第49話



 ――戦いが終わる

 

 自分で言っては何だけど、それは本当だろうか。


 嘘じゃないだろうか。


 それとも本当に望んでいるんだろうか。


 実は何時までもこの冒険のような時間が続いて欲しい心の底では願ってはいないだろうか。


 僕は浮かび上がって消えた緑の蛍光色を見つめながら自問した。


 戦いの最中なのに、何故、こんなメランコリックな感情になったのか。


 それは今僕が発動させた魔術がそうさせたのかもしれない。

 

 もし

 君の

 いや、

 あなたの

 愛する、信じる存在が

 この世界から

 消えたとしたら。

 君の

 いや、

 あなたの心に何が残るだろう?


 僕の腕に抱えられている悪魔王の首。その重さがゆっくりと消滅していくのが分かる。

 いやそれだけではない。

 猪熊の背後に見えるクトゥルフの姿もゆっくりと消失し始めている。

 僕と猪熊も互いの神と悪魔がその姿を消失していくのを見ている。もう後戻りができない魔術が発動している。

「こ、これは一体」

 猪熊が驚きの声を上げた。

 魂の内側から何かがゆっくりと崩れるように剥がれて行くのを感じさせないではいられないだろう。リンクした神の力というものが消失していくのを感じているからだと僕は思った。

「成程な・・」

 悪魔王が言う。

「つまり・・相打ちを狙った。まずは神同士の存在を・・・」

「ですね」

 僕は言って消えゆこうとする悪魔王の首を優しくなぞった。

「感謝してます、悪魔王バエル。僕を導いてくれて」

 ひょひょひょひょ、その言葉に悪魔王が高らかに笑った。

「感謝か。余は悪魔だぞ。それも悪魔王だ」

「いや、古代セムの人々にとっては嵐と慈雨の神だった。小麦など農業の豊かな恩恵を与える美しい神だった」

 僕は悪魔王の首を猫の鳴く胴体の所へ運ぶと斬られた所にそっと置いた。するとそこが黒く輝き、一瞬にして首と胴体が癒着した。

 猫がニャーと鳴くと黒い塊が一斉に集まり、悪魔王を中心に円陣の隊列を組んだ。

 僕は悪魔王を見つめる。

「こだまよ、聞く。お前は神を信じるか?」

 僕はその質問に少し顔を下げると、真っ直ぐに悪魔王の顔を見た。

「どうかな・・・・もしかしたらやっぱり信じないかもしれない。だってその存在が目に見えないしね」

「そうか」

「だけど、僕はあなた・・いや悪魔王バエルに助けを求めた。あなたはその僕の願いにこたえて現れて・・助けてくれた」


 悪魔王がじっと見ている。


「だから・・他の神は信じないけど・・・あなたの事はずっと心の中で信じ続けるよ」


 ひょひょひょひょひょ、悪魔王が笑った。

 悪魔王だけじゃない、重傷のカエルも猫も一斉に笑った。


「そうか、そうか・・うむ、余は満足だ。例えこの世界から消失しようともな」

 

 僕は、すまないと思った。

 悪魔王は僕がどんな魔術を発動したか知っているのだろう。だから僕がさっき決意した時、寂しそうな表情で笑ったんだ。


「勝利せよ、魔術師の弟子よ」

 凛とした声。

 これは悪魔の声ではない。古代セム人が崇拝した古代神バエルの声だ。

「余はもう力は貸せぬが、この世界のどこかでそれを願っている」

 急速に悪魔王の姿が消えて行くのが分かった。


 ――こだまよ、神はまた生まれる。


 悪魔王・・・


 ――人間が存在する限り、そして人々が信仰の心を失わぬ限りな。


 最後に悪魔王が微笑む。


 ――余はエデンの東方を統べる六十六の軍団を率いる悪魔の王である。またセムの人々に嵐と恵みの慈雨をもたらす豊穣の神である。


 悪魔王、いや偉大な古代神・・・


 ――さらば、美しき古代セムの人々よ


 最後に高らかに誇らしげに言うと、その言葉を残して悪魔王は姿を消した。


 悪魔王が消えた場所に雨が降る。

 それはきっと慈雨の雨だろう。

 ここは日本で、聖書にある神がアブラハムの子孫に与えると約束した約束の地ではないけれど、この雨の下でもしかしたら豊かな小麦の穂が実るかもしれない。


「な、何ということなんだ!!」

 猪熊の絶叫が響く。

「私の身体から、ち、力が抜けて行く。クトゥルフの力が抜けて行く・・」

 振り返れば猪熊の背後に見えていたクトゥルフの姿も消えていた。唯、半身肌を露わにした猪熊が信じられないと言った形相で両手を見ていた。


 消え去ったものを追う術はない。


 僕は猪熊に向き直った。

「猪熊さん、これで後は僕とあなたのサシで勝負です。あなたの魔法陣と僕の魔術、どちらがその『魔』が強いか・・」

 すると僕の言い終わらぬうちに猪熊が片手を振り下ろす。

 その動きに合わせて地面が一瞬強風に吹かれるように動いたが、それは僕の所に届く前に音も立てず消えた。

 自らの肉体を『魔』の強力な発動の為に魔法陣と化した彼の力は、僅かに微動する心臓の力だけがその源になった。

 それは普通の魔女の力で在って、もはや僕の身体に届くような強力な『魔』力など無かった。

 

 僕はルーン石板に文字を書く。


 かまいたち


 石板から猪熊を見て手を放つ。


 びゅぅううううううううう


 びゅうーーーーーっぅうううう

 

 風の渦が発生して猪熊に向かう。


「うゎぁあああああ」

 猪熊が身体をよじらせて、泥土の中を転がって逃げるようにかまいたちを避ける。

 雨水と泥土が猪熊の端正な顔を汚す。

 顔は青くなり、奥歯を激しく噛んでいるのか、歯のカチカチと鳴る音が聞こえた。


 ――受け入れない、


 そんな感情が溢れているのが僕には見てとれた。

「何故だ???いや何が起きたんだ??」

 猪熊が顔を上げる。

「こだま君、君は一体何を?どんな魔術をかけたんだ??」

 歯噛みする猪熊の表情を見て言った。

「僕はあなたに聞いたでしょう?あなたのクトゥルフに対する信仰心を」

「それがどうした?」

「あなたが思う信仰心の強さが神の存在をはっきりと具体化させて、認めている訳です。つまりあなたは神の存在を認めていることになりますね」

 しとしとと雨が降る。

 僕と猪熊の心の距離に。

「僕等の信じる神の力は互いにイーブンでしょう、もし互いの神が消えれば、あとは僕とあなたのサシの勝負になる。あなたが創り出す『魔』はあなた自身の心臓とクトゥルフか ら力の影響を受けているのであれば、もし神が消えればあなたは唯の魔女に戻る」


 髪を濡らしたまま黙って僕の言葉を聞いている。

 僕は続けて言った。


「その時、僕とあなたと優れている部分が勝利を掴む思ったんです。それは『魔』の力です。それは魔女と魔術師では石油とルーン鉱石によって違うわけだ・・となれば、神が消えてしまえば・・魔術師の方が優れているにきまっている。ドルイドは増幅する方法を知っているが、それは魔術師にはかなわないでしょう?」


「だからなんだと言うんだ?どんな魔術があると言うんだ!!神が消えるような・・そんなルーン言語があるのか??」


 猪熊の怒声に僕は深く頷いた。


「松本さんから聞いたんですよ。何故神が創ったミレニアムロックを神がもとに戻すことができないのか・・そう尋ねた時に・・」


 僕はルーン石板をなぞりながら言った。


「ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉です」

 

「何?」

 猪熊が驚いて反応する。


 僕は言った。


『神は死んだ』

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