くも見た目の観点でイケメンであれば問題ない、と昨年の自己紹介で豪語していたのを結は思い出した。


「……ま、それもそうだな。

 山口なんて他にもいるか」


 山口はこの世に一人しかいないような稀有な名字ではなく、探せば幾らでも見つかる名字と断言できる。

 実際、昨年のクラスにも山口が居たことから忌まわしいトラウマを忘れようと結は強く頭を振った。


「──結、遥。

 そろそろ時間だし、移動しよっか」


「遅刻したらダメだし、急がないと! 」


「ああ」


 こうして雑談をしている内に四限が始まる一分前になり、結達は教科書と筆記用具を手に理科室に向かって廊下を駆け抜けていく。


「ちょっと、早いって……⁉︎ 」


 ──結と遥は深鈴を抜き去り、少し走っただけで息切れした深鈴は諦めて歩いて理科室に向かった。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「先生はまだかな〜? 」


「にしても、遅いな……」


 結と遥はギリギリで四限の開始のチャイムに間に合い、深鈴が五分遅れで理科室に到着してから二十分。

 暇を持て余した生徒達は雑談に興じていたが、扉を開けた音と同時に生徒達は皆息を呑んで居住まいを正した。


「慣れない道を使って遅くなりました。

 皆さんを待たせてしまったので、本日の課題は免除としましょう」


 銀縁眼鏡にアルマーニのスーツ姿の男は穏やかな笑みを浮かべ、銀縁の眼鏡を外すと涼しげな目元が印象的な男はゆっくりと全体を見回す。

 予想を良い意味で裏切られた女子達による黄色の悲鳴が上がる中、


「い、イケメン……⁉︎ 」


「遥、授業中だからね〜? 」


「わ、分かってるけど……‼︎ 」


 思った以上の美貌に遥のテンションは一気に高まり、授業そっちのけでアピールしようと予備動作をした時点で深鈴の殺気が遥の背中に突き刺さる。

 深鈴の声音は普段と同じでありながら、深鈴の意図を痛烈に感じとった遥が取った行動はあたかも調教された犬のようだった。


「初めまして、今年度から教鞭を取らせて頂く山口春彦やまぐちはるひこと申します。

 新任教師ではありますが、これから宜しくお願い致します」


 山口はクラス全体に向けて自己紹介をしながらも、彼の視線は一人の少女に向けられる。

 男女問わず興味を持って山口を見る生徒達の中に、興味を示すことなく一際異質な雰囲気を持つ少女。


「……」


「──それでは、講義を始めましょう」


 不快そうに睨む結と、満足そうに笑う山口。

 二人の視線が交錯した後、四限の授業は漸く始まりを告げた。

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