古い鳥居と変わらないもの

やちちち

第1話 こわいこわいお狐様は

お狐様は怖いのよ。


お狐様には見つかってはいけないよ。


七つになるまではこのお家から出てはいけないよ。


生まれてからずっと言われ続けてきた言葉。


外へは出てはいけない以外は私は自由だったけれど、七つを過ぎてからも私はこの家に閉じ込めら続けている。


というのもお狐様に見初められてしまったらしい私は私の時間を奪われてしまったから、永遠に子供のままで六歳から先に進めない。


いつかお狐様があなたを忘れるその時まで、お願いだからここにいてと泣く母に逆らうことなんて出来なかったし、母を泣かせてまで外へ遊びに行きたいとも思わなかったから今まではなんの不満もなかった筈だったのに。


私の心境に変化があったのはつい先日みた夢のせいだった。


とても綺麗な人が紅葉の散る幻想的な神社でこちらをみていて、


「まってるよ」


と美しく微笑むのだ。


きっとあの人が私を待っているお狐様なんだろう。


だから、きっとあの人の元へは行ってはいけないし、あの人の話は誰にもしてはいけないんだろうな、とわかってはいる。


母も歳をとった、


もう先は長くないだろう。


だからこそ無駄な心配はかけずに残り少ない時間を一緒に穏やかに過ごしたい。


それが何も出来ない私にできる唯一の事だと思うから。


ごめんなさい、まだあなたの元へはいけないわ。


と心の中で呟いてから母の元へ笑顔を貼り付けて走っていく。


「おかあさま!おてつだいありますか!」


にこにこと何も知らないふりをして、何も見てないことにして日々を過ごしていくけれど、相変わらず夢にはあの人が現れる。


初めて出会ってからもう2週間も同じ夢をみている。


今日の夢はなんだかいつもの夢とは違っていて、体が動くし言葉が話せる。


あの人も私の元へ寄ってくる。


逃げなきゃと思うのに体が言う事をきかない。


あの人の元へ行きたい、それしか考えられなくなっていく。


「まだ、だめだよ」


ぼぅっとする頭の中に凛とした綺麗な声が響いた。


「いつまでも待っているから、ゆっくりおいで。」


目の前まで迫ってきていたその人は私の頭を撫でて優しくそう囁いた。


「あなたはお狐様なのでしょう?私を連れていきたいんじゃなかったの?」


そのまま離れていこうとするあの人の着物の袖を引っ張った。


「…やっぱり君は逃げないんだね。昔と何も変わってない。」


一瞬驚いたような顔をした後心底嬉しいそうな顔で笑った。


「昔っていつの事だかまったくわからないけど、あなたは怖い人じゃないもの。」


おかあさまたちは私を連れてく悪いお狐様だと思ってるから、とここまで考えて驚いた。


私、この人について行きたいって心の底から思ってる。


ちゃんと会話をしたのは今日が初めてなのに、ずっと昔から知っているみたいに感じている自分がなんだかおかしくてくすくす笑った。


「そんな事を言われると今すぐ連れていきたくなっちゃうなぁ」


冗談っぽくがおー、なんてふざけるお狐様がおかしくって私は更に笑った。


「まだだめよ、お母様ときちんとお別れしたら私があなたの所へ行くから」


指切りのポーズをして神様と契を結ぶ。決して破ることの出来ない約束。何年先になるかもわからないけれど、両親を見送って親孝行ができたならすぐにでも彼の元へ走ろうと決めて夢から目を覚ました。


「お母様、私ずぅと大人になったらお狐様に食べられにいってもいいかしら」


朝の挨拶もせずそうねだった私に母は泣き崩れた。


「いつか、行ってしまうのは分かっていたけれど、やっぱり悲しいものね。」


少ない子供との時間が惜しくて、あなたを外の世界へだしてあげられなくてごめんなさいね。


なんて、愛ゆえの身勝手な母の行動を責めることなんて出るわけもないし、私はそもそもこの家で過ごした時間は不幸ではなかった。


「まだ行かないわ。だって、私まだまだお母様と一緒にいたいもの」


ちゃんと彼にもお願いしたから安心してね、と笑うと母はいつの間にかとっても大きくなっていたのね、と笑った。


母との時間はゆっくりと、しかし確実に減っていった。


外へ出られる時間が減って、布団から出られる時間が減った。


会話ができる時間も少なくなってしまった。


父はほとんど家にいる事はなかったけれど最近は母を心配して無理に休みをとっているようだった。


寡黙な父で、私との会話が上手くできない。


冷たい人だと勘違いされがちだけれど、私を大切に思ってくれているのは不定期に枕元に置いてある優しい手紙から伺える。


母はそんな父の手を握りながら逝った。


幸せそうな顔で私を見てありがとうと出ない声を振り絞り掠れた声で最後の挨拶をした。


外に出ることが許されるようになってすぐの頃に家族三人で出かけた動物園の写真を母の棺にいれて、燃やされる箱をなんとも言えない気持ちで見送る。涙はもう枯れてしまっていた。


その数週間後には父が後を追うように亡くなった。


仕事中に急に倒れてそのまま息を引き取った。


父の葬儀は泣かなかった。


「もう、お母様がいないとお父様はだめだめなんだから。」


遺品整理をして、引越しの準備を始めて数日。


母からの手紙を見つけた。


「遥へ


沢山苦労をかけてしまってごめんなさいね。


あなたの大切な幼少期を邪魔してしまった事、ずっと後悔してきました。遥を盗られてしまうのがとても怖かったの。


でも私が間違っていました、あなたはあなた自身の選択で行くことを決めたのよね。


あなたが生まれてすぐの頃とても綺麗なお狐様があなたを下さいって頭を下げに来ました。私達は馬鹿なことを言うなと追い返しました。それからは遥を家に隠すことで彼からあなたを遠ざけていました。


遥は文句一つ言わずにいい子だったけれどもう好きな事を好きな人と一緒にしてもいいから、私達はもう大丈夫だから自由に生きてね。貴方が大人になった時のために花嫁衣装を用意してあるから着てくれると嬉しいわ。父さんは私が一緒に連れていきます!今までありがとうね、私達はあなたの事をいつまでも愛しています。」


そこまで読んで私は大きな声で泣いた。


枯れていたと思ってた涙腺は崩壊してしまって、見守ってくれていた暖かい存在の大きさに気付かされた。


ぐすぐすと子供のように泣きじゃくりながら、私は母の用意してくれた花嫁衣装を押入れから取り出しそっと身に纏う。


できるだけ綺麗な姿で彼の所へ行きたかったのに、赤く腫れてしまった瞼は隠すことはもうできそうにない。


髪を結って母の残した赤い紅をひいた。


持っていくものはこれだけでいい。


この綺麗な花嫁衣装と母の紅、手紙は未練が残るから置いていく事にした。


全てを置いて、全てを渡しに彼の元へ嫁ぐ。


それが私にとっての最も幸せであり、彼の幸せであり、母の望なのだから。


からころと下駄を鳴らして社を目指しあるきはじめる。


彼の居場所はわからないけれど身体が知っている。


山の中に映える赤い鳥居の先にきっと彼はいる。


昔より歩きにくくなってしまっているのね、なんてそっと呟いてみたりしてくすくすと一人で笑う。


昔って一体いつの事かしら?私はいつこの道を通ったのかしら?と自分の身に覚えのない記憶に戸惑いを感じることのない自分が面白おかしく感じた。


目の前に現れた鳥居は、やはり自分の記憶より古びていて時の経過を感じさせる。


私は彼との出会いを夢見て、鳥居の右の柱を上から下につぅっとなぞってから三回こつこつこつと柱を鳴らす。


そうすると鳥居の中の景色だけが美しい紅葉に染まる。


何も変わっていない、素敵な景色が広がった。


鳥居をくぐればふらりと身体が揺れ、心地よい酩酊に包まれる。


彼に早く会いたい、その一心でふわりふわりとする身体を叱責して歩みを続けた。


「久しぶりに会うのに、なんで貴方はてるてる坊主なんて作ってるのかしら。」


私、ロマンチックな出会いと再会を期待してたのよ?とからかうように笑えば、ガタガタと音を立てながら急いでこちらへ向かってきてくれる。


きつくきつく抱きしめられて彼の愛を再びこの身で感じられる幸せに涙が零れそうになってしまった。


「君の折角の晴れの日を雨にしたくなかったんだ。」


お出迎え遅れてごめんねって微笑む貴方はやっぱり綺麗で今度は私の方からきつく抱きしめ返した。


「私、狐の嫁入りでもいいわ。貴方と一緒に居られるならなんでもいいの」


いつの間にか周りには沢山の狐たちと見知った二人の姿がそこにはあった。父と母がそこにいたのだ。


その手にはお世辞にも上手とは言えない胡瓜の馬と茄子の牛がちょこんと可愛らしくのっていた。


びっくりして彼の顔を見上げればさっきの私のようにいたずらが成功した子供のみたいな顔をしてはにかんだ。


「綺麗な君を見て欲しくてちょっと無理を言って連れてきちゃったんだ。」


今さっき決死の思いで別れを告げてきた私が馬鹿みたいじゃない、だって貴方はいつだって私を喜ばせる天才だったのだから。


「ねぇ、どうしたらいいのかしら。私愛してる以上の言葉なんて教わってないわ」


そう言って愛しい貴方に口付けをする。


辺りには新しく誕生した美しい夫婦を囃し立てる声が響いていた。

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