第56話
僕は阪神高速の湾岸線から見える六甲山と湾岸沿いの風景を眺めている。
正慶寺に自分のバイクと松本を残して、僕は三上と二人、大阪への帰路についた。
バイクで戻ろうかと思ったけれど、身体の痛みやら疲れやらでとてもじゃないけどバイクの運転は無理だった。
それに意外と膝の傷も深く、大阪に戻れば直ぐに病院に行くことにした。
だから三上の運転する車で地元の病院まで連れてもらうことに決め、魔術書が入っ たリュックを膝の上に乗せながら車に揺られている。
病院と言えば、あの後、急いで救急車を呼んだ。
猪熊と倒れた高田を病院へ運ぶ為に。
松本はその場所に残った。
正慶寺の門前に着いた救急車に乗り込む松本に僕は声をかける。
「松本さん」
声に振り返る彼が僕を見た。
「また、大阪で・・会えますね?」
会えるはずだ、とは分かっているのに、でもどこかこれで最後のような気持ちが去来する。
だって冒険はもう終わり、今はもう新しい現実が動き出しているのだから。
「ええ、こだま君。大阪で会いましょう」
言い残して松本は救急車に乗り込んだ。
「何、考えてんの?」
三上の声が僕を思いの中から呼び覚ます。
僕は身体を軽く彼女の方へ向けて言った。
「うん、二人・・大丈夫かなぁと」
「さぁね・・、どうかな?」
彼女の発した言葉の余韻に僕は心を寄せる。
センチメンタルになっているのかな。
それとも燃え尽き症候群なんだろうか?
さっきまで降っていた雨が嘘のように、空には夕陽が輝いている。オレンジ色に染まる海を行く海外国船のタンカーが見える。このタンカーが次に泊まる停泊地に、航海士達の愛する家族が待っているかもしれない。
見つめる夏の陽に染まる海がとても美しい
無事な航海であればいいな。
・・・
あー
やっぱ、センチになってるよ、僕。
「ねぇ・・音楽聞いて良い?」
センチな気持ちに浸る僕の心を横切る彼女の声。
少し反応が遅れて答える。
「音楽・・?あ、うん良いよ」
僕は壊れたスマホを触る。ネットで気象情報が見たかった。本当にミレニアムロックのハンドルを戻したことで、あの台風が消えたのか知りたい。
もし、台風が消えていたら僕は明日の朝一番に空港へ行って屋久島へ向かうと決めている。一刻も早くイズルの居る病院へ向かいたいんだ。
夕暮れに染まる海が今日一日の最後の輝きを見せ始める。
彼女が操作する指先に音楽のタイトルが見えた。
―――HENRY MANCINI Sunflower
誰だろう?
僕の心の問いに彼女が髪を流して答える。
「映画音楽よ。『ひまわり』っていう映画ね、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが主演して1970年に公開されたのよ。その映画音楽がこのマンシーニ作曲のひまわり、サンフラワー」
それから彼女が遠い眼差しで言う。
「夏の終わりが近づくとこの曲を聴いてしまう。私も長く魔女として再生を繰り返しながら生きてきたわけど・・どうしてもこの曲が心を離さないのよね。この何といえない旋律と映画が思いお出されてね」
ふふふと寂しそうに笑う。
「どう、旅の終わりの余韻に浸るには良い曲かもよ」
彼女が握るハンドルの手が優しく伸びて瞼を覆う。
海に反射する夕陽を避けるように・・
――車内にピアノの低い音が響く。
流れてゆく風景にピアノの旋律が重なり、やがて慕情を掴む様に浪漫的なメロディが流れて来た。
サンフラワー、
輝く夏に咲く花よ
瞼を閉じれば、何処かの国の黄色い花弁の向日葵畑が見える。
一筋の名前も知らぬ風が吹く。
その風に向日葵が揺れて、僕は輝く夏の中に君を見つけたんだ。
イズル、君を。
だから
イズル、
生きていて・・。
涙が溢れて頬を伝っていくのが分かる。握るスマホに涙が落ちた。
その時、僕の手に誰かが触れた。
それは三上だった。
「辛気臭いのはどうもね、私さぁ、馴れなくて」
そう言って触れる手から僕に何かを渡した。
それは彼女のスマホだった。
「ハンカチなんか渡すような優しい女じゃないよ。こだま君、私のスマホで見てみたら?気象情報。それではっきりするから」
僕は頷き、心の底から思った。
ごめんな・・
斜め野郎何て言ってさ。
僕は彼女のスマホで気象情報にアクセスして、台風アッサニーの情報を確認する。
―――沖縄諸島へ激しい暴風雨を伴い北上していた台風アッサニーは本日16時ごろ突然、温帯低気圧に変わりました。明日以降は沖縄本島地方と先島諸島は、高気圧に覆われておおむね晴れるでしょう。大東島地方は気圧の谷の影響で曇る見込みです。
僕は台風の映像を見た。そこにはあの巨大な台風の二つの目はどこにも見えなかった。
台風アッサニーは忽然と消えたのだ。
ミレニアムロックは見事封印されたんだ。
僕は涙を拭うと、彼女にスマホを返した。彼女の細い手がそれを受けとる。
「どう、結果は?」
僕は無言で頷く。
「じゃぁ、あんまり辛気臭くならないでね。二人っきりでそうなっちゃ私、背中がこう・・むず痒くなるのよね」
両肩を掬いながら背中を動かして言う。
「僕だってさ、そんな感じになりたくてなったわけじゃないよ」
「そうなの?」
「そうさ」
僕は少し笑顔になる。
「だってさ、三上さんの音楽の選択があまりにもきまってさ、僕の心を濡らしたんだよ。だから、辛気臭くなったのは三上さんの選択のせい」
(つまりあなたの優しさのせいさ)
そこは言わず、僕は心に仕舞い込んだ。
「そう?」
頷いて、無言になる。
彼女の握るハンドルがゆっくりとカーブを描く高速道に合わせて動いてゆく。
その指先に今日最後の夕陽の輝きが反射した。
僕は眩しさの中に希望を見た気がした。だからもうそれ以上僕等は何も言葉を交わさなかった。
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