第52話

「利休」

 松本が言った。

「勝負は終わりじゃ」

 雨音が強くなる。

「おみゃーの負けじゃ」

 松本の言葉に僅かだが肩が動いて反応する。

 じっと松本が猪熊を見ると続けて言った。

「もう、おみゃーにはこだま君に勝てる術は無い。こだま君がもう一度『かまいたち』とでもルーン石板に書けば・・先程みたいに魔術を躱すような体力も気力もあるまい。それでおみゃーはジエンドやわ」

 沈黙が訪れた。

 僕も三上も猪熊を見る。松本の言葉が全てを現わしている。

「おみゃーは良く戦った。しかし力及ばずだった。もう・・それで満足せぇ、利休」

 雨音が松本の言葉を濡らす。秀吉が利休に掛けた言葉は戦国時代を共に生きた友への言葉なのだ。


 それで満足せぇ


 僕は少しばかり猪熊の心を思えば、それ以上の敗者へかける言葉は無いのではないかと思った。

 松本の目頭が熱くなっている。

 

 そうか・・

 

 僕は思う。

 松本にとって、いや秀吉にとっては猪熊、つまり利休は過酷な戦国時代を生きたかけがえのない友なのだ。現存する資料が語りかける歴史は互いの立場にある二人の苦悩や友情を全て語ってはいないのだろう、いやむしろ事実とはかけ離れたことを歪曲しているのかもしれない。


 利休は魔術書を盗まれ、

 切腹に追い込まれ

 現代においては

 ミレニアムロックの戦いで敗北した。


 松本も秀吉として多くの戦場を駆け回ったんだ。そこで多くの戦いを経験している。勝つ者が居れば当然敗者が居る。敗者には努力しても、掴めない勝利もあるのだ。

 悔しい気持ちを勝利者の前では噛みしめなければならない。

 秀吉は熱いのだ。敗者の気持ちが痛いほどわかるくらい心が熱いのだ。

 きっと。


 敗者の気持ちを察して尚、生かす。


 それでなければ天下を取る事なんかできないはずだ。それは秀吉の優しさに他ならないだろう。


 それで満足せぇ

 

 だから秀吉、いや松本は利休に降伏をすすめたのだ。利休の心の中の悔しさを噛みしめながら、お前の戦いは立派だった最大限の優しさを暗に含めて。


 猪熊は折れた刀を持ちながら地面に転がる和傘の所まで歩くとそれを屈んで拾い、鞘に静かに仕舞うと松本の方に投げた。


 松本の前で、和傘が跳ねて転がった。

 雨粒が刀に降り注ぐ。


「藤吉、お前の勝ちだ」

 松本が和傘を拾い、刀身を見た。

「私はまた負けたな」

 猪熊が地面に腰を下ろした。

「切腹をする。せめて私を苦しませず首を跳ねてくれ、藤吉」

 僕は顔を上げた。松本を見る。三上も松本を見ている。

 松本が大きく息を吐くと和傘を僕に渡した。

「こだま君、膝を怪我しているからこれを杖代わりにして下さい」

 松本から和傘を受け取る時、小さく松本が囁いた。


「利休に渡すと、切腹しかねませんからね」


 だな・・

 

 僕は頷いて和傘を杖代わりにして、松本の側に立った。すると僕の姿を見て松本が笑った。

「どうしたの?僕の姿が可笑しい?」

 問いかけに松本が微笑する。三上も不思議そうに松本の微笑を見ている。 

 彼女も同じ気持ちなのだろう。

 松本が頭を掻きながらしみじみと言った。

「いえ・・官兵衛みたいだなと。杖をついて歩いてるのが、官兵衛に似てるなと」

 再び笑う。

「なぁ・・利休。似とるでにゃーか?膝ついて傷つきながら歩く姿が、ほら・・有岡城の戦いで囚われて助かった直後の官兵衛に」

 松本の言葉に猪熊が顔を上げて、僕を見る。するとどうしたのか微笑しながら松本を見て言った。

「似てる。藤吉、似てるなぁ・・官兵衛に」

 言ってから声を上げて笑った。

 その笑い声には戦いに負けたという悔しい感情の欠片は全く見られず、莞爾とした爽やかな笑いだった。


 カンベェ?


 それって誰?


「黒田官兵衛よ、カンベェというのは。知らないの?秀吉の名軍師。頭がすごく良いのよ。そしてとても聡明な人物よ」

 三上の穏やかな声が肩越しに聞こえた。

 


 聡明な人物・・・。


 そう言えば・・

 僕は瀬戸大橋の下で松本と話したのを思い出した。


 ―――「・・・西脇なら・・実はなるほどなぁと思う懐かしい人物の名前を思い出しまして」


 そうか、

 つまり、

 その人物の事が黒田官兵衛って人なんだな。

 その人物に会ったことがないけど、きっと松本にとってはかけがえのない人物なのだろうな・・


 僕は彼女に振り返る。彼女は少し僕を小ばかにしたような表情をしていたけど、僕は気にすることなく首を軽く横に振ると笑った。

 だって、

 肩越しに彼女の落ち着いた声を聞いた時、僕は本当にこの戦いは終わったのだと思ったのだから。


 緊張の糸が切れたんだよ。


 だから笑ったっていいじゃない。


「利休!」

 厳しい表情をした松本の凛とした声が響く。

 だが、それは一瞬で笑顔になった。

「切腹なんぞは人生に一度だけでええじゃろ。それに今は戦国時代じゃない。それに・・」

 そこで深く思慮してから言葉を発した。

「おみゃーも儂らとは理由が違うが・・・地球を守ろうと考えて行動していたわけじゃ。まぁ互いにそれで良しとすべきだ」


 僕は頷いた。

 ミレニアムロックを再び封印することで僕も松本も地球を守ろうとした。猪熊は地球外に住む神の侵略からクトゥルフの力を借りて地球を守ろうと考えた。

 まぁ・・猪熊の考えはちょっとさー、先走っているのかもしれないけど(笑)。(だって本当にそんな存在が居るのか分かんないしね)

 でもここは秀吉・・いやいや松本の顔を立てて・・


「戦いを終えよう」

 

 僕は言った。

 ここに居る誰もが皆頷いた。松本も三上も敵である猪熊も・・。

 

 僕は皆の顔を見て、満足して頷いた。


 ここに僕は宣言する。


 僕達の戦いは終わった、と。

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