第50話
――神は死んだ
ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉は西洋文明が始まって以来の哲学、道徳や科学を背後で支え続けた思想の死を告げた。
つまり、それまで西洋文明の人々のあらゆる思想の中に存在したものを消し去り、新しい思想の始まりを宣言した。
その言葉が『魔』を持ち、発動した。そのことを松本が指摘して、神が死んだんだと言った。つまり魔術書以前に存在していた・・もし魔術師がニーチェだったとしたら、彼が信仰していた全ての神は・・・
彼が魔術師だったのか?
それははっきりと今は分からないが、そのロジックで言えば今現代の人々が信仰する存在を、僕は同じ言葉の魔術で消した・・・いや・・神を殺した、と良いのかもしれない。
僕は自身と猪熊が信仰している存在を認識して魔術を発動させたんだ。
つまり
悪魔王バエル
クトゥルフ
の、二つの神の存在を・・
「馬鹿な・・馬鹿な!!」
猪熊が頭を抱えている。
「そんなちっぽけな理論が通るものか、そんなのは現実的じゃない、まるで二流のゲーム以下だ!!」
猪熊の叫びに僕は思う。
二流のゲームだっていいじゃないか。何も綺麗に勝つなんてことは求めちゃいない。
そう、あんたは子供なんだ。
どこかやはり考えが幼稚なんだ。
大人はそんなことは考えない。
冷静に状況を見て、勝てる場所を探し、勝負する。
ビジネスの世界で負けるというのは経済的倒産で、立ち上がることは不可能だ。
スポーツじゃない、再試合何てないんだ。
負ければ終わり、一発勝負、それは戦国時代の侍たちには良くわかるんだ。
あんたは結局・・知識頼りの茶人なんだ。
所詮、倒れた秀吉、そう松本みたいな戦国時代の生き残りじゃないんだ。
「猪熊さん、勝負は見えてる。負けを認めて欲しい」
僕は狂騒する猪熊に言った。
これ以上の戦いは無駄だ。
僕が火の鳥をルーン石板に書き込めば、彼に万一にも勝目は無い。
早くイズルのもとに行きたい。
だからもう勝負の見えたことに使う時間も無駄だし、僕にとっては彼の命が失われるのも、もう意味もなく無駄なことだ。
雨の中をふらついて、猪熊が歩いている。歩く先に地面に転がる和傘が見えた。そこまで歩くと静かに和傘を開いた。
桜の木を背に向けて、和傘を開く。
「負けましたかね?」
猪熊が和傘の中で目を細める。
僕は敗者の気持ちを思い、何も言わなかった。
「またしても秀吉にやられた。これで三度目です」
ゆっくりと和傘を開く。
雨が激しく降り出して、地面を叩く音が跳ねて行く。
僕は手で雨を拭う。
激しく降り出す雨の中で、猪熊の姿が影になる。
声だけが聞こえて来た。
「負けは初めて認めた時に、負けです」
その言葉が激しい雨音に交じりながら、猪熊の影を追って来た。それは僕に向かってステップしてくる。
僕が激しい雨音の中で猪熊の影を見た時、和傘は投げ出され、手には大きな杖・・
――いや、それは日本刀!!あれは仕込み杖だった???
僕がそれを認識した時、刀の届く死地に居た。
「私はまだ負けを認めていないぞ!!こだま君!!」
いやぁあああああ!!
――振り下しながら叫ぶ猪熊の刃が僕の胸を切り裂いた。
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