第5話・モーニングコールと桃華の思惑

──翌日、早朝。

着替えを済ませた結は早速とばかりに自分の特異手帳を玄関のドアに翳し、本当に昨日行った桃華の自室に繋がっていることに僅かばかり感動してしまった。

この特異手帳の裏にはmade in Momokaとあり、信じ難いことだが桃華が製作したものなのだろう。

人は見かけによらぬものというが、驚きだ。


「……結ちゃん?」


「何だよ」


桃華が偉そうに腕組みしているのを見ただけで好感度は一気に下がり、結は面倒臭そうに適当な椅子に腰掛ける。


「What time is it now!?」


「It's 6th O'clock」


「分かってるなら学校行けよ!?」


桃華の本棚から乱雑に漫画を取り出し、机に土足のまま足を乗せて寝っ転がる結。

喧嘩で勝てるような相手ではない以上、怒りを堪えながら見守るしかなかった。


「嫌だよ、面倒臭い。

昨日やらかしたから余計にな」


「やらかし……、おねしょ?」


さやかのことを考えていた結は思わず吹き出し、げんなりとした顔で桃華を睨む。

スーツの女は一切笑わずに無表情を保っているが、内心どう思われているかは全く分からない。


「おねしょはお前だろ」


「今日はしてないし!!

今日は、今日はしてないからね!」


必死になって否定する桃華を冷たい視線で見つめる結。

だが、徐々に冷たい視線から面白そうな玩具を見る目に変わり、桃華の表情が消えた。


「昨日はしたんだな?」


「うぐ……」


──言質取った。

今後どのような状況になるかは分からない上に、隊長という身分だけで好き勝手振り回されるつもりはない。

結は冷静に、くだらないと思いながらも特異手帳に書き込んでおく。


「……やっぱりいいや。

それより昨日言われたもの、持ってきた」


だが、流石にこんな幼稚な脅迫材料は不要だろうと書いたメモの上に二十線を引き、結は持ってきた印鑑と通帳を机の上に置いた。


「うんうん、それで大丈夫。

印鑑に通帳とボールペンは貸すから良いとして……、これに目を通してくれる?」


「契約書……?」


桃華が机の引き出しから取り出したのは難解な文字の羅列が書かれた書類だった。

それも一枚、二枚ではなく、三十枚を優に超える量。

これには、結も乾いた笑みを浮かべる他ない。


「まぁ、面倒かもしれないけどしっかり読んでね。

読めなければ僕が音読するし」


「お前の、音読……」


良くある、教師に指名された時の無駄に大きい声で読む児童を思い出し、結の顔は一気に蒼ざめる。

桃華の性格を考えずとも嫌な予感しかない。


「何そのこの世の終わりみたいな顔。

僕に失礼だと思わないのかい!?」


「いいや、全然」


「──まぁ、いいよ。

それより、キミの持ってる指輪を見せて?」


あっけからんとしている結に何を言っても無駄と理解した桃華は盛大に溜息を吐き、本題に入りながら結のサインを確認する。

読んだかどうかはさておき、結のサインがあればこの煩わしい手続きは殆ど終わったと言えた。


「いいぜ、好きにしてくれ」


結は自分の指から指輪を外し、桃華の小さな指に嵌める。



『オマエハ、チガウ』



「──チッ!」


刹那、首筋に鋭利な刃物を突き立てられたような殺気を感じ、桃華はすぐに指輪を外して結に返却した。


「どうした、桃華?」


「あいっかわらず不思議だねぇ。

強力な力を感じるけど、僕を拒んでいる感覚がある。

持ち主以外の使用は難しいか」


あれ以上付けていれば、イメージや殺気ではなく、指輪に殺されていただろう。

しかも、桃華の直感を信じるならこの世界の物質で作成されたと思えなかった。


「つまり、どういう意味だ?」


「簡単に言えば、他者がキミの指輪を使うと下手すれば死ぬ」


「……指輪如きで?」


結は胡散臭いと呆れた眼差しで桃華に問いかけるも、桃華の表情は真剣そのものだった。

実に疑わしいことではあるが、この件で桃華が嘘を吐いてるとは到底思えない。


「そ、指輪如きで。

他の指輪なら拒絶反応ぐらいで済んでも、こいつはノーリスクじゃない。

もう一度聞くけど、本当にキミが持っているつもりかい?」


心配と挑発の混じった桃華の問いに結は笑みを浮かべ、桃華から指輪を奪って人差し指に指輪を嵌める。

目の前にいるのは、ただの背伸びした小学生じゃないことを再確認させられた。


「ああ。

理由は昨日言ったし、この件はこれくらいで良いだろ」


「そうだね、所有者は終わりにして……」


シリアスな雰囲気から一転、桃華はわざとらしく不思議そうに、


「テスト、始まるんじゃない?

行かないなら、僕が代わりに受けてくるよ?」


「──後でぶっ飛ばす」


集合時間をとっくに過ぎている時計を指差して結に問いかけ、物騒な捨て台詞を口にした結は慌てて学校に向かった。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「……桃華様」


「どうかした、ナオちゃん?」


結達が立ち去ってから数時間後。

先程まで黙っていたスーツの女は携帯に表示された警報を確認するとゲームに夢中な桃華の肩を叩き、


「緊急事態です。

枝垂高校のグラウンドにて、大量の雑魚エビルの予兆が確認されました」


「へぇ……、エビルが出るんだ。

計画を早めても良さそうだね」


計画、と口にした桃華は恍惚とした表情で自分の薬指をしゃぶり始める。

浅ましく、下品に、汚らしく。

感情が昂ってしまうとこの癖が出てしまうが、ナオは僅かに眉を顰めるだけで特に咎めることはなかった。


「計画、というと……?」


「ん、何でもないよ。

それよりも警報は他の人間にはギリギリまで出さずに、結ちゃん達がエビルを潰し終わるまでは連絡はしないこと。

そうすれば、あの黒い指輪の謎が知れる筈だ」


「彼女達の命を晒してでもやるようなことですか……!?」


基本的に桃華には逆らわないナオだが、何かがナオの中で弾け飛んだような感覚を覚える。

怒りという感情に無縁な生活を送るナオにとって、実に形容し難い感情が暴れ回る。


「愚問だね、ナオちゃん。

それで死ぬような素人は不要だよ。

軍犬は慈善事業ではないし、国防、いや、世界を守る組織に弱さは邪魔だ」


「桃華……ッ!」


ナオが激怒しているのを分かっていて火に油を注ぐ桃華の頬を容赦なく平手打ちし、椅子から叩き落とされた桃華はそっと瞼を閉じる。

痛いからでも、泣きたいからでもない。


「──いい加減にしてくれ、ナオ。

それと、僕の気が変わる前に黙った方が良い」


突如、桃華が自分でしゃぶった指に無数の文字が刻まれた指輪が嵌められ、ナオは思わずたじろいでしまう。


(聖騎士セイグリットシリーズ・Ⅲ……!?)


真哉や結が持っている魂の円環ソウルリングとは違い、浮浪の職人が作り上げたとされるシリーズもの。

一般的には聖騎士セイグリット魔術師ウィザード召喚士コンジュラーの三つがあるとされているが、まさかその中の一つを桃華が所持しているとは思わなかった。


「失礼、しました」


「今回は許してあげるよ。

だが、次は容赦しない」


桃華はナオに指輪を見せつけ、退室するよう視線で伝える。

要求を通すにはどんな弁舌よりも、強力な武器を行使する可能性をチラつかせるのが一番早いことは此処でも同じだ。


「──」


何か言いたげなナオは一礼して退室し、桃華は椅子にふんぞり返って遠見用の水晶に真哉と結の姿を映し出す。

英雄か、ただの凡人か。

桃華は前者を期待しながらも、後者の人間が稀に持つ泥臭い矜持も好んでいた。


「さぁて、キミ達の本質を見せてくれ。

葛城真哉くんと西園寺結ちゃん」


年相応の朗らかな笑みではなく、真哉と結モルモットの働きを期待しての笑み。

使えなければ、高校生二人程度なら処理も簡単に済ませられるだろう。

そして、


「僕の実験は、始まったばかりさ?」


ゆっくりと、計画が動き出す──

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