第2話・シルクハットのトラブルメーカー

四月の桜は春風に吹かれ、無機質な校庭に桃色の絨毯を敷いていく。

入学式が終わった孫を迎えに来た老夫婦がその光景に見惚れる姿はあたかも風景画のように絵になっていた。


「……花見してぇ」


「それは同感。

ま、とっとと掃除しようぜ」


箒を持った結達に気づいた老夫婦がそっと会釈してその場から立ち去り、結は満開の桜を見上げて呟く。

ただ、同じ桜を見つめる者でも老夫婦のような和やかな花見ではなく、結や真哉は仲間で夜通し騒ぐ花見を幻視していた。


「了解。

のんびりやる気もないし、慣れてるだろ?」


「ああ、たっぷりとな!」


結は制服が汚れるのもお構いなしに積もった桜の花びらを塵取りに集め、真哉の持つゴミ袋に入れる作業を繰り返す。

小中高と宿題の未提出や無断欠席、補習のサボりに使用禁止とされている屋上でのキャッチボール等、色々なことを試しては罰として清掃作業をさせられることが増え、皮肉なことにわざわざ外部から雇った用務員よりも上手になっていた。

早く、綺麗に、前よりも美しく。

当たり前のことではあるが、清掃のプロを出し抜く素行不良の高校生は少ないのではと結は密かに自負している。


「しっかし、便利屋って言っても地味だな」


結は蜂の巣の駆除とか害獣駆除とか、そういう普通のアルバイトにはない刺激があるものだと考えていたが、現状に愚痴を零しながらも手は止めずに桜の花びらを片付けていく。

不満でも与えられた仕事はそつなくこなす結とは対照的に、真哉は手を止めて腕を組み、


「最初はそんなもんだろうさ。

俺達には御大層な資格はないし、高校生が出来るバイトはたかが知れてる。

地道にやっていくのも良いと思うがね」


「何だよその口調。

そんな悠長なこと言って、また俺に泣きついても絶対に貸さないからな」


結は真哉が手放した桜の花びらが溜まった袋の口を縛りつつ、我慢の限界に達した結の怒りの篭った一言で真哉の表情は一変する。


「お前……!?

金づる《しんゆう》だろう!?」


仕事を紹介してやっただろ、と言いたげな真哉に侮蔑の視線を浴びせながら、


「最低だな。

──それより、お前のことだ。


「ち、近いっての……!」


容赦なく真哉を問い詰めようと顔を近づける。

幾ら男勝りな性格とはいえ、結は紛れもなく女子高生。

真哉は結に配慮して女性として扱っていないが、こうも密着されては男として意識してしまうのは仕方なかった。


「どうでも良いから、そんなこと。

あるのか?それとも無いのか?」


一切恥ずかしがる様子のない結に安堵と落胆を覚え、真哉はゆっくりと首を縦に振る。


「……無くはねぇ。

でも、俺はその仕事を教えられない」


「教えられない?

法律に触れる奴か、お前が独占したいのどちらかぐらいは答えられるだろ?」


結は怪訝そうに真哉を見つめるが、真哉の表情はますます蒼くなっていく。

体調不良とは違う、真哉から漂う明らかに異質な雰囲気が結に警鐘を鳴らしていた。


「どっちでもねぇよ。

法律に触れないどころか警察公認の仕事だ。

しかも、年齢資格問わずの高時給ときた」


真哉は無理をしたような笑みを浮かべてゴミ袋を焼却炉を放り込み、音を立てて掌についたゴミを払い落す。

──その瞬間、真哉から笑顔が消えた。


「なら──」


「勘違いするなよ。

確かに条件は凄く良いが……」


質問しようとした結を遮るように真哉は首を横に振り、今にも泣きそうな顔で真哉はこう問いかける。


「西園寺、誰かを殺す覚悟はあるか?」



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「誰かを、殺す……」


結は先程別れた真哉の問いを反芻し、真哉の顔を思い出す。


『西園寺、誰かを殺す覚悟はあるか?』


素行不良といえど、真哉はあくまでも高校生に過ぎない。

人を傷つければ法に裁かれ、普通ならどんなに嫌いな相手でも殺さない。

偶に、ブレーキが壊れた人間が殺人事件を引き起こすぐらいで。


『西園寺、誰かを殺す覚悟はあるか?』


「そうだな、真哉。

昔なら、俺は頷いてなかったよ」


結は脳内で反芻された真哉の問いかけに答え、帰宅してすぐに昨日購入した牛丼に箸をつける。

誰かが悪いのではなく、時代の流れが以前よりも急激に、予想外の方向に進んだだけだ。

そして、変化に適応できるのは全員ではない。


「……あいつは根は良い奴だからな。

だからこそ、か」


牛丼を頬張りながら親友の性格と行動を振り返り、結は呆れと共に自然と笑みが零れる。

ただの格好付けた馬鹿でも、結にとっては気の置けない一番の親友だった。


「さて、テレビテレビ」


取り敢えずバラエティ番組でも見ようとリモコンの電源ボタンを押した直後、


『先程入った速報です。

今朝のニュースの不審火は警察の調査で放火と判明し、迅速に対応したJHMSの構成員の手によって犯人の毒殺が行われました。

凶悪犯罪の被害者感情を反映して出来た組織ですが、非人道的なやり方や冤罪の危険性から批判の声が相次いでいます』


「JHMS……?」


初めて聞いた組織名に思い当たることはなく、SATやSITとはまた別のものだろうと結は推測した。

海外ならまだしも、日本で合法的に毒殺をニュースで見たのはこれが初めてだ。


「どんどん物騒というか、きな臭い」


自分の知らないうちに物事が変化していくのは時代の流れだとしても、この流れは異常だ。

でも、それを変えられるような術を結は持っていない。


「──君は間違ってない。

だからこそ、僕は君を見逃せないのさ」


「誰だ……!?」


「やあやあ初めまして、西園寺結。

僕は貴女の命を頂きに参りました」


人を小馬鹿にするような態度で頭を下げ、白いシルクハットから黒猫を取り出した男は臨戦態勢に入った結に投げキッスを送り付ける。

確かに分かることは、目の前にいる怪しい男から嘘の気配が一切しなかったことだ。


「悪いけど、マジシャンを呼んだ覚えはない。

早く失せるなら見なかったことにするが、どうする?」


「そう言われて、黙って引き下がるのは三流じゃないかな?」


質問を質問で返されたことに僅かに結は苛立つが、怒りを堪えて男を冷静に観察する。

目に見える所に武器はないが、万一至近距離で発砲されては対処のしようがない。

それに、銃犯罪も増加していることから下手な制圧は難しかった。


「質問を質問で返すとは……、まあいい。

あんたがその気なら──」


結は痺れを切らして負傷覚悟で隙を作ろうとした瞬間、


「──殲滅しろ」


突如玄関のドアを蹴破って突入してきた二人組の男女はシルクハットの男が銃を抜くよりも早く発砲し、弾丸が眉間と心臓にそれぞれ一発ずつ貫通した。

にもかかわらず、シルクハットの男は満面の笑みで天井に向けて手を伸ばしている。

結にとっては、その光景は先程の夕飯を戻してしまいそうな吐き気と理解できないものへの嫌悪があった。


「お”っ、お”お”!? JHMSに災いあれ!

我等の崇高な意思を邪魔する、愚か者に裁きを……!」


シルクハットの男は恍惚とした表情で呪うように叫び、満足したのか言い終えてすぐにこと切れる。

哀れとは思わないし、自分自身を殺そうとした相手を悲しむほど善人ではない。

寧ろ命の危機が去ったことを喜ぶべきなのに。


「手間がかかるのは勘弁して欲しいもんだわ。

こういうのを負け犬は何とやら、って言うだろう?」


「ええ、恐らくは負け犬の遠吠えかと」


「あんた、達は……?」


黒いゴミ袋のようなものにシルクハットの男の死体を回収するパンツスーツの女と自衛隊とは違う、壮年の軍人のような男は結に気付くと気さくな笑みを浮かべ、


「俺達はカルトの駆除係兼犯罪者の処刑を生業としている。

つい最近できた日本異端対策特務機関、ってとこの所属なんだが通称は……」


「JHMSです、隊長」


「そうそう、JHMSだJHMS。

俺達は基本的に特異と読んでいるぜ」


年取ると何もかも忘れて全く覚えられない、と夜にも拘わらず大声で笑う男。

パンツスーツの女は慣れているのか、一切気にした様子はなかった。


「JHMSって、確か放火犯を毒殺した……?」


煩いと思いながらも結の脳裏に今朝のニュースが頭をよぎり、答えが返ってくることを期待せずに男に問いかける。


「ああ、そのJHMSだ。

……もしかして放火犯の遺族か?」


「違う。

それよりも、警察とかは大丈夫なのか?」


申し訳なさそうに聞いてきた男に溜息を吐き、結は窓の外で自宅に集まってきた野次馬を指差す。

シルクハットの男とやりあった場合も大変だが、この野次馬を追い払うのも一苦労だ。


「そっちの方は心配ない。

野次馬には警察が対応してくれるようだし、お前さんに迷惑をかけることはないだろう。

万一、お前さんに何かあれば連絡くれ」


そう言って名刺を渡して去った二人と入れ違いになるように警察が到着し、程なくして野次馬は消えていく。

明日から好奇の視線に晒される可能性が大いにあったが、代わりに一つの収穫があった。


「日本異端対策特務機関隊長・桐山レイジ、か」


JHMSには、何かがある。

そう睨んだ結の顔はいつものようにひねくれて、楽しそうに笑っていた。

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