第55話

 なんだろう。

 

 僕は全身の力が抜けるというより、何か心の中の何かが一気に崩れて、空白ができるのを感じないでいられなかった。

 それはこの瞬間までの緊張が切れたこともあるのだけど、それ以外の何かが切れたことを意味しているではないだろうか?


 松本、三上、猪熊、。それぞれの顔をゆっくり見まわしながらそれを感じないではいられなかった。


 ――冒険は終わったんだ。


 その事実が僕の体験した過去の時間をこの瞬間から思い出に変えて行く。それに抵抗があるのか、だからそれを察して心の空白が出来はじめているのだろう。


 切れたもの、

 それは

 戦った仲間という絆かもしれない。

 それは敵だったとしても、関係ない。

 時間を共有したという絆なんだ。

 

「さて・・」

 松本がルソンの壺を持ちながら言う。

「この壺は封印されましたが、また誰かが探しに来るとも限らない」


 あ・・そうだね


「ではここにいる誰これからが壺を守るのにふさわしいかですが・・」

 えっ?


 思いもかけない松本の問いかけ・・


 それってまさか・・


 まさか・・


「こだま君」


 えっ、ぎくりとする。


 それを見て松本が笑う。

「君が良ければ、この壺は利休に守ってもらおうと思いますが、どうですか?」

 意外な提案に僕は驚いた。勿論自分ではなったことに少し安堵したけど、さっきまでのラスボスになんでこの壺を守らせるなんて???


 それってどうなのよ??


「おい、藤吉?正気か?」

 猪熊が問い詰める。三上も僕と同じ気持ちなのか訝し気に松本を見ている。

「正気も、正気。だっておみゃーは欲しかったんじゃろ?このルソンの壺を?」

 にやにや松本が笑う。

 動揺が浮かんだ顔で猪熊が言う。

「それはさっきまでの私だ。戦いにも負けた私にとってはもうこれは不要なものだ。考えろ、藤吉。もし万一私が預かったとしてこれを破壊してみろ、また災厄が世界に広がるぞ」


 そうだ、そうだろう??


「そんな心配は必要ない」

 言うや松本がルソンの壺を激しく地面に叩きつけた!

「おっ!!おい!!!マジかっ!!」

 僕は叫ぶ。猪熊は目を見開き、三上は顔を伏せる。


 しかし・・


 あれ??


 ルソンの壺は地面にぶつかると跳ねあがり、割れることは無かった。


 こ、これって・・


「どういう事?」

 松本がルソンの壺を拾い上げる。

「これは魔道具なんですよ。それもかなり強烈な壺です。そう簡単には割れません。だって昔、私が聚楽第で不注意で落としたんですが、その時・・割れなかったんで」

 はっはっはっと高らかに笑う。


 マジかよ!!

 あんた不注意で落としたのかよ


「そう、既に過去に実験済みです」

 そう言うと猪熊に差し出した。

「利休、おみゃーが管理せぇ。おみゃーも地球を美しく守りたかったんじゃろうが。これからのミレニアムはおみゃーがこの壺を責任もって守るんだぇ?ええな?」

 差し出された壺に猪熊が手を添えた。

「もし私が変心したら?」

 松本がつぶらな瞳をぱちぱちさせる。

「儂はおみゃーを信用してる。それだけだ。それで十分じゃないか?違うか、与四郎」

 最後は優しく名前を呼んだ。

 どこからか風が吹いてきて桜の花弁が運ばれて来た。それが松本と猪熊の身体に触れると小さく浮かんで、静かに止まった。

「見てみぃ・・これは官兵衛の意思じゃ。官兵衛もそれを望んでるんじゃ」


 そうか・・

 まぁ戦国時代を生きた三人、 

 秀吉 

 利休

 官兵衛

 にしか分からぬ思いがあるのかもね。


「猪熊さん。じゃぁお願いします。それが降伏の条件にしときましょう。やはり無条件というのはちょっとね。僕等も命の危機にさらされた訳だし」

 思いつくままに言った僕のアイデアに松本がおお、と言った。

「そうですね。そうしましょう」

 言って向き直り、松本が言った。

「利休、いや田中与四郎。降伏を認めるぞ。以後、そのルソンの壺を敵から守るようにこれより心得よ」

 その声はとても威厳のある声、そうまさに豊臣秀吉の声だった。

 猪熊は笑う。しかし笑いを終えると衣服の乱れを整え、頭を下げた。

「太閤殿下、田中与四郎いや茶人利休、殿下のご命をしかと承りました」

 その声は凛として、茶人利休としての威厳があった。

 手にしたルソンの壺をそっと引き寄せた猪熊に松本が言う。

「茶室にこれを飾ってくれ。そしてまた儂をおみゃーの茶室に呼んでくれ、な?利休」

 ゆっくりと首を振った猪熊は松本に微笑した。

「そうだな。又、昔のように茶室で語り合おう、藤吉」

 そう言いながら僕等の側からゆっくりと離れた。

 その離れ方が僕には少し不自然に感じた。まるで僕達に何かが来ないような距離を取りながら離れて行く。

 猪熊は空を見上げた。


 ――その予感は的中した。


 

 突然、晴れ渡る空から激しい雷が利休を目指して落ちて来たのだ。


「利休!!」

 松本が叫ぶ。

 利休は雷に打たれ、その場に立っていた。


 僕達は駆け寄った。

 

 こ、これは一体???


「利休、しっかりせい!!」

 駆け寄る松本の声に、うっすらと猪熊が目を開ける。しかしそれは、どこか目がおぼろげで、意識が消えかかろうとしていた。

「クトゥルフの・・・怒りだろうな。あの神は敗北者を許すまい・・・とは思っていたからな」

 そこで崩れるように倒れ始めた。それを松本が支える。

「壺は・・大丈夫だったか・・?」

 息も絶え絶えに言う。

 ルソンの壺は破壊されること無く地面に転がっている。

「大丈夫じゃ、それよりもしっかりせい、利休」

 松本が身体を揺さぶる。

「藤吉、まぁ・・これで。・・良しだな。全ては私の死を持って終えよう・・」

「利休・・!!」

 声をかけようとする僕を見て、三上が首を振る。

 

 魔女は再生の力を得る為に雷に打たれるんだろう?


「それは地球が引き起こす気象のかみなりだけ・・今のは神の引き起こすいかづちなのよ。だから・・」


 ちょっと・・


 じゃぁ


 猪熊さんは・・


 僕は腕で顔を覆った。

 聖書に書かれているバベルの塔を破壊したいかづちは、和解した二人の友情を引き裂いて、死を届けたんだ。


 遠くで雷が落ちた。

 それは僕が河童と戦った川の方だった。それはつまり河童にもいかづちが落ちたのだ。 

 クトゥルフは消えて尚、敗北者を許さなかったのだ。

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